Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【極主夫道】最終話 コメディに余命は似合わない


なんだか、コメディに感動ものを混ぜようとすると、どうして生死の話になるのだろう。娘を返して欲しかったらと、龍の余命3ヶ月は、ともに命を使って感動を生もうと言う発想。これ、制作側の怠慢にしか思えない。他に方法があるだろうに。誘拐にしろ、余命にしろ、死という別れが視聴者に浮かぶから、感情を揺さぶる…という安易な発想。これまで1話完結の騒動で楽しませてくれたのに、最終章で感動ものに持っていくために命を雑に扱うの悲しい。しかも2連発で持ってくる。シリアスものでも悲しいのに、コメディで、感動出すために命扱う必要はない。

二重偽装誘拐

なんだかなぁ…という感じ。龍だけでなく、視聴者も騙すにしても、偽装誘拐ネタに偽装誘拐をさらに重ねてくるとは、さすがにやっちゃいけないことやっちゃってるのではないか。なんでこれで感動もの演出できていると思うのか分からない。挙句には、熊が出る場所で木に雅を括り付けて放置するとか、とんでもない話が続く。コメディだから、これを笑えと。

結局、ミスリードネタで共通

偽装誘拐も、余命3カ月問題も、共に、美久及び視聴者を、向日葵もしくは龍の命に対して、ミスリードしているという点で根本は同じ。そして、ミスリードで感動を演出しようとしているのも同じ。

この一言に尽きる。とにかく、進め方が雑。1話完結で進めていた時は良い感じだったのに、最終章に入ったら急に雑になるの、何で?

喫茶店の経営をしたい夢

第8話で"ちぇりー ぱふぇぱふぇ"に対抗して、和風カフェ"素手喧嘩"を経営していたのではないか?…というか、1話完結だから、やはり、あの店はなかったことになっていたか。それはそれで良いが、龍の夢として出てくるの違和感ある。

クリスマスプレゼント

うん、この包丁?アゴと言う部分がないため、握って食材を切っている際に、手が滑ったらそのまま刃に触れてしまい手を切りそうな包丁?だな…と。素で、構造的に危険な包丁だと思う。アゴなしにするなら、グリップに工夫する等が必要であるが、グリップも白木でまっすぐなので、手のひらへの引っ掛かりがほぼない。手が滑ったら非常に危険な包丁である。

持って3カ月

余命の表現では使うが、お菓子の賞味期限で、そんな表現する人はいない。3カ月しか持たないとは言う。この言い方の違いは、日本語ネイティヴなら分かるもの。それを強引に、ミスリードネタとして使うのは、雑と言うしかない。

詳しく書くと、"持って3カ月"は、最大でも3カ月しか持たないということ。それ以前に持たなくなる可能性を含む言葉。しかし、お菓子の賞味期限は、あとどれだけ持つかが描かれているわけで、それまでは大丈夫ということ。つまり、前者は「3カ月経過するまでに」であるが、後者は「3カ月経過するまでは」なのである。この違い、日本語ネイティヴは、混同しない。

足利義昭と虎二郎

虎二郎役の遠藤賢一氏が、同じ日の『麒麟がくる』で、優しさ故に弱い将軍義昭を演じていた。ヤクザの世界、戦国時代と、力が全ての世界で、信長を戦うことを決意し、光秀に幕府側に付けと言う義昭と、龍に万一のことがあったら盃を交わしてやる、面倒見てやると言う虎二郎。この2人、優しさを捨てられない男という点で共通する、虎二郎と義昭。同じタイミングで、この2人を演じる遠藤賢一氏を見ることができたの贅沢だった。