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【北斗の拳】第5巻 ジャギの哀しき正体


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ジャギは、他のケンシロウの敵が大言壮語を吐いて独裁的な支配を肯定する者ばかりの中、弟に対するコンプレックスという、小さなことで人生を狂わす人間らしさが見えるため、不幸な天才アミバと並んで通が好むキャラクターである。ジャギ自体についての掘り下げは、「ジャギより楽しい人生はない」のエントリに書いています。

第5巻 第1話 最後に笑う者!?の巻

ケンシロウの自分勝手さがたたり、なぜかレイとケンシロウが闘うことに。いや、本当にケンシロウは、手当たり次第戦う。考えることなどせず、単に反射として強い者を見ると手を出したがる。しかも相手を挑発して。非常にタチの悪い人物である。しかしこのレイとの戦いは少し趣が異なる。
2人の戦いにおいて、レイは「南斗虎破龍」ケンシロウは「北斗龍撃虎」の構えを見せる。
ここでは、武論尊氏の1文字の無駄の無いネーミングセンスが冴える。南北の対と、龍虎の対が綺麗に並ぶ。そしてこの「南斗虎破龍」と「北斗龍撃虎」という対の名から次のことがわかる。

南斗聖拳 は「虎」

世の中でだれもが実在を知っている「恐いもの」=>「陽拳」である。

北斗神拳 は「龍」

実在するかどうかわからない「恐いもの」=>「陰拳」である。

北斗の拳の設定にぴったりの対比と当てはめである。また、次のこともわかる。

南斗聖拳 は「破」る拳

敵を突き破るという南斗聖拳の特徴を1語で表している

北斗神拳 は「撃」つ拳

敵に打撃を加えるという北斗神拳の特徴を1語で表している

以上のように「南斗虎破龍」「北斗龍撃虎」は非常に内容の詰まった無駄の無いネーミングであったのだ。何、この天才仕事は。

第5巻 第2話 死のタイムリミットの巻

ケンシロウのいう秘孔に注目。明らかにケンシロウは敵の顔面を左右及び正面から殴っただけだ。にもかかわらず、「大胸筋という秘孔をついた」と言っている。

…私はツボ(あえてこう書く)についての知識はない。
しかし「大胸筋」はツボではなくて、筋肉の名前じゃないのか?しかもそれは胸にあるのであって顔には無いだろう?とは思う。繰り返すが私の無知かもしれない。
しかし、ギャグなのかもしれない。
それ以外の秘孔名が結構それっぽいだけに大胸筋が突出して異質な秘孔である点がギャグ説をサポートする。「南斗虎破龍」と「北斗龍撃虎」という、天才的ネーミングセンスを持つ者が、ツボの名前に一般的には筋肉の名前として知られる「大胸筋」とつけるとは考えられないからだ。しかしなぜ大胸筋が選ばれた?

第5巻 第3話 凶悪なるまなざし!の巻

ジャギ登場。

ここで原哲夫氏の小技が光る。
胸に七つの傷をつけてまで末っ子ケンシロウになりきる三男ジャギ。
しかし南斗聖拳を極めたシンに付けられたケンシロウの傷を再現することはできなかった。
そりゃそうだろう。シンに1つ1つ傷を付けられているのを見て、南斗最後の将ともあろうユリアがケンシロウの命乞いをするほどの傷なのだから。
そりゃあ大層痛いものだと容易に想像できるので、忠実な再現はかなりの精神力を必要とする。
で、ケンシロウの傷は1つ1つが円形をしているのに対し、ジャギのそれはつぶれておりしかも表面だけの浅い傷に見えるように描かれている。要は指を胸に対して垂直に突き立てて深く刺したか、斜めに表面をかするように刺したかの違いである。ジャギは覚悟が足らんから負けたんだな…と適当なことを言っておく。
いずれにせよ、それがわかる描写をする原哲夫氏の仕事は芸が細かい。

