謎解き要素やフラグ立て等が満載のドラマかと思って観ていたら、完全に肩透かしを食らった。義澤も頼田も、何の説明付けも無く生物としての限界を超えて行動しているストーリーだった。制作側が、それでは死なないと、ダメージは最小と決めれば、生物学的にありえなくとも可能になる。そんなストーリーなので、鑑賞にコツがいる。合理的判断は捨て、描かれたものをそのまま受け入れる…これが、『先生を消す方程式』の鑑賞に求められる力だ。
ストーリー
10年前、高校生の頼田は、いじめられ静を殺すよう命令される。その通り頼田は静を階段から突き落とし、意識不明とする。
10年後、頼田が教諭を務める高校に静の婚約者義澤が着任する。
義澤が担任、頼田が副担任となる。
頼田は義澤を消そうと、クラスの生徒をけしかける。クラスの生徒は、階段から突き落としたり、首を吊ったりし、頼田も首を閉めようとするもことごとく失敗。最終的に、ナイフで胴体を刺した後、落とし穴に落とし埋める。
しかし、クラスの生徒命くんにより死者復活され、義澤は蘇生する。吉澤は、クラスの生徒を教え諭すともに、頼田も諭そうとするが、頼田は雷に打たれ、倒れる。その際、静は命を落とす。義澤は、静を埋め、蘇生術を施すことで静の目を覚まし、2人はキスをする。めでたしめでたし…ただし、雷に打たれ、倒れている頼田は、カッと目を見開き、生存もしくは蘇生したことを視聴者に見せて終わる。
このシンプルなストーリーのどこに疾走感があったのか
ドラマは、毎週緊迫感があった。それは、義澤が、死んでゲームオーバーにならないために色々行動をとると考えながら、多くの人が観ていたから。しかし、期待は裏切られる。絶体絶命のピンチをどうふれば乗り越えられるかという際、正面からぶつかれば、どんな絶体絶命のピンチも解決するという謎理論が横行したから。
とにかく命に価値を置かない
とにかく徹底して生命に価値を置かないストーリー。そうでありながら、登場人物の1人に伊吹命という名前をつける。ただし命くんは、物語中では、命を新たに吹き込むのでは無く、死者を蘇生するという、多少ダークなことをする。命くんは、もっとうまい使い方があったように思えて残念。単に、義澤を生き返らせる機能としてしか使われていないのはもったいない。なぜ引きこもっていたかを本筋に絡ませるとか、せめて4Cに絡ませることはできただろうに。刀矢くんは…お疲れ様としか言いようがないかな。
とにかく理由なしに都合よくストーリーは展開する
学校に警察が義澤を捜索に来ても、義澤は、ついその前にそこにいる描写があっても、警察が乗り込んだ時にはそこにいないとか、大怪我をしても決して死なないし、主人公らは、人間の身体の限界を、生命の限界に行動を制限されない。これは、ドラマとして成り立たないと思う。
町子先生とか校長とか
全く関係ないのかぁ。話が、全然膨らんでなくて、単純に頼田と静と義澤で閉じた話だったというのが、もう残念。その意味では、2時間ドラマで終わる内容。せっかく、義澤が殺されそうになると現れる町子先生とか、なんか変なタイミングで現れる校長とか怪しげな人たちがいるのに残念で仕方ない。