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【ヒックとドラゴン 聖地への冒険】異民族に干渉しないという選択


「ヒックとドラゴン」シリーズの第3部、完結編となる本作は、日本公開が2019年12月の米国3Dアニメ映画である。アメリカでは、週末興行収入ランキング初登場1位の作品となっている。しかし、なぜか日本では余り人気がない作品。とはいえ、特にこの第3作目はストーリー的に素晴らしい観るべき一本である。【以下ネタバレあり】

3部作の意味

3部を通じて、言葉も文化も異なる集団との関係の取り方について描いている。つまり、ドラゴンとバイキングの関係は、民族間の関係を意味するのである。その関係の取り方は、各部において明確に異なっており、第1部では、言葉も文化も異なる集団間の理解について、第2部では、言葉も文化も異なる集団との共生についてを、そして最終作である第3部では、そのような集団との住み分けについてを描いている。特に住み分けについては内容が重い。第2部で、共生について描きながら、結局、別々に生活することを選んでいる。外部要因による決断ではあるが、共生をやめることを選択したことは、この「ヒックとドラゴン」シリーズを深みのあるものにしている。

第1部で異民族間で言葉が通じなくとも分かり合えるということを描き、第2部で生活習慣が異なる異民族とも共存できるということを描く。そして第3部で異民族に対し互いに干渉せず住み分ける選択について描いている。第1部、第2部は、理解しやすい。異なる考えの人たちとも仲良くしましょうというだけのことだから。しかし、第3部は一転、理解が難しいことを言っている。異民族に対し互いに干渉せずに住み分けるというかとは、第1部、第2部から、異民族との関係が成熟したことになるのだろうか。もちろん考えの異なる人たちと干渉せずに生きられるのであれば、それも1つの世界平和の形かもしれない。しかし、それを3部作の最後に持ってくることの意味は難解である。結局、これが今のアメリカ人が納得のいく異民族との関係性における考え方ということなのだろうか。

元に戻すことのできない悲劇は第3部にはない?

「ヒックとドラゴン」の物語では、バイキングとドラゴンの関係が大きく前進するに当たって、第1部と第2部では、バイキングに(というよりも、ヒック個人に)大きな代償を払わせている。第1部では主人公は片足を失し、第2部では主人公は父親を失う。そして、最終部である第3部では、相棒と別れるのがそれに当たるのかもしれない。しかし、バイキングとドラゴンの共生をやめるということは、相棒と別れることを当然意味する。第3部はそうではないが、第1部、第2部は、元に戻れない悲劇がヒックを襲ったことの意味は何であろうか。強くなったために、強くなるために用意された単なるストーリー設定のための安易な悲劇に思える。そして、この安易な悲劇は第3部にはない。これは第3部の良さである…と考えるのだが、やはり、バイキングというよりヒックにとって代償を払うことになっているようだ。後日談での再会シーンでそれがわかる描写がある。

謎の後日談〜ヒック一家の孤立?

別れから数年後、ヒック一家が乗る船にトゥースレスの家族が訪れる。その際、ヒック一家の船は単独で航行していた。それまでは常に長として集団を率いていたヒックが、家族のみで大海原の船上にいた。これの意味することは直接は描かれていない。しかし、ドラゴンを最初に御したリーダーでありながら、ドラゴンと別れることを選択し、それにより大きな戦力を失い、対外部との抗争に勝てないリーダーとなったから仲間たちから追放された可能性はある。現に劇中には、「バーク島の二番手」を自認するスノットというキャラクターが何度もヒックの母に「二番手」であることを自己アピールしていた。この場合、ヒックの右腕であったエレットもヒックと行動を共にしていないことが少し引っかかる。もしくは、他のバイキングの集団に出会い、ドラゴンを持たず戦力不足であるため、仲間が離散した可能もある。トゥースレスと再会した感動のシーンに、ヒックが、このような代償を払っていたということをほのめかすのは少し変であるが、実際そのように解釈可能な内容が描かれている。

日本で人気が伸びない理由

キャラクターデザイン

アニメのキャラクターデザインが、日本の場合、大人でも子供っぽく造形されるパターンが多いが、ヒックの場合、子供なのに大人びた造形になっている。日本人には可愛さが足りないと思えるのではないだろうか。

海賊に対する知識不足

日本人は、バイキングについての知識があまりなく、舞台設定に馴染みがないということも大きい。

毒煙の緑色

危険物から発生する煙?の色が緑色。緑色は、日本人プロレスラーがアメリカのマットで吐く毒霧の色でもあり、緑色イコール毒物の色というイメージがあるのだが、日本の文化的にはにはあまりピンとこない。こういうところに文化の差が出てくる。