第5巻 第4話 死闘への旅だち!の巻①

ここで初めて3人の兄弟がいることが明かされる。
ケンシロウの重要な独白である。
「おれには…」
「3人の兄がいた……」
「北斗神拳の奥義が伝えられるのはただひとり!」
「そのため兄弟の間に血で血を洗う多くの悲劇がおきてしまった…」
「兄弟とはいえ血のつながりがないことがせめてもの救いだった…」
この場面には3兄弟の輪郭が見える。といってもかなり大雑把なのであるが、その後を知る我々には、向かって左がトキ中央がラオウ、右がジャギだろうと推測できる。

このシーンから何を読み取るか。
着目したいのは、ここではその後のストーリーで絶対の善玉であることが分かるトキについて全く触れられていないという点である。
ケンシロウにとってトキは命の恩人である。一度ならず二度も救われている(ということが後でわかる)。
この事実を踏まえれば、他の二人と違ってトキが善玉であることに言及してもよさそうである。

しかし、繰り返しになるが、次のセリフからはそれが見えない。
「おれには…」
「3人の兄がいた……」
「北斗神拳の奥義が伝えられるのはただひとり!」
「そのため兄弟の間に血で血を洗う多くの悲劇がおきてしまった…」まあ、1人の女の取り合いと兄としての嫉妬がメインだから悲喜劇というのが正解だがな。
「兄弟とはいえ血のつながりがないことがせめてもの救いだった…」いやいやいや、自分とユリアはトキに救われた命だということを忘れたのか?やはり薄情だなケンシロウ。

この段階では3人の兄弟は全て悪玉という設定であったのだろう。
三男、次男、長男の順に、より強い敵と戦っていくという少年マンガに有りがちな展開の筋しか考えられていなかったのではないだろうか。
これは非常に微妙な問題で、同じ第5巻の「非情の掟の巻」でのトキの描写はどっちにも転がれるようになっている。
まあ、この曖昧さがアミバという愛すべきキャラを生んだはずであるから結果論的には良かったわけである。

しかし、この段階ではケンシロウは3人の兄弟全てが生きているとは思っていないことになっているようだ。
つまり、ジャギのみ生きていると思っている節がある。
これについては「非情の掟の巻」のところで述べる。

しかしジャギのみを敵とするのに「死闘への旅だち! の巻」という題名は大げさすぎるし、話の中でケンシロウが「今度ばかりは生きて帰れるという保証はない!」と言っているのもジャギだけを相手に考えているならば謙遜しすぎというかケンシロウが謙遜するというのもおかしいし理解できない。
なぜならケンシロウはジャギと対面した時から倒すまで自信がみなぎり、かつ何の危険もなく戦いに勝っているわけで。

この「死闘への旅だち! の巻」という題名と話の内容との差は、話の展開上はまだジャギ以外の兄であるラオウとトキが生きていることをケンシロウが知ることができないはずという設定であるが、作者が既に三人の兄とケンシロウを闘わせることを構想に入れていたため、ケンシロウが知る範囲の情報を超えて作者の知る情報が題名に反映してしまったということだろう。
逆に、3人の兄の存在とそのうちの一人へ向かう話から読者に後の二人にも向かって行くということを最初から言っておくという確信犯的宣言であるのかもしれない。

第5巻 第4話 死闘への旅だち!の巻②

ここでジャギがケンシロウを名のって悪虐な行為を行うが、それに対し長老風の男が「うう…胸に七つの傷の男は弱者の味方ではなかったのだ!ただの人殺しだ!!この世に救世主なぞ おらんのじゃあ!!」などと言っている。当たり前だ。ケンシロウは自分で「おれは生まれた時すでに暗殺者だった」と言っている人間だ。
シンを倒したのもラオウを倒したのも単なる個人的事情からで、別に世の中をどうこうしようという気は見られない。
また「北斗現われるところ乱あり」なのだから、仮にケンシロウでなくとも北斗神拳伝承者に「弱者の味方」という幻想を抱いてはならない。
単にケンシロウの行動がたまたま弱者の利益と重なったことがあったにすぎない。
偶然のことなのだ。
そこを間違えて、ケンシロウという自分のことしか考えない人間を崇め奉ってしまうというのは、大衆の悲しい性か。

