第4話で、中学時代の玲子は、慶太のように金銭感覚がおかしかったことが明かされた。その意味では、玲子と慶太は似た者同士だったわけで、それが父親の逮捕をきっかけに、玲子は真逆の方向に向かったということ。これにより玲子と慶太に対比構造が生まれている。
金銭感覚
元々同じような金銭感覚で育っていた玲子と慶太であるが、玲子には、その感覚を維持できない出来事があったため、お金に対する立ち位置が真逆に振れたというのは説得力ある。慶太は家の資産状況が玲子とは全く異なるので、玲子のようなことはそうそう起き得ないし、年齢的にも、思春期だった玲子と異なり、大人になっているので、慶太が仮に金銭面で困難に直面した場合、玲子の方向に進むとも思えない。しかしだからと言って浪費を続ければ人生は破滅するだろう。このドラマのタイトルが「おカネの切れ目が恋のはじまり」とあるが、放送された全4話では、実際のところ慶太のお金に切れ目はなかった。本来のシナリオでは、切れ目があって慶太の金銭感覚も成長したのかもしれない。そんな慶太も見てみたかった。
成長した今、玲子はそれほどしない猿の小皿を1年半かけた上で購入を決意する一方、慶太は、単にバーベキューにおけるマヨネーズ入れとして1回限りの使用のためにただそこにあったからという程度の理由で購入する。この金銭感覚の違いの対比は、第1話の目玉シーンである。
親からの送金
ドラマだから設定はいくらでも可能であるが、慶太には母親がことあるごとに小遣いを直接渡して来る。一方の玲子には父親から現金書溜めで送金されて来る。父親・母親、手渡し・現金書留と違いがあるが、親が成人した子にお金を渡す構造が共通している。ただし、慶太は、不満そうな顔をしながらも受け取っているようだが、玲子は、送金を知った直後に返金すると決める。知らなかったとはいえ、父親から玲子に現金が送られていたという設定は、慶太との比較において面白い対比になっている。母親による慶太への現金手渡しには、父親が苦々しく思いながらも黙認した形になっている。一方、玲子への現金書留は、母親が父親の思いを汲んで受け入れるが、本人には知らせないという形になっている。ここにも対比ができている。
社交性
玲子に社交性が全くないわけではない。しかし慶太の方が人並み以上に社交性が高すぎる(ようにみえている)のだ。実際のところ、寂しさから来る仮面として慶太の社交性はあるのかもしれない。