Golden Time

時はお金で買えません

【秒速五センチメートル】ファンタジーとしての「桜花抄」


秒速五センチメートルは三話からなる。この内、第二話、第三話は、現実にあり得る話である。しかし、全体の鍵となる第一話は、現実にはありえない、もしくは色々重要な説明が省略されたためにありえないように見える話、言い換えればファンタジーになっている。

まず、ありえないことの最大のものは、貴樹と明里それぞれの親についてだ。

まず、親の許可は得ていないことがありえない

貴樹も明里も中学1年生である。親の許可なしに小田急線豪徳寺駅(東京都)を15:54に出て、両毛線岩舟駅(栃木県)に18:45到着という片道3時間弱の小旅行は許されまい。会いに行く貴樹の親にしろ、待つ明里の親にしろ、どちらかの親がこの計画を知ったら、やめさせたと思われる。しかし、物語では、親は出て来ず、貴樹は出発時間は問題なく迎えている。このことから、2人はどちらの親にも計画を話していないと考えられる。

明里がお弁当を準備できることは…ありえるかも

家のキッチンで貴樹に食べさせるためのお弁当を作っていれば、親に何をやっているのかと言われるはず。まあ、可能性としては共働きの両親の子供で、親のどちらかかが帰る前に、弁当作成を終えて家を出発したという可能性はある。それでも、元々貴樹と会うのが18:45という、部活があれば家にいなくてもおかしくない時間であるので、明里の側は、貴樹と少し駅で話す程度であれば、計画上は、親にバレないで済んだ可能性はなくはない。

明里の親が駅に来ないのはありえない

しかし、実際は計画通りに行かない。貴樹の乗る列車が遅れに遅れたから。流石にこれで駅舎に明里1人が待つというのはない。明里の側も、どこで知ったにせよ、電車遅延の状況は分かっているから、家に電話をしているはずである。明里は自らの転校についての長い告白を貴樹に自宅ではなく、外の公衆電話からしている描写があるので、今日、貴樹が会いに来ることと、雪による列車遅延で到着が遅れていることについて親に説明したと思われる。しかし、深夜の駅舎に1人、貴樹の到着を待つというのはない。このため、明里の親は駅に何度か様子を見にに来ている、もしくは遠くから見守っているのではと思われる。しかしそう考えると、貴樹到着後の2人の行動が、これまた中1の娘を持つ親として許容できるのかという問題が生じる。

駅員の対応がありえない

明らかに未成年、しかも小学生と変わらないくらいの低年齢の2人が、深夜12時近くに駅舎で語っているのに、普通の大人に対する対応をしており、これもおかしい。考えられるのは、明里の親が駅員と親しく、明里のことを頼んでいた場合、このような状況となり得るが、どうなのだろう。この、駅員と明里の親が親しいということが成り立てば、明里が貴樹を1人で待っていることに親の同伴がないことも成り立ち得る。

駅舎を出た後の行動がありえない

最もあり得なくファンタジー確定なのが、駅で会い腹ごしらえをした後の行動である。駅舎を出たのは分かる。駅員に閉められたのだから。そして、桜の木のところに行くのもまあ分かる。桜は2人を精神的につなぐものであるから。まあ、キスも…うん、この辺りから怪しくなる。キスを2人同じタイミングしようとしたり、何かファンタジーくさくなる。その後が極め付け、近くの農作業小屋に泊まる。これは、ない。歩いて明里の家に帰る以外の選択はない。そして、夜が明けても明里の家に立ち寄る気配もなく、貴樹は(恐らく)始発で帰っている。この雪の夜、貴樹と明里以外の人、いや人どころか生物はいないかのような描写。これがファンタジーと言わずして何をファンタジーと言うか。

ファンタジーだからこそ貴樹には第二話、第三話に続く何かが残った

第一話がファンタジーだからこそ、「秒速5センチメートル」は三話構成なのである。13歳の時に経験したこのファンタジーを追い求め、貴樹は生きていく。その高校時代、社会人時代を切り取ったのが、第二話、第三話なのである。第二話、第三話対比、第一話のストーリーがうまく行きすぎているのも、それがファンタジーだからである。

そして、現実世界でファンタジーを追い求めるということはどういうことなのかの答えの1つを、この「秒速5センチメートル」は提示しているのである。