さて、この巻では、いきなりジャギが「おれの名をいってみろ~」という名言を吐くところから始まり4ページほどお暴れになりジャギ様の高笑いでケンシロウのシーンに移るが、ジャギ高笑いの次のコマがケンシロウの右肩のアップだ。右肩のパッド?に左手を添えている。次のコマはもう少し引いて右胸、右肩、顔が描かれる。やはり左手を右肩に当てている。そしてどうも座っていたようで「ズシャッ」と立ちあがる。レイの「やはりいくのか…」に対して「ああ…」と応える。このシーン、右肩アップの意味はなんなのだろう。不明。

第5巻 第5話 幼き義性!!の巻

ジャギがマコ、アキ兄弟に絡む話だ。弟コンプレックスのジャギが兄思いの弟に酷い仕打ちをするわけであるが…、良く読むと意味深い。
ここはジャギの人格を物語るエピソードなのだ。
弟アキの目つきに自分の弟ケンシロウの目つきを思いだすのだが、ジャギはそこでぐっと耐え、きびすを返して立ち去っている。
ジャギは兄思いの弟を見て、憎きケンシロウを思いだすも、当然のことながらアキはケンシロウではないことを分かっている。
よってアキに暴力をふるうことの理不尽さを理解したので感情をコントロールして立ち去ろうとするのだ。
このエピソードからジャギにも理性があることがわかる。目先の事象だけで一瞬にして善悪を独断で判断して相手を倒してしまうケンシロウとは理性の幅が違うのだ。
ジャギは自分のコンプレックスに触れることでも理性でグッとこらえることができるのだ。

しかし残念なことにジャギの手下のレベルが低かった。
ジャギにいらぬ感情爆発をさせてしまう。

しかしやはり弱者を殺すわけにもいかずジャギはアキの足に重いコンクリートの塊を鎖でつなぎ町から離れた砂漠地帯に放置するのである。
これに遭遇したケンシロウは「ジャギ!!きさまには地獄すらなまぬるい」とか言うのであるが、自分が倒してきた末端の兵が家族持ちでしかもシン等に脅されてしかたなく兵士としての役をつとめていたかもしれないということを考えてもみない完全な自己中心的場当たり思考の人間であることに気づいていない人間に言われたくないセリフだ。
こういう人間が一番タチが悪い。断片的発言はことごとく正論だからである。しかし発言を通してみると、同じシチュエーションでも他人に対する時と自分に対する時では真逆のことを平気で言えたりする。こんな人間が力をもったら恐ろしいことに…ってケンシロウは持っちゃってるな。

第5巻 第6話 師父の予言!の巻

ケンシロウの回想シーンでジャギはこんなことを言っている。
「ケンシロウはまだまだヒヨッコだあ!この腕では北斗神拳を継ぐことはできん早くおれに決めたらどうだ!!」
ジャギは一方で、その前の「幼き犠牲!! の巻」において「兄より優れた弟なぞ存在しねえ!!」と言っている。これはおかしい。後者の言の論理では、三男のジャギは長男のラオウを差し置いて伝承者になれないはずであり、先者の言と矛盾する。このあたりの論理力のなさも伝承者争いからはじかれた一因であったのだろう。

第5巻 第7話 非情の掟の巻①

ここで伝承者がケンシロウに決定した時のエピソードが語られる。
これもまた変なのだ。
伝承者決定時にジャギはご自宅の鏡の前で身だしなみを整えている様子。そこにジャギの子分らしき者が飛びこんできて「ジャ…ジャギさま おそれていたことが!!」「北斗神拳の伝承者が あのケンシロウに!!」とか伝えている。
ん?子分?
ジャギよ、一子相伝の暗殺拳の伝承者レース中に子分など作ったり鏡の前でポーズ取っているようじゃだめだよ。やっぱり。
拳に専念しなきゃ。

