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【フルーツバスケット】透はなぜ不幸な身の上設定なのか


透は、幼い時に父を亡くす。高校一年では母も亡くし、住む家もなくす。これは、草摩家の面々に出会う前の初期設定。このあまりに不幸な設定は、なぜ必要だったのか。

先天的不幸と後天的不幸

この「フルーツバスケット」では、主要登場人物のほとんどが何らかの不幸を背負っている。不幸には、由希や夾、咲のように生まれに由来するものと、魚谷ありさのように、環境に由来するものがある。由希や夾は、物の怪憑きであり、これは自分の努力では無くすことはできない設定である。咲の電波も同様である。彼らはこれとうまく付き合う方法を自分で見つけるしかない。一方、ありさの不幸は、その生活環境によるものであり、透の亡き母の助けも得て、不幸は改善されている。というより、既に不幸から脱却しているように見える。

透の不幸は全て後天的不幸

このような視点で透の不幸を考えてみると、透の不幸は全て後天的なものであることが分かる。親の死、住む家の喪失。これらは、生まれとは関係ない後天的不幸である。そして、ここがポイントであるが、透には後天的不幸はあるが、精神的には幸せな人生を歩んでいたとである。これが、先天的不幸を追う者にプラスに作用する…というのが、フルーツバスケットにおける透の位置付けである。なぜ後天的不幸しか負わない透が、先天的不幸を負う者を救えるのか。

最初に救ったのは魚谷ありさ

透が最初に救ったのは、ありさである。ありさは、父子家庭であるが父親とは不仲。暴走族に入ることで心の安らぎを得ていた…が、透および透の母今日子に出会うことで目を覚まし、族抜けし、中学生活を送るようになる。考慮すべき点は、透が最初に救ったのは、後天的不幸を負うありさで、かつ、今日子とともに救っている点である。しかしこの時はどちらかというと今日子が主としてありさを救い、透はアシスト的な立場である。

次に救うのは花島咲

咲は、先天的不幸を負う人物である。彼女は、しかし、家族の愛には恵まれていた。クラスメイトとの関係がうまく築けなかったのである。しかし、弟恵の以下の祈りが通じる時が来る。

他人があふれるこの世界に咲を大切に思ってくれる他人が一人もいないなんてそんなことあるはずがないから遠い国にいるのならヒコーキにのって早くできるだけ早く咲の目の前に現れて…ください

それが透である。透はヒコーキに乗って来るのではなく、転校先のクラスメイトとして咲の目の前に現れた。
透は咲を、ありさとともに救う。咲が二人と一緒にいることが嬉しいと思うようになったのがきっかけとなり、救われる。この時は、透が主として咲を救い、ありさがアシストとなっている。

ありさの救済、咲の救済ともに、透自身は不幸に陥っていない。両段階では、透自身は、今日子と幸せに暮らしている。

草摩家への救いの手

後天的不幸のありさをアシストとして救い、先天的不幸の咲をありさのアシストを得ながら救う。透はこの2段階を経て、3段階目の草摩家を1人で救う段階に入るのである。ストーリー上、透が他者を救うに際して、段階的に難度を上がっていることがわかる。つまり、難度の高い先天的不幸を抱く本筋の草摩家の十二支救済を行う前に、透は2回のトレーニングの機会を経ている。これは、透には救済する能力と経験を有しているという説得力となっている。フルーツバスケットの物語は、この3段階目に入るところからのスタートである。

透自身も救済されるべき対象に変化

ただし、2段階目と3段階目の間に、今日子の死と透の住居喪失が入っている。3段階目は、2段階目と異なり、透自身に後天的不幸が襲った後の話となっている。つまり、透自身も救済の対象となっている。

透も救われる

透は後天的不幸を負っているが、先天的不幸は負っていない。このことが、後天的不幸を負う草摩家の十二支たちを救済することの源となる。ここの理由はよくわからない。一方、草摩家の十二支たちは、実は、それぞれ先天的不幸に加え、後天的不幸も負っている。このため、十二支たちは透の不幸を理解でき、その理解に従って透には接するので、結果として透の救済となるのである。透は、他者を救おうとして、透自身を救っているのである。