まあ、そういうストーリーなので仕方ないのですが、八角さんがモノ扱いのまま進行するのは、そろそろ無理がある…
妄想の中でプロポーズまでさせちゃった
「妄想でプロポーズまでいっちゃった…」というのは、まあ、妄想だから何考えても良いのだけれど、さすがにテレビで、実写で、それやるのは、キツい。なぜなら、物語上、実際の恋は1ミリも動いていないのだから。しかも、第3話にしてプロポーズの妄想をしてしまうのは、もう、この先に想像できるものは限られてくるのではないだろうか。妄想も刺激を求めるだろうから、後になればなるほど、強い刺激を求めるのは必然。コロちゃん、次は何を妄想するつもりだ?
他のお客さんがいない定食屋
繁盛しているしていないの表現ではなく、単にエキストラさんの調達が無かっただけですね。「孤独のグルメ」には、大抵他のお客さんがいるので、「孤独のグルメ」以上に孤独のグルメ。
「孤独のグルメ」との違い
毎回1人でご飯を食べるという点では「孤独のグルメ」と同じ。違うのは、間に挟まれる食事する店に入るまでの経緯。「孤独のグルメ」は、仕事をひと段落させて空腹を覚えて店を探し入るというのがお決まり。このワンパターン。「片恋グルメ日記」は、八角さんが訪れた店に行くというワンパターン。共に、ワンパターンを通せば、無限に話を繋げられる。「孤独のグルメ」はそれでシリーズを重ねている。「片恋グルメ日記」もテレビ的にはそれが狙えるような設定ではあるのだが、「孤独のグルメ」が徹底して食そのものにフォーカスを当てているのに対し、「片恋グルメ日記」は、食も恋も盛り込んでいる。
「孤独のグルメ」になれない「片恋グルメ日記」
食1本に絞れば、1話完結でずっと行けるが、恋の要素は、1話で終わらせるのは難しい。というより、1話で終わらせてそれを次回に引きずらないような描写にすると、まさに第3話時点の「片恋グルメ日記」の八角さんのように、モノとしてしか存在しない描写になる。「片恋グルメ日記」も理屈の上では、「孤独のグルメ」のように、無限にシリーズを重ねられるが、そうなると恐らく八角さんとのやり取りが邪魔になるだろう。しかし、八角さんの行った店を訪れるという設定上、それを省略することはできない。ところが、恋の話を進展させたら長期シリーズにならない。難しい。まあ、恋の要素をうまく引き延ばすというしか方法はないのだろうが、「片恋グルメ日記」のやり方は、八角さんから人格を消すことだったので、この方法は飽きる。堂々巡り。