それに、伝承者候補本人より子分のほうが先に伝承者決定の結果を知ったというのもね…。

第5巻 第7話 非情の掟の巻②

ここでは、北斗神拳の一子相伝の掟をジャギに語らせることで読者に説明している。
自然な流れでかつ重要な情報を読み手に知らせるなかなか上手い構成だ。

「伝承者争いに敗れた人間がどういう運命をたどるか!」
「拳を封じられ名のることも許されん!そのためある者は拳をつぶされある者は記憶を奪われた」
「それが北斗神拳をめざしそして敗れた者の一八00年の宿命だ!!」
そしてそのコマに添えられているのは、手を砕かれた者や顔の左右を突かれた者の絵を載せている。

しかし、これがまたおかしい。
なぜなら現にラオウ、トキ、ジャギは普通に拳を使用して生きているし、先代のリュウケンが共に修行したコウリュウも第11巻に出てくる。
まあ確かに仏像を彫って隠遁生活を送っているようであるが、子供二人がいるぞ。
しかも最後はラオウと闘ってしまっている。拳も封じられていないし記憶も通常だ。

名のることも許されないどころかラオウは「拳王」とか別称まで世に知れ渡っている。
いや「ラオウ」と名のることを許されなかったから「拳王」名乗ったと言うことかもしれない。
しかし、「ラオウ」より「拳王」のほうが北斗神拳的には名のって欲しくない名前だと思う。

よく考えれば、第1巻第1話で描かれた「み…水…」とかケンシロウがのんきな芝居をうっていたとき、
ジャギもラオウもトキも場所は限られてはいたが既に名を成していたと思われる。
正当な伝承者だけが冴えなかったわけだ。ひょっとしてケンシロウがジャギやラオウと闘った真の理由は、
伝承争いに敗れたはずの彼らなのに自分より良い目にあっているではないかという妬みだったのではないだろうか。
これじゃあ、伝承者が名乗ることも許されずって状態ではないか。

こじつけが過ぎたので話を戻す。

「伝承者争いに敗れた人間がどういう運命をたどるか!」
「拳を封じられ名のることも許されん!そのためある者は拳をつぶされある者は記憶を奪われた」
それはわかった。
しかし、だれがその役目を引き受けるんだ?

落選したとはいえいやしくも伝承争いをしていた者だぞ。
彼らの拳を封じるのはどういう手段で行うのか?
どう考えてもそれができるのは先代か新伝承者しかいないと思う。
しかし返り討ちされる可能性は非常に高いとも思う。

であるけれど、「それが北斗神拳をめざしそして敗れた者の一八00年の宿命だ!!」
というように、なぜかずっとこの掟が守られてきたようだ。
どうやって実現してきたのか大きな謎である。

現にケンシロウに伝承者が決まった後もジャギはともかくラオウとトキは拳を封じる気など全くないことを見ても分かる通り、
伝承者争いに敗れたからといって自分から進んで拳を封じる者などまれだ。この掟は非常に実現困難だと思う。

しかし考え様だ。
要は、卒業試験なのだ。
伝承者争いに敗れた者の拳を封じることは伝承者に課せられた義務で、それが卒業試験になってると考えるのだ。
それで相手に負けるようならそれだけの拳の腕だったと言うことで勝った者が変わりに伝承者になればいい。
これが一子相伝の意味なんだと考えれば、つじつまは合う。

ということで、ケンシロウはジャギ、トキ、ラオウの拳を封じなかればならなかったのだ。
彼ら全員の拳を封じて初めて正式に伝承者となるのだ。

そんなあほなと思われるかもしれない。
しかしサウザ―の南斗鳳凰拳を見ていただきたい。
これは徹底した一子相伝で、伝承者争いという概念が最初からない(ようだ)。
始めから一子にしか伝えないのだ。
その南斗鳳凰拳が伝承の総仕上げに行うのが先代倒しだ。自分に拳を教えてくれた先代を倒して初めて伝統者として認められるのだが、
これを北斗神拳では伝承者争いに敗れた者の拳を封じることと相似形であると考えれば理屈に会う。

