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【キャンディ・キャンディ】アードレー家という閉鎖空間の子供への影響


70年代にヒットしたマンガ「キャンディ・キャンディ」におけるアードレー家がそこに属する子供たちに与えた影響について考えてみる。

アードレー一族の子供たち

アードレー家には分家のブラウン家、コーンウェル家、ラガン家がある。本家を含めた、それぞれの家の子供は、次のようになる。
アードレー家:キャンディ(養子)
ブラウン家:アンソニー
コーンウェル家:ステア、アーチー
ラガン家:ニール、イライザ
この内、両親と暮らしているのはラガン家のみである。ブラウン家は、母親は故人となっている。父親は船乗りのため家にはいない。コーンウェル家は両親ともアラビアにおり不在である。このため、アンソニーとステア、アーチーは親とともに暮らしておらず、基本的に子供3人で幼少時から毎日を過ごしている。大人の親族としてはエルロイ大おばさまと住んでいる形ではあるが、エルロイが子供たちの教育面で関与している描写はない。

アードレー一族のビジネス

ステアが亡くなった際にアンソニーの父は初めて会ったキャンディに「わたしはまた長い航海にでる」と言っていることから、ブラウン家の職業は船舶業関連であると考えられる。ただし、航海に出るという言葉があることから、実際に船に乗っており、アードレー家との婚姻関係にあることから、一船乗りということは考えられず、船長等の要職であったと推測できる。
また、ステアが亡くなった際にステアの母が「わたしたちは悪い親だったわ いっしょにくらしていればこんなことに…」と言い、ステアの父が「アラビアにもっと早くによぶべきだった」と言っていることから、コーンウェル家のビジネスは、アラビア半島周辺のビジネスを行なっていたことになる。「キャンディ・キャンディ」の舞台である1910年代は、自動車産業が発達し、原油需要が高まった時期なので、地理的に、コーンウェル家は、オイルビジネスを手がけていたと考えられる。両親ともにアラビアへ行っていたのは、現地での社交上の必要であったと考えられる。父親がアラビアに呼ぶべきだったと悔いているが、アラビアより英国の聖ポール学院や母国である米国でエルロイと暮らす方が安全かつ子供達のためになるという判断は間違っていなかったであろう。ただし、アンソニーと3人のうちは良かったが、ある意味時代を先取りするかのような自由な思考を持つアルバートさん、キャンディ、テリィと出会ったことが、ステアの思考に何らかの働きかけをした可能性はある。
アンソニーは、父の職業が船乗りであったので、母親と共に暮らす機会はあったが、早くに母を亡くしてしまった。一方でステアとアーチーは、両親がビジネスの必要上、アラビアへ行っていた。ニールとイライザのラガン家は、どのようなビジネスを行なっているか不明だが、両親と共に暮らしている。キャンディが養女となったアードレー家は、シカゴに銀行等を保有する財閥である。しかしアードレー家の家長であるウイリアム大おじさまは、実は近くにいるのだが、明示的にはキャンディの前に姿を現してはいない。
なお、アードレー一族ではないが、グランチェスター家の長男であるテリィも、実の母とは離され、父とも疎遠なまま聖ポール学院で寮生活を送っている。
以上のように、キャンディの周りの男子で、当初からキャンディの側にいる人間は皆、幼少期から親とは離れて暮らしている者ばかりである。

人間関係への影響

親の不在は、アードレー家の子供たちの人間関係構築に影響を与えていると考えられる。例えば聖ポール学院に進んだステアとアーチーは、他に同性の友達がいる気配がなく、基本的に兄弟2人で行動している。異性の友達についても、交友関係が見られるのは、キャンディ及びキャンディと仲の良いアニー、パティの3人のみである。キャンディも含めこの女子3人は、他に女子の友達はいないようである。アニーとパティは学院に来た当初、ともに他の女子と友達になりそうな気配はあったが、アニーは孤児院出身がバレたこと、パティはその内気さとヒューリィの件で他の女子か浮いて行った。つまりステアとアーチーの学園での交友関係は、身内とごく限られた仲間内だけに閉じた交友関係になっている。同性の友達は登場しないことがポイントである。一方、イライザとニールは、聖ポール学院では同性の友人といる描写が多い。「キャンディ・キャンディ」という物語中ではニールとイライザの性格が悪いように描かれている。しかし、親の監視がなく、年齢の近い従兄弟と兄弟だけの閉じた環境で長らく暮らしているステア、アーチーと、自宅では両親と暮らし、学校では友人と過ごすニールとイライザでは、そもそも生き方についての根本が異なっているのではないだろうか。その上で「キャンディ・キャンディ」という物語はキャンディの側に立って描かれるため、ニールとイライザが実際以上に意地悪な性格のように描かれていると考えられる。

