Time is Priceless

時は金では買えません

【北斗の拳】第4巻 レイ登場(実際は3巻の終わりから) 


第4巻 第1話 ふたつの凶星! の巻

ユリアに似たマミヤ登場(といっても実は第3巻の最後でちらと顔を出しているが)。
ケンシロウがあまりにユリアに似ていて動揺するのは分かる。
最愛のしかも既に死んだと思っていた人間にそっくりだったのだから。

しかしわからないのは、次の人物の発言である。

バット「でもよケン どっかでみたような気がするな…」

…ありえない。

バットよ、どこでユリア見たんだ?
見たことないだろ。
バットお前は何者だ。人の心を読めるのか?
…と思ったら、その機会があった。

ケンシロウがシンと戦うときに物影から見ていたのだ。
精巧な「ユリアの人形」を(第2巻 第1話 執念と怒りの巻)。

だからバットは「会ったような気がする」ではなく「みたような気がする」と言っているのだ。
人ではなく物を見たわけだから。
感服…。

個人的にはこういう細工は好きだ。感動する。
一見、また筆が滑った矛盾だよ…と思わせて、実は巧妙に仕掛けている。
それも週刊誌といういつ連載打ち切りになるかもしれない話でこういう小技を出してくるとは。

話変わって、ここではレイもお茶目な発言をする。
ケンシロウの拳を見て、次の句を発するのだ。
「も…もしやこれは!? 南斗聖拳と唯一匹敵する一子相伝によってのみ伝えられると言う伝説の拳法」

一見普通の発言。
しかし、よく考えてみてほしい。
確かに南斗聖拳に匹敵するのは北斗神拳だけかもしれない。
そう言う意味で「唯一匹敵する」というのは正しいかもしれない。

でもね、南斗聖拳って108も流派があるんだよ。
そういう意味では結局、種類としては108+1=109個もレイの言うところの同等の拳があるわけで、109個のうちの1つに過ぎない拳を見ただけにしてはレイの驚き様は少々大げさに過ぎる。

第4巻 第7話 マミヤの賭け! の巻

ケンシロウのひとりよがりな正義が炸裂。
人質にとられたレイの妹アイリを前にして次のセリフ。
「その女を殺すなら殺せばいい おれはおまえを抹殺するためにやとわれただけだ!」

おいおい、
レイでなくともTPOをわきまえてくれと言いたい。
この場合は、アイリを救った上で敵を倒すことを考えるだろ普通。

ケンシロウお得意の性癖がまた出たわけだ。
目の前に悪事があったら反射的にその場で戦おうとし、それによって悪事の被害者がさらに酷い目にあうかどうかなど考えもしないといういつもの癖である。

さすがユリア似だけにケンシロウの性癖を見ぬいたマミヤが仕方がないから人質となっているアイリの身代わりを申し出て解決を図ろうとする。

こら、ケンシロウ。「やとわれた」って誰に?
マミヤ(もしくはマミヤの村)にだと思われるが、用心棒には雇われていると考えられるが、牙一族を抹殺するための雇ったとは誰も言っていないのではないか?
まあ、暗黙の依頼があったとしても、その雇い主の代表が命をかけようとしているのにあくまで最初の契約に従うというはいかがなものか。
確かに現代社会(199X年だけど)は契約社会と言われる。
でもね、法学上も「事情変更の法理」といって契約時から大きく事情が変わったら当初の契約内容はそのまま履行すべきものではなくなるという解釈があるのだ。
少しは考えろよ。ケンシロウ。

当然、事態は更に悪化する。
人質がアイリとマミヤの二人になってしまったのだ。

しかし、この期に及んでもケンシロウはペースを崩さないから凄いと言えば凄い。
「いったはずだ おれはきさまらを殺すためにやとわれた男だと!」なんて言っているのだから。
挙げ句に、「さあ 女を殺してみろ」とまで言う。
いいかげんにしろケンシロウ。
やはりこの人「生まれたときから暗殺者」だわ。

この点でもやはり伝承者はケンシロウで正解だった。
価値観の軸は「自分の中における正義」であり、他者への思いやりや自分と異なる考えもあるということなど考えてもみない。
優しさのない正義…これは怖い。
三方一両損という考えはない。
あまりに強すぎて弱者の考え方が理解できないため、物事に当たっては妥協や交渉という方法は頭の中には全くなく、「自分の正義に反する」=「倒してよい」となってしまっている。

ケンシロウのせいで、アイリや、ましてやマミヤは負わなくて良い怪我を余計に負ってしまっている。

第4巻 第9話 岩を裂く拳! の巻

レイのセリフ「かりにも南斗聖拳を極めたこのおれに」というのは解釈が難しい。南斗水鳥拳と書いていないからだ。作者もシンの時には「南斗聖拳」が一つの流派であるかのように描いていながら、レイにおいては「南斗聖拳」の一派である「水鳥拳」と言うことに後ろめたさを感じていたのかもしれない。

しかしレイは南斗水鳥拳は極めたかもしれないが南斗聖拳を極めたと言ってよいのだろうか。
108派ある南斗聖拳のうち1流派を極めただけで流派全体をまとめて極めたかのような表現をするのはどうなのか。
バットのような素人が言うのならば分かるが、拳の世界に生きるプロ、しかも流派のうち1つを極めたその当事者が個々の流派と全体の呼称を混同して言うことなどあるのだろうか。
考えられるのはレイはこれをケンシロウのために言っているわけではないというものだ。
周りにいる人間に自分の発言を聞かせる際に「南斗水鳥拳」と言うとわかりづらいので「南斗聖拳」と言っているのかもしれない。

いずれにしろ…といって話を大きく変えてしまうが、「おやじ」は罪なことをしたものだ。
義理かどうかはともかく「兄弟」であると思われるケンシロウとシンの一方(ケンシロウ)には一子相伝の特別な北斗神拳を授け、もう一方(シン)にはそこいらにも習熟者がいる南斗聖拳を授けているのだから。

まあ、シンに力が無いのならば仕方が無いが…、恐ろしいことにシンは一度ケンシロウを余裕で倒している。ケンシロウの胸に北斗七星の形に傷を負わす芸当を見せている。
それもケンシロウが北斗神拳の伝承者になった後に…。
本当に拳の世界の理解は難しい。