拳       倒さねばならない相手
南斗鳳凰拳 :  師
北斗神拳  :  伝承争いをした者

いずれにせよ、だからこそケンシロウは第6巻第1話「乱を呼ぶ星の巻」で「もし…もし生きているならば…おれは 会わねばならん!!」と言っているのである。

一子相伝の伝承はなかなか難しいものだ。


ただ、この話の段階ではジャギは生きていることが分かっているがラオウ、トキの生存は確認されていない(ことになっている)。
現にジャギを倒した「怒拳四連弾!! の巻」において、ジャギがその死の寸前に言ったセリフ「きさまにはまだふたりの兄が
いることを忘れたか」と言われてケンシロウは「な…なにあのふたりが生きていたのか!!」と動揺なんかした顔をしている。

しかしよく考えて欲しい。
本当に動揺しているのか動揺しているフリをしているのかを。
伝承の掟では、伝承者が伝承に敗れた者の拳を封じなければならない(はずだ。それが先代の役目かもしれないが先代はラオウに倒されたので必然的に伝承者であるケンシロウがその責を負う)。

しかし返り討ちはいやだから、自分のことしか考えないケンシロウは当然兄達との関係にケリをつけることなく逃げ出したようだ。

だから兄達の生死は知らない。というかそもそもケンシロウは自分にとって都合よく兄たちが死んでいるなんて思っていないはずだ。
ラオウ、トキ、ジャギといった、あれほどのキャラがそうそう死ぬわけないのはケンシロウでなくともわかる。それなのに驚いて見せる様は役者だ。後継者争いに敗れた者たちのケリをつけなかった自分の義務違反をあくまで知らぬフリをしてやりすごすつもりらしい。

第5巻 第7話 非情の掟の巻③

非情の掟の巻についてはまだ続く。
やはりシン後の物語を進める上で、このジャギ登場あたりが重要なポイントであったのだろう。
その後の話の基盤を固めに入っており、様々なエピソードや秘密があかされている。
そう言う意味では、ジャギという北斗兄弟の一員で伝承者争いも最後まで残っていたのに小悪党寄りの評価を受けがちなキャラは可哀想である。

さて、ここで初めて倒した敵を「強敵(とも)」と呼んでいる。
題名では「強敵(とも)」とフリガナをしながら、話の中で最初に出てくる時は、
「……おれは今日まで無数の敵の血を流してきた……」「友と呼べる強敵(ライバル)たち」
と「ライバル」とフリガナを付けている。そしてそれ以降はすべて「とも」としている。

「強敵たち」と言いながら、背景に浮かび上がるのはシンの姿のみ。一人しかいないのだから「たち」という複数形
は変である。
それは作者もわかっていて、ジャギに「強敵!?シンか!シンのことだな」と複数形を否定した発言をさせている。このあたり自然に話が流れていて見落としがちであるが原作者の計算された誘導であろう。
今は一人しかいないが今後「強敵たち」は増えていくのだから。
シンしかいないからといって「強敵(とも)」と単数にしてしまうと「シン」=「強敵」と固有名詞に結びついてしまうのでそれを避けたかったと思われる。
すごい計算だ。

しかしケンシロウの背景にシンだけがいる「強敵図」も異様である。しかし、これが段々増えることを想定した作画は偉い…というか、考えてみればこれはロールプレーイングゲームだ。主人公の後ろをついて歩く同行キャラ。がだんだん増えていくということだ。

第5巻 第7話 非情の掟の巻④

非情の掟の巻についてはまだまだ続く。

ジャギはケンシロウに対し北斗神拳を繰り出す。
「北斗羅漢撃」という技だが、何ゆえ正統伝承者であるケンシロウに技の名を言っているのか不明。
技見ればケンシロウにはわかるはずだからだ。

ひょっとして「北斗」とついているがジャギオリジナルの技なのかもしれない。
なぜなら、ジャギが南斗聖拳を繰り出す時には「南斗聖拳」と技の名を言ってはおらず、ケンシロウが見破って「南斗聖拳!!」と言っているのだ。

また、「北斗羅漢撃」以後は南斗聖拳で闘うということは、北斗神拳を使わないと言うことだが、これは、ジャギが北斗の掟を忠実に守り、伝承者争いに敗れた以上、自らを律して(北斗神)拳を封じていた可能性が考えられ、そう考えると「北斗羅漢撃」は、北斗神拳ではなくジャギの創作技の可能性が出てくるのだ。
なぜなら北斗神拳の伝承者相手に技の名前を名乗っているのだ。北斗神拳の技であるのであれば名乗る必要がないはずだというのがこの可能性をサポートする。