キャンディの友人関係

キャンディも親の愛情を知らず、聖ポール学院在学中も旧知のアニー以外は内気なパティしか友人はいない。そして、アニー、パティともに、互いとキャンディ以外に友人はいない。キャンディは看護学校時代も浮いていた。またテリーも一匹オオカミ的生き方をしていることから、キャンディは、現実に親がいるかいないかや経済的豊かさは異なるが、親の愛情を直接受けておらず、友人も少ないという点で自らの境遇に近いアンソニー、ステア、アーチー、テリィと意気投合できる一方で、家族、友人に恵まれたニール、イライザとは合わなかったのだと考えられる。アニーについても同じポニーの家出身であり、友人も少ないことから、パティについては両親の愛情には恵まれていそうだがカメが友達というほど友達がおらず、かつパティの方から友達になりたいと言ってきたことから、友達になれたと思われる。

なぜニールとイライザが悪役なのか

では、なぜ直接親の愛を受け、身内以外に友人もいるニールとイライザが悪役になるのだろうか。それは簡単に言うと「キャンディ・キャンディ」はキャンディが主人公のマンガだからである。しかし、現実世界で考えて、初めての夜勤を代わりの人を見つけないまま抜け出して、翌朝まで帰らなかったり、乗合馬車の料金を途中下車だからと払わなかったり、授業も予鈴ギリギリに教室にいれば良いと考えていたりと、行動規範という面で、良家の常識を欠いている。このような良家の常識を守らない側の人間から見ると、皆が守っているルールを守らないことに対して噂していたり、教師に言ったりすることが、意地の悪い行為に見えてしまうのかもしれない。しかし「キャンディ・キャンディ」のエピソードをイライザ視点で描いたら、また違ったものが見えてくるのではないだろうか。

キャンディが主人公だから見えないこと

テリィとキャンディが、イライザに騙されて夜に2人きりで会ったことで、キャンディとテリィの聖ポール学院での学園生活は終わってしまう。これは悲劇のように見えるが、それ以前にキャンディは、ステア、アーチーと3人で夜間に何度も会っている。3人は親族の関係にあるので、一見退学するほどでは無いと考えることも可能だが、常習性と、規則を破ることに何のためらいも持っていない事実は、規律を重んじる普通の学院生及び教師陣から見たら、異常な思考と行動のはずである。これらは「キャンディ・キャンディ」があくまでキャンディが主人公の物語なので、何でもないことのように描かれているだけである。イライザとキャンディの対立は、意地悪な者とそれに屈せず自分の考える通りに行動する者という見方以外に、規範の中で生きる者と、規範にとらわれず自分の頭で考え生きる、悪い言葉で言うと自由気ままに生きる者との考え方の違いとして整理することも必要である。

アードレー家という閉鎖空間が子供たちに与えた影響

結論としては、「キャンディ・キャンディ」における話の根幹は、アンソニー、ステア、アーチーの十代男子3人しかいない閉ざされた環境に、自分たちと同じ匂いのする女子のキャンディが投げ込まれたことにある。そして男子3人ともが、その女子に惚れてしまったことによる悲喜劇。アンソニーは途中離脱するが、その代わりに1人一匹狼を気取っていたテリィが追加投入され、混乱はエスカレート。一方のキャンディも同様に同じ匂いからアンソニーとテリィにひかれたという構図である。キャンディがステアやアーチーではなく、アンソニーとテリィに惹かれたのは、アンソニーもテリィも1人であるが、ステアとアーチーは兄弟であり、孤独の度合いが小さいからというのも影響している可能性はある。しかし、キャンディが、ステアとアーチーに対しては恋愛対象としては一顧だにしていない点は特筆すべきである。ステアとアーチーは、アンソニーに対しては紳士協定の名の下にアンソニー自身が抑制的であったため、少なくとも建前上は穏やかな関係を維持できたが、それがないテリィとの関係は、当初は最悪であり、特にアーチーのテリィへの嫌悪は激しかった。それを知ってかしらずか、キャンディは、ステアとアーチーとの友達としての交友を続けつつ、テリィへの想いを強めて行った。ステアとアーチーは、それぞれパティとアニーというガールフレンドを得るが、この2人はキャンディの友達の全てであり、基本的に3人で行動するので、ステアとアーチーは心の折り合いをつけるのに非常に苦労したと思われる。その意味でキャンディは残酷であるし、変な期待を一切持たせないという点では優しくもある。

北斗の拳との相似性

「北斗の拳」では、4兄弟が閉じられた世界で伝承者という名目のユリア争奪戦を少年時代に競っている。基本的に兄弟以外の同世代は登場しない。シンはケンシロウの幼少期からの友人のように描かれているが、これは北斗4兄弟の話が出る前の偽史なので除外する。ユリアも親しい女友達など出てこない。結局のところ、思春期の男兄弟4人に1人の女子が入って行った形なので、構造的には「キャンディ・キャンディ」と変わらない。つまり、アンソニー、ステア、アーチーは、順番はともかく北斗三兄弟のラオウ、トキ、ケンシロウで、キャンディがユリアに対応している。「北斗の拳」「キャンディ・キャンディ」ともに一世を風靡した人気漫画であるが、人間関係の基本構造は変わらないことがわかる。