何かタイトルに異変が起きている。
これまでの各巻タイトル
第1巻 鬼コーチ 宗方 仁の巻
第2巻 関東大会 ダブルス1回戦の巻
第3巻 めざすは世界一!の巻
第4巻 例外メンバー 岡ひろみの巻
第5巻 全日本ジュニア選抜試合の巻
第6巻 ひろみの青春の巻
これを眺めるに、第5巻までは客観的な事象がタイトルになっていた。ところが、この第6巻は、青春などという抽象的、主観的、情緒的な言葉が使われている。しかも、一般的な青春ではなく、"ひろみの"青春なのである。これは何かある巻だと身構えるべきである。
エースをねらえ!における青春
このマンガは、高校テニス部を舞台にしたスポ根マンガなので、最初から青春は主要素であるはずである。そこに敢えて「ひろみの青春の巻」と言ってくるからには、何か特別な青春に関わることがこの巻で起きるということである。
表紙
で、第4巻と第6巻の表紙を見てみよう。
この第4巻と第6巻の間に入る第5巻は、ひろみの腰から上の描写とひろみの顔のアップの組み合わせであり、藤堂を含めひろみ以外の人物はいない。そして第6巻では、第4巻で2人の絵の手前の位置に有ったバラのつぼみがなくなり、代わりに宗方コーチの顔が後ろの位置に挿入されている。これは、第4巻のバラのつぼみで表現されたひろみと藤堂の始まりかけの恋が、第6巻では宗方の監視下に置かれるものになるという暗示か。バラがなくなっているので、恋自体消されたということも考えられる。実際、6巻ではひろみと藤堂との関係は進むのであるが、その分、宗方コーチの影が大きくなり、藤堂もひろみもその中でしか動けなくなっていく。ただ、宗方コーチも2人の人格は認めており、非道なコーチというわけではない。しかも、第4巻の表紙では下を見ていたひろみの顔が、第6巻では藤堂と同じ前方を見ており、これはこのマンガの世界観的には正しい方向に進んでいるということを示しているのだろう。この第6巻でひろみが藤堂と同じく前を向いているということは、第4巻との間に入る第5巻の、岡ひろみしか描かれない表紙が、第4巻と第6巻の間にひろみが自力で何かを得たということの象徴であると考えることができる。
岡ひろみの恋の構造
43ページで、ひろみは自分のいまの感情について、次のように分析している。
ここまでわたしがこられたのはコーチのおかげ
これからもコーチなしではすすめない
そしてそのコーチにここまでついてこられたのは藤堂さんのおかげ…!
藤堂に対する恋の構造を宗方コーチを絡ませて理解しているのはものすごいことだと思う。また、だからこそ悩むことになる。そして、ここが一番大切なのだが、この構造についてひろみはこの第6巻で明確に気づいたが、宗方コーチも藤堂も、とっくにそれに気づいて動いていたということ。愛ゆえに…。とはいえ、現在の感覚で言えば、ひろみは宗方コーチに過度に依存した状態である。
ひろみの青春と題するだけある
冒頭から、藤堂がひろみに優勝メダルのネックレスをあげるわ(それ以降、ひろみはテニスウエアの時は必ずこれを身につけている)、ひろみが手編みのマフラーを送るわ、青春しまくりである。最後は、風雨激しい洞穴の中で、寒さを防ぐために藤堂の胸に抱かれたらしい。ここの描写はあまりに曖昧でわからないが、宗方コーチの発言から想像できる。まさに、ひろみの青春であり、この巻のタイトルに恥じない内容である。
お蝶夫人の髪
少女マンガの背景に花びらや葉っぱはつきものですが…
157ページのこれ。お蝶夫人の縦ロールです。これが背景になるとは!しかも特にお蝶夫人を暗示する場面というわけでもなく。こういうの感動する。
お蝶夫人の青春
ひろみと藤堂が、本人達以外は皆がカップル成立に気づく状況の中、お蝶夫人も藤堂への忍ぶ恋に諦めがついたよう。172ページで、こむら返りを起こしたひろみへのサポートを申し出る藤堂に対し、お蝶夫人は穏やかな表情でながめ、何も言わず去っていく。報われないなお蝶夫人。というか、お蝶夫人は、藤堂のことを好きであるとともに、ひろみのことも好きで、その2人が相思相愛というのは、かなり精神的にくるはずなのであるが、なんとも言えない表情ではあるが、取り乱すこともなく、結構普通の顔をしている。さすがお蝶夫人である。
この境地に至るのは大変であったと思う。生徒会副会長、女子テニス部キャプテンでひろみに目をかけていた自分が、そのひろみにテニスで脅かされ、密かに想い続けていた藤堂までも持っていかれたのだから。第1巻102ページで、ひろみが藤堂に自宅まで送ってもらったと知った時のお蝶夫人の表情と比べれば、お蝶夫人の成長もしくは諦観がはっきり分かる。
それでもひろみが好きだということだ。お蝶夫人、優しすぎるというか、優しさの発動・維持条件が一般人とかなり違うので、面食らう。え?それでもひろみに尽くすの?と思うような行為をお蝶夫人は取る。