Golden Time

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【エースをねらえ!】藤堂からもらったメダルの行方


藤堂からもらったメダルは、その後どうなったのか。

総論

ひろみは、藤堂からメダルをもらうまで、ペンダントの類は着用していない。これを前提に、メダルをもらった後に描写される、首飾りのようなものの着用は、明らかにそれでないという表現がない限り、この藤堂のメダルとする(結論としては、鎖の形状から見て藤堂のメダル以外のネックレスの着用は認められない)。確定的に言えるのは、もらった直後は着用するシーンがあり、明確にメダルを身につけていた。しかしその後は特に言及もなく、何か明示されないが丸いペンダントトップの付いたネックレス様のものを身につけている。

貰った時期

第6巻7ページ。西高祭の後夜祭で、2人はフォークダンスには加わらずいた。その場で藤堂は、ひろみに出会えたことの感謝の気持ちとして、ひろみにメダルを渡す。藤堂が去った後、ひろみは、宗方コーチに見られていたことを知り、メダルを返すと言うも、宗方コーチは受け取れと言ったため、ひろみはメダルを持ち帰る。

同19ページ。自室で初めて身につける。それからは、練習時はもちろん、自宅でくつろいでいる時も身につけている描写がある。

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第8巻25ページ。バスタオルの内側にメダルがあることから、入浴中も身につけていることが分かる。このことから、基本的に、描画を省略したと言える場面を除き、藤堂のメダルは常時身につけていると思われる。ただし、このカットの前のカットでは、メダルがタオルの外に出ているように描かれているので実はなんとも言えないのだが。

第12巻ベル・ブラウン戦

なぜかこの戦いにおいては、メダルは1度も描かれていない。この試合でひろみは敗れる。また、この試合は、宗方コーチの死後最初の大会で、まだひろみは宗方コーチの死を知らない。この様な状況のため、作者は藤堂のメダルを描かないという選択をした可能性はある。本人は知らないが、宗方コーチの弔い試合となる試合で、藤堂の象徴であるペンダントを描かない方が演出上の効果があると判断したと思われる。その後、ひろみは宗方コーチの死を知ることになるが、第12巻を通じ、ひろみが藤堂のメダルを身につけていると分かるシーンは描かれない。ここまで徹底されると意図的と考えられる。そもそも、この第12巻冒頭でベル・ブラウン戦に敗れたとはいえ、ひろみは自身でメダルを獲得している。これはジュニア世代の世界戦のもので、宗方コーチの弔いの意味を持つので、藤堂の高校時代最初に得たメダルに勝りこそすれ劣ることはない。既にここで、藤堂のメダルの価値は、「藤堂が得たもので藤堂から貰った」というところにしか無くなっている。

第13巻メンバー選手として参加の試合

ひろみがようやく再び藤堂のメダルを身につけている場面が描かれるのは、精神的に大分復活し、メンバー選手として各県のイベントに参加した147ページである。特に身につけるシーンを描くことなく、テニスをしているカットの中にさりげなく揺れているペンダントが描かれている。このイベントは特に重要なものでもなく、これから定期的に開催されるものなので、その様な場でペンダントを付けていたということは、この後は、基本的に身につけていると考えるべきである。

しかし、この様に大きく胸の開いた服を着用していてもメダルが確認できないシーンもある。

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それでも、同じ時間的流れの中の5ページ後には、しっかり描かれている。インナーの3本線も、なぜか1本線に変わっているけれど…

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この鎖の角度から言って、もし着用しているならば、1枚目の画にも必ず描かれるはずである。が、実際描かれていない。これは、忘れた、意図的な省略、のいずれなのであろう。この後も、メダルが描かれて良いはずの場面で描かれていないことがあるが、例えば試合であると、1コマだけメダルを描くことで他は描かなくたも着用していることにする等、おそらく意図的な省略がなされている。

第16巻表紙

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表紙にちゃんとメダルが描かれている。しかし、物語中にはメダルは描かれていない。第17巻も描かれない。

最終第18巻

表紙にメダルが描かれている。また69ページには、過去最大級に大きく描かれている。

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ただしこれ、セリフを見て分かる通り、藤堂の想像の中のひろみなのである。そして第18巻のそれ以外のコマでは、やはり描かれていない。ちょっとこれは作者の意図というより、悪意がある様な気がする。ひろみの気持ち、藤堂の気持ちとは別に、表現上の技法として、ひろみが既にテニスプレイヤーとしては藤堂を越えているため、藤堂のメダルの象徴的役割は無くなったと考えると、この藤堂の想像でのみ特別に大きく描かれたことの理解ができる。少し残酷な気がするけれど、これは、実際のひろみはもっと先に行っているぞという暗示とさえ取ることができる。