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【秒速5センチメートル】「頼る」こと「頼られる」ことと結びつく感情について


「秒速5センチメートル」にて、貴樹が関わりを持った女性3人について、貴樹との関係、特に頼り頼られる関係に着目してみてみる。

明里は思春期初期故に貴樹を頼る

人は生まれてすぐから自分以外の誰かを頼らないと生きていけない。しかし、頼られることはなくても生きては行ける。小学校高学年から中学校の始めまで、明里は貴樹を頼った。しかしこれは特別なことではなく、明里がそれまで生きてきたのと同様に、他者に頼っただけのことである。親、教師を頼るのと同じ感覚で、貴樹にも頼っている感じである。

一方、貴樹は明里に頼られた。これは恐らく、貴樹の人生で初めてのことであったのではないだろうか。貴樹は頼られることに対し自らが肯定的な気持ちになった。そしてその感情を貴樹は、明里を愛しているということだと解釈した。愛とは相手の頼る気持ちに応えることだと。そしてこの考えからは、恋人関係とは、どちらかの頼る気持ちに一方通行で応えるだけではダメで、互いが互いを頼り、互いに応える関係にならないと相違相愛、つまり付き合っている状態にないということになる。

貴樹が明里に会いに行ったのは、転校して寂しい思いをしている明里を慰めるために行ったのではない。自らの転校が決まり不安定な心になった貴樹が明里を頼るために行ったのである。明里は「いざという時に電車に乗って会いに行けるような距離では無くなってしまうのはやっぱり少しちょっと寂しいです」と手紙に書いているのもこれを裏付ける。貴樹の往訪は、貴樹が今、「いざという時」であり、だからこそ、夜が明けた後、駅のホームで見送る際、明里は「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」と言うのである。これは明らかに頼られた側の言葉である。そして貴樹は明里に「ありがとう。明里も元気で。手紙書くよ。電話も」と言うのである。この貴樹が明里の住む街を訪れるエピソードの中で、明里はまた電話するとも手紙を書くとも言わない。これは、小学校の卒業式の後は、転校した明里から手紙を書いたり電話をかけたりと、明里が貴樹を頼っていたことの逆となっている。電話や手紙、そしていざという時に会いに行くのも、貴樹と明里の2人の関係においては、頼る側からするものなのである。

花苗は思春期後期故に貴樹を想うが頼らない

一方、第二話で登場する花苗は、貴樹のことを好きで告白しようとするが、諦める。それは貴樹が自分に対し優しく接してくれるが、しかしそれが特別な感情から来ているものではないことに気づいたからである。

これは、貴樹の側からは当然の反応である。頼ってこないものには頼らないというのを貴樹は未だに貫いているから。花苗は貴樹を頼らない。それは貴樹のことを想う故のことであり、嫌われたく無いという感情が入っている。これは相手を思いやるが故の感情であるが、貴樹はこれを理解できない。ここにすれ違いが生じてしまっている。
単車が不調となった際に貴樹が一緒に歩いて帰ると言った際も、「あたし1人で歩くよ。遠野くんは先帰って」と言う。これに対し、貴樹は、「ここまで来れば近いから。それにちょっと歩きたいんだ」と言う。この返事の前半は分かる。一緒に歩くことに対する肯定的理由を述べているのである。しかし後半は直ちには分からない。なぜ歩きたいのだろうか。これは、花苗が自分のことを好ましく思ってくれていることは分かるのだが、頼ってこないことの意味を測りかねているのではないだろうか。自分の方から頼っても良いとアプローチしても、それを花苗は少なくとも言葉の上では素直に受け入れないのはなぜか理解しようという気持ちが、「それにちょっと歩きたいんだ」という言葉になったのではないだろうか。つまり、頼らないと本人に拒絶されても、頼られる状態に自らを置くということである。だからと言って、貴樹が花苗を愛しているとか、花苗を頼ろうとしているとかいうものとは違うように思える。明里との関係で得た愛の定義が、花苗との関係において当てはめられないことに対する戸惑いかもしれない。

花苗は高校生なので、明里のようにべったり貴樹に頼るということはなく、相手の気持ちを考えながら行動しているが、しかし半年ぶりに波に乗れたから、貴樹に告白しようと考えるほどには、まだ若さがある。

元恋人水野さんは大人であるが故に頼らない

第三話登場の水野さんは貴樹と互いに愛を育もうとしたのではないだろうか。そしてそれが故に貴樹に近づけなかったのではないだろうか。

水野さんとは会話するシーンはなくて、メールの文面しか明かされないが、次のようなメールを貴樹に送っている。

こんにちは遠野くん。
ちょっとお久しぶりですね。
お元気ですか?
ずいぶん迷ったのですけれど、やっぱり私は遠野くんに伝えなければいけないことがあります。
あなたのことは今でも好きです。
でも私たちはきっと
1000回もメールをやりとりして、
たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした。

まず、前半。3年付き合った水野さんは貴樹を「遠野くん」と呼んでいる。このメールの日付は、2008年2月2日となっており、「ちょっとお久しぶり」と描かれている。2007年のクリスマスソングが流れる夜に携帯電話を鳴らされて貴樹は出なかったので、この時期に貴樹と水野さんは別れたのだろう。それから3年前となると、2004年秋〜冬頃となる。第二話の高三の話が1999年なので、大学受験で浪人もしくは留年、または大学院進学していれば2004年秋は学生時代、していなければ社会人1年目となる。学生時代であれば、「くん」付けは自然であるし、貴樹が社会人1年目で、水野さんが会社の同期もしくは先輩であれば、これも「くん」付けでもおかしくない。何れにしても、この「くん」付けから得られる印象は、対等で独立した関係を築こうとする人格である。メールの文面からは、水野さんは、貴樹とは対等な関係で、互いの距離を縮めて行く方法で愛を確かなものにしようとしていたと考えられる。また、わざわざそのようなことをメールで伝えようとしている。これは、中学生の明里や高校生の花苗とは違う大人の行動である。

人の数だけ、成長段階だけ愛し方があることの理解ができない貴樹

大学受験に二話のタイトルが「コスモナウト」と付けられた意味。コスモナウトとは、
「(特に旧ソ連の)宇宙飛行士」である。
https://www.google.co.jp/amp/s/ejje.weblio.jp/content/amp/cosmonaut
ソ連は1991年に崩壊している。つまり、第二話の1999年時点で既に存在していない国家である。それをわざわざタイトルに持ってきたことの意味。
コスモナウトは、時代についていけていない宇宙飛行士と読むことができる。
また、コスモナウトが、無数の星のきらめく宇宙を知るために飛び立つ者であることも理解できる。
第二話タイトルである「コスモナウト」が、貴樹を指すものであると考えて読めば、貴樹の恋愛感は、思春期初期である中学生時の明里との経験で止まっている。故に相手が思春期後期の感情や大人の感情での恋愛を求めて来ても、それに対して対応する気はない。あくまで思春期初期のべったりと相手に頼る恋愛を求めている。世の中には無数に女性がいる。それは事実。しかし、宇宙飛行士が地球以外の星を訪問できる機会はほぼなく、人類でも訪れることができたのは月だけであり、世の中に無数の女性はいても、貴樹の周りに自分が求める女性がいるとは限らない。しかも、貴樹は時代遅れの感覚で止まっているため、仮に現在の明里に会ったとしても、明里は既に大人の女性になっているので、貴樹の求める女性ではない可能性が高い。貴樹は、恋愛について周りに合わせて成長できず、自分から積極的に仕掛けることもしない、まさに「コスモナウト」なのである。