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【フルーツバスケット】神を超越した透


結局、フルーツバスケットにおいては、十二支、猫、神の14名を越えたところに透はいたということ。そして、その全ての者を救うし、その中でも一番不遇だった者を救うために、他に対する思いと異なる特別な想いを持って当たるという23巻までを使っても無駄のないストーリーになっている。

12+1+1という多さ

十二支という設定上、12人は必ず出さないといけないので、その意味では少々冗長な面はあるが、どのエピソードも胸にくる。12人もいるので、全てが透と深い関係を持つわけではないが、逆に12人の中で複雑に人間関係が絡み合っている。これが良い。長いストーリーゆえの。ただし、大人チームはあんまりキャラが立っていない感じ。

神をも救う透

全てを救うのは本来は神、しかしその神をも救う透は、神の上の存在。なぜ神である草摩慊人まで透に救われてしまうのか。
これは、神である慊人を含めた草摩一族の因習から離れたところに、透はいるからである。ただし、離れたところにいるだけなら、草摩の者たちに、「これは草摩の問題だから外の人間は関わるな」と壁を作られておしまいであるが、透は、相手との距離を異常に高く取る性格である。このため、相手が壁を作ろうとしても、その壁を無効化して相手の懐に飛び込んでくる。この透の性格と、草摩紫呉の好奇心及び深謀により、透は草摩家の中にポジションを得るのである。紫呉の誘導もあり、由希、夾と、少しずつ草摩の中に人脈を作っていけたことが、草摩の外にいながら、草摩の中に踏み込める立場を獲得したのである。これにより、慊人という神と共存する十二支という草摩家世界の外にいながら草摩家世界の中に影響力を及ぼすことのできる地位を透は得るのである。これは、草摩家世界に対する神の地位と言える。これにより、透は、草摩家世界に対して神的振る舞いができるので、草摩家世界の中の神に対しても、神としての振る舞いができることになるのである。つまり、透は、草摩の世界観の中に生きる慊人も救うことができるのである。

透が草摩家に対して神的に接することができる背景

透の性格もあるが、その性格を形成したと考えられる彼女の生い立ちを見ることで、透が草摩家に対して神として接することができる理由がわかる。

草摩家は一族主義

草摩家は、十二支と神と猫という地位を定め、その全体構造の安定を最重要視する。だから夾は、猫の地位を踏まえた振る舞いをしているし、由希も同様である。各人は草摩家における自分の地位を踏まえた行動しか許されない。それは一族のなかの決まりであるから。

透には家というものがない

一方の透は、両親はなく、祖父も頼りないので、高校生にして1人で、人生において直面する全てを判断し決定しなければならない立場に置かれている。安定した地位というものが、社会の中に用意されていないのである。草摩家が重視する家という概念が、透にはない。

家概念の象徴としてのテントと古民家

「フルーツバスケット」の物語は、テント暮らしの透が、由希、紫呉が暮らす古民家に入り込むところから始まる。畳んですぐにどこにでも移動できるテントと、その場所にずっと変わらずある古民家は、透と由希・紫呉の「家」に対する考え方の違いを象徴するものである。「家」概念にとらわれない透が、草摩の古民家で暮らすようになることは、確立した「家」の中に異分子が入り込むことを意味するのである。この異分子が「草摩家」をかき乱し、崩壊させることを、紫呉は物語当初から意図して透を草摩家の中に取り込んだと考えられる。