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【七人の秘書】シリーズ化のために解決すべき設定上の問題


「七人の秘書」は、基本的に1話完結で、権力者に不合理なことを強いられる弱者を救済する話であるが、設定上、色々問題がある。そして、それらの問題は、シリーズ化を妨げるものであり、何らかの解決が必要となるものである。

「名乗るほどの者ではございません」の限界

ナレーションでも『目立たぬことこそを極意とする、名もなき「秘書」たち』と言われているし、自らも名乗るほどの者ではないと言うのだが、大手銀行の頭取交代劇や秘書室長スキャンダル、大学病院院長親子の不正疑惑に関わっているのが、同一のグループであるとなれば、本人たちが「名乗るほどではない」と当事者に言ったところで、マスコミ、ネットは黙っていない。それこそネットでは、それぞれの騒動の写真等を元に「この女、前の事件にもいたんじゃね?」とか目ざとく見つける人が出てきて大騒動になるはず。

キャッチコピーの破綻

となると、このドラマのキャッチコピー「この世を動かしているのは国や財政のトップではない。実は、影の黒子たちだ」が論理破綻する。悪を暴いてこの世を動かす七人の秘書たちが、影の黒子でなくなるのだから。この世を動かすような大物の権力行使を左右するような活躍をすればするほど、顔が知られ、名もなき秘書ではなくなるので同じメンバーで次の活動ができなくなる矛盾。これを解決しないと、ちょっと変な物語に話になる。

秘書の行為のマンネリ化

問題がある組織に、既に秘書メンバーの誰かが勤務しており、その中で、盗撮・盗聴・窃盗を行なって問題解決する…このパターンが第3話で確立してしまった。このマンネリ化、昔の時代劇シリーズのようなものと考えれば、続けても良いかもしれないが、昔のように視聴者が、大いなるマンネリを受け入れるだろうかという疑問がある。昔の時代劇シリーズは今はなくなってしまっている。しかし、無くなったのは1話完結の時代劇シリーズであり、大河ドラマが高視聴率であることを見ると、時代劇が受け入れられなくなったのではない。そんな時代に、舞台を現代に移した1話完結の時代劇が長く続くシリーズとなりうるだろうか。名もなき…をどう維持するかに掛かっている。

秘書の行為の違法性

秘書たちが行なっている問題解決のための活動は、行為の形態を見れば犯罪行為そのものである。盗撮・盗聴・窃盗・不法侵入。場合によっては名誉毀損。これらは、相当の理由がなければ、違法性がないと言えない。しかし、被害者に頼まれたわけでもなく、無理やりラーメン屋に連れてきて、秘書たち側で、ここからは引き取るとか勝手に言って、首を突っ込んでいるだけであり、秘書たちは、被害者及び加害者から完全に他人である。彼らの行為を合法化するのは無理であろう。違法性を問われないような合理的説明が必要となろう。名もなき秘書といっても、逮捕されたら本名バレてしまいますから。

「現代の時代劇」的なコンセプトが成り立たない理由

これは一言で言えば、視聴者は、昔のことは何も知らないけれど、現代のことは皆よく知っているから、矛盾に気付きやすいのである。
徳川吉宗が江戸城から何度も脱出し度々町人に顔バレしても、桃太郎侍が多くの悪人を斬りまくっても、毎週同じことが繰り返されるのは、時代劇が、絵空事であるからである。しかし、現代を舞台にすると、そうはいかない。毎週毎週悪事を暴いているけれど、秘書として採用されているわけだから、身バレして当然、なんでそれでも次のトラブルに顔を突っ込むことができるの?となる。なぜなら、世間を騒がせるような大問題に関わっていた秘書を雇う組織などいないから。つまり、少なくとも、今、働いている組織の問題を一巡させたら、この秘書たちは、どうやって問題解決のために組織に潜り込むのか、そして、次の問題解決のために、潜り込んだ組織をどう抜け出すかの説明が、毎回必要になる。これは、相当な負荷であろう。どうやって突破するのか見ものである。