伝承者争いに敗れた者は拳を封じられると言うエピソードはジャギ自身の口で語られており、ジャギの頭がこの掟に縛られ、かつ恐れていた可能性は非常に高い。
そんな掟などお構いなしで拳を封じる気など全くないラオウ、トキのような悪党とはジャギは違うのである。
トキは後にラオウに闘いを挑む際、一子相伝を持ちだしてラオウの北斗神拳を封じるために闘うのだと言っているが、一子相伝の北斗神拳の掟を乱す者を倒すために自分は北斗神拳使って倒すと言う論理はいかがなものか。刑法で言う緊急避難の論理なのだろうか。よくわからない。
このあたりはトキの怪しい人格を窺わせる。

「北斗羅漢撃」は、北斗神拳ではなくジャギの創作技であるという考えに反する言動は「北斗羅漢撃」の直前にジャギが「今こそ おのれに 北斗神拳の真髄をみせてやるわ!!」と言っている点だ。
明確に「北斗神拳」と言っている。

しかし、これは、ちょっと考えれば、北斗神拳の正統伝統者に対して言う言葉ではないとわかる。
つまり伝承されている正統な北斗神拳ではない技を出すぞと宣言しているとも取れる。
であればこの発言でジャギの創作技である可能性が高まるともとれる。

いずれにせよ「北斗羅漢撃」は余興で出してみたが、本格的には「南斗聖拳」で勝負すると決めたらしい。
塑像らしきものを大きく損なうことなく手を突き込んでいる。これは恐ろしく高度な技であると思われる。
破片を一切出さず突ききっているのだから。

ケンシロウもそれを見て、大きく驚く。
「南斗聖拳!!」と大活字で言う。北斗神拳伝承者争いをしていた相手が南斗聖拳を使うわけであるから、そりゃあ驚きだろう。

ケンシロウの口からは「どこでそれを身に付けた…」という素朴な疑問が出てしまう。それに対しジャギは「フフ…これから死ぬきさまにいう必要もあるまい」と言葉を濁す。
こういう場合、「冥土の土産に聞くが良い…」というのが普通の物語の展開だと思う。しかし北斗の拳ではそうならない。唐突にジャギが南斗聖拳を使い、そこに理由は付されない。しかも、「どこでそれを身に付けた…」と拳の達人中の達人である北斗神拳正統伝承者に言わせるほどであるからそれなりの強さでケンシロウをてこずらせるはずだろうに、特に何もできず終わってしまう。

なんだか良くわからない展開である。

しかし、特筆すべきは、ジャギが使うのは「南斗XX拳」ではなく「南斗聖拳」である点だ。
ジャギはシンをけしかけてケンシロウに戦いを挑ませたわけであるから、シンからユリアを得ることができた礼として教えてもらったのかもしれない。「南斗××拳」と流派名をいわず「南斗聖拳」とだけ言うところもシンと同じだからシンから教えてもらったというのが正解なのだろう。説明もなく南斗聖拳が使えるということだけを描く理由を探すことは難しい。しかも、ケンシロウを全く脅かさない南斗聖拳のエピソードにどのような意味があるのだろうか。

いずれにせよ、不本意であっても北斗神拳伝承者争いに敗れたからには北斗神拳を封じるという掟に従ったジャギはその一点だけでも偉いと思う。
私はこの話の中に、ジャギは人道的には悪い奴だけど、ルールを厳格に守るという長所もある奴なんだよということが込められているのだと思う。「悪人だからといって全ての行動が悪なのではない」ということを言いたいのだと。
逆にトキのように人格者のように見られがちな人間も、北斗神拳の掟に従って拳を封じる気などさらさらないように、善人といっても全ての行動が良いわけではないということだ。

しかし北斗4兄弟の中でなぜジャギだけがルールにこだわる人間なのかわからない、謎だ。