この物語、基本的に寿一の一人語りの視点であるが、これは寿一の話ではなく、やはりタイトル通り、「俺の家」つまり観山家の話だった。恐ろしいまでのその徹底ぶりが痛快でもあった。
寿限無と寿一だけでなく、舞も、そして踊介さえも、観山家の呪縛に囚われているというのは、やはり恐ろしいことである。
そして、観山家の呪縛は、後継ぎ候補だったが、脱走して25年ぶりに戻ってきた寿一にも容赦なく襲いかかる。寿一が寿三郎と寿限無と秀生の3世代の宗家を結ぶ役を担ったと。寿限無には子供がいない、寿三郎には秀生を一人前にする時間がない。今の寿一には宗家を継げる実力がない。一度出た観山家に戻ったが、もう寿一の居場所はなかったので家に殉じたということだろう。長州力が言うように、相手の技は返せたであろうが、観山家における自らの役割を受け入れて敢えて、技を受けたのではないかと。
いずれにせよ、観山家で、あのタイミングで誰かが死ななければならないのであれば、宗家が継がれて行くことを考えると、寿三郎ではなく、寿一だと。そういう天命なのだと考えると、まさに『俺の家の話』だなと思える。
いただきますを仕切ろうとする踊介
寿一亡き後は、踊介が兄弟を仕切るのか…ああ、やはり寿限無は、兄弟序列低いのね。こういうところを徹底かつ見逃しそうなくらい自然に描くのが怖い。しかも、寿一の動画が踊介の仕切りに優先するという。踊介が寿一の動画にさえ劣るという点が、観山家の序列。
家に奉仕するのが観山家
新春能楽会で、寿三郎が何かを隠しているだろと問いただす際に問い詰める順番も、踊介!舞!ときて、1つ間があって、寿限無!となる。本当に観山家は寿限無を下に見ることを徹底している。
寿限無は、直系長男の血を受け継ぐ秀生が跡を継ぐためのワンポイントリリーフ。塾勤務の長女舞は、秀生を教える。家に尽くしている。これ、やはり家の呪縛と言える。しかし、踊介はやはり勝手な次男…と思いきや、さくらと結婚。これで寿三郎の最後までさくらが付き添うことができる。踊介さえ、家のため、宗家のために尽くしている。怖いドラマである。
さらに怖いのは、出生の秘密に起因する寿限無の不幸は、どこかで埋め合わせをしてあげるべきという善意というか、幸不幸のバランスをとる機能が働いていること。寿一は、若い時にしかできない自分の可能性を信じてチャレンジすることができた。そしてそのチャレンジの対象に取り組んでいる最中に死ねた。一方の寿限無は若い頃は家に縛り付けられ、かつ自由も地位もなかった。しかし、寿一が亡くなることで、障害がなくなった。このような平衡機能が働いていることが怖い。まあ、ドラマだからということだけれど。
さくらにまで家に尽くせと要求する寿一
寿一は、墓参りするさくらの前に現れ、親父を頼むと言う。寿一にとっては自分はなく、家が全てという考え方なので、宗家の目処が立った今心配なのは寿三郎のことなのだろう。心配なのは分かる。だからさくらに死ぬまで面倒みてくれと頼むのも理解できる。しかし、さくらが踊介と結婚することは納得いかないと言う。これ、寿一の人生観における根本的な欠陥であると言える。寿一の家が良ければ自分はどうなっても良いと言うような考え方は、自分の中ではそれでも良いが、他者に押し付けられるものではない。しかし、さくらに対してもそれを求めているから、踊介との結婚に不満なのである。さくらは俺を好きといってくれたのなら、俺と同じ考えでいてくれということだろうが、寿一の魂はあるようだが、肉体は現実世界にはない。さくらが観山家のために尽くすには、寿一の気持ちだけでは無理があるし、年月は人の気持ちを変える。踊介と結婚することにより、寿一からの寿三郎を頼むと言う願いは守れたので、さくらとしては最後までよくやったと言える。それに不満を言う寿一の魂は大人気ないと言える。
寿一の自由行動と寿限無へのお返し
寿一は、家を飛び出し25年間帰っていない。それで戻ってきながら、嫡男であることを利用して宗家の跡を継ごうとしていた。若くなんでもできる時代に、好きなことをし、自分の老後についても考えるべき歳になって、戻ってきて宗家に収まって当然という態度は、一般人的には人格的に問題であるが、観山家的には問題ないのだろう。しかし、その報いは死という形で訪れる。寿限無は、寿一がいる間は日の当たる場所には居なかった。寿一が出奔してから、寿三郎は仕方なくだろうが、寿限無に光を当てたはず。そんな微妙な立場で25年を過ごし、再度寿一が戻ってきて跡を継ぐと言い出したのだから、たまったものではない。25年分の芸の差も大きいだろうし。そんな中、寿一は、1世代後の秀生を遺し亡くなる。40歳の寿限無は、まさに人生の折り返し地点である。後の半生を、宗家として生きることができる。結婚や子供といった幸せは得られないかもしれないが、芸を極めることはできる。能しかないと言った寿限無なので、これはこれで幸せな人生を歩めるであろう。実力自体はあるのだろうから。寿一と寿限無は、明暗を分け、寿一は人生の前半(といっても後半はないが)を充実して過ごし、寿限無は後半を充実して過ごすことになる。寿一も寿限無も、それぞれ同じ年月程度、充実した人生を過ごすことができることになるので、幸福度はトントンになるのだろう。
秀生の父親寿一が観山家に帰ってきた理由
家を飛び出して観山家に帰ってこなかった寿一が、25年も経ってから帰ってきた理由。これを寿一が秀生の父親だからという点に求めることはできないか。学習障害の秀生は、寿三郎の嫡男の嫡男。秀生は、宗家を継げる血が流れている。学習障害であるため、これからの普通の子が進む進路は、苦難の道となる可能性がある。しかし、その血統から、秀生は能の世界に生きることも選択肢に入る。そう考え、寿一は家に戻ったと考えることもできるだろう。そう考えると、葬儀の準備もきっちりやっていたというのも、あながちおかしくはない。父親の自分がいなくなるということより、観山家という家で秀生を守ってもらったほうが良いという考えであれば、立つ鳥跡を濁さずで、綺麗に観山家を去る必要があったのだろう。ホセとの戦いは、死に場所として寿一は最初から考えていたのではないだろうか。そして、寿一は、父親として、秀生のことを考え、家に戻ることを決めたからこそ、寿三郎のことも父親として、それまでと違う見方をすることができたのではないだろうか。
今後の観山家
考えるだけでも波乱に満ちた状況が想像できる。
秀生の親権
親権寿一とユカで争っていたが、これ、どうなったのだろうか。結局、有耶無耶だったような。ユカの家が赤ちゃんが産まれて大変だからと寿一が秀生と暮らしている描写があったが、最終回ではユカが秀生を観山家に連れてきているシーンがある。秀生の親権者がユカということになると、ユカは観山家の家中心の行動様式を知らないので、観山流の跡取りの親でありながら、色々観山家と対立することになると思われる。また、更にはちゃっかりしてそうなユカの再婚相手が加わるので、一層面倒なことになりそうである。
遺産は均等割ということ
これ、相続する者たちが金銭的に困っていなくてもトラブルになることが多い問題。しかし、舞は、大州が早くに結婚し双子の子供ができるということで、youtuberとしての稼ぎ次第では、相続に期待するだろう。踊介は、弁護士であり金銭的には困ってはいないと思われるが、家族旅行の時に、寿一がお金は自分で出そうとしているという話を聞いた際に、特に自ら出すということを言わなかったあたり、自分の財布を太らせることには貪欲であると思われる。寿一の場合、すでに亡くなっているので、代わりに秀生が相続することになるが、親権者がユカの場合、ユカは再婚者が生命力はありそうだが、生活力が無さそうなので、やはり相続で積極的に関与してくる可能性が高い。更に、さくらにも相応の金額を残すとしているので、こちらもモメること必至。まあ、寿三郎は、早々に新しい遺言書を作成すべき。
寿限無の今後
話の流れだと、寿限無は結婚しないことが前提。自らがそうであったように、寿限無は、宗家として秀生を芸養子にするのであろう。親権者として寿一と争っていたのに、赤ちゃんが産まれたとなると、寿一の元で暮らすようにさせたり、ユカも秀生を絶対離さないというわけでも無さそうなので、養子縁組はそれほど問題にはならないかもしれない。とにかく、寿限無が結婚し、子供を作ったらどうなるかという話はあるが、寿限無も40歳を超えているため、それから産まれた子を後継にするのは年齢的に無理とは言える。ただ、これも将来モメる要素ではある。
秀生のその後
あまり詳しく描かれないので分からないが、家族揃っての朝食シーンに、ユカは登場しないが、秀生が当然のようにいる。これ、秀生が観山家で暮らしているということ。これ、秀生が寿限無の芸養子になるということなのだろう。寿三郎は、寿限無を認めないかもしれないので、まあ将来の家元含みでの住み込みという位置付けなのかもしれない。
長州力氏の倒されっぷり
スーパー世阿弥マシンの幻にラリアットを食らって倒される長州力氏。さすが超一流プロレスラーなので倒されっぷりが素晴らしくて、マットに綺麗に倒れ、しかしそのときは片方の膝が上がっている。そして絶妙な間があってその膝もマットに降ろされる。これにより、倒れた直後にはまた生気があるも、すぐにのびてしまったと言う表現になる。ドラマでこんな芸を見られるとは思わなかった。