第1話でとわ子は疲れているが、観ている側も結構疲れる。コメディなのに疲れるなかなかのドラマ。つまらないわけでは…恐らくない、けれど分からない。
最初はとわ子のキャラ説明
第1話のオープニングという、大事なシーンで、ナレーション付きで主人公大豆田とわ子の日常とそのキャラクターを、小さなエピソードを繋いで説明してくれるのだが…とわ子のキャラは全くわからない。他人の目は気にしないということと、おっちょこちょいということなのだろうか。結局、とわ子という人物は、捉え所がなく、小さな騒動を引き起こす人間ということを我々に提示してくれる。まあ、ラストに向けては小さな騒動では済まないことを起こすのだろう。
田中とわ子、佐藤とわ子、中村とわ子
ありがちな苗字の人と結婚する傾向にあるな、大豆田とわ子。自分の苗字がなかなかないものだけに、そういう傾向あるのかな?次の結婚相手は、鈴木さんだな、きっと。
ドラマ全体のトーンというか勢い
独特というかなんというか、疲れるタイプのドラマのトーン。
社長に就任
元々社長だったのではなく、最近社長に就任。これは、どういうことなのだろうか。とわ子のキャラ的に、社長然としていないから、なんで私が社長に?な状況である。唐突すぎる…と思ったら、突然亡くなった母親の跡を継いだということ。そんな後継社長に人望はあるのか…と思ったら、抜群の住宅設計の才能があるということがエピソードで示されている。なるほど、とわ子がいないと回らない会社なのか。母親はよく考えている…というか、親がレールを敷いて、とわ子はそれに乗って人生を歩んできたとも言える。建築士になるには時間と努力が必要なのだから、それは親に人生を預けていたと等しい。たびたび挿入される母親とのエピソードも、女性の自立に関するものばかりで、さらっと描かれ、コメディタッチであるが、このドラマ、テーマを持って描かれている様に見える。
3番目の元夫との仕事
朝の会議のアイスブレーキング的な話を否定する3番目の夫。無駄な時間のように言っているが、アイスブレーキングも台無しだし、時間も余計にかかっており、合理的に見えて非合理的なやつだな、3番目の夫。
2番目の元夫行きつけの下総屋食堂
こういう時は、上総屋という名前の方が多いと思うのだが、下総屋。違和感と思ったら、案の定、店名を表す文字の「下」が落ちかかって「上」のようになっているし、のれんの文字も「下」だけはっきりしていない。
これは実在の店なのに、意図的にそうしたものと思えるのだが…何か意味があるのだろうか…文字、落ちかかっているのが演出だったらもう降参するしかない。しかし、何を降参するのだろう。上総屋にしなかったこと?ここはこだわりなのか、本当にリアルの店でそうなっているのか分からないのでなんとも言えない。
最初の夫の家
第2、第3の夫は、とわ子の自宅に上がり込んでくるが、第1の夫の場合、夫の自宅に上がる。この対比、第1の夫の特別感…。
写真撮らせるとわ子
謎の船員か?マドロスか?…いや、船長。なんだこのベタな第4の男。会った最初から写真を撮らせ、ラインを交換し、やりとりを始め、翌日にデート。うーん、胡散臭い船乗り。バッグ泥棒も仕込みなのだろう。レストランの給仕、ナイス!船長演じる斎藤工氏、何かこれで終わらない様な気がする。毎回、仕込みシチュエーションで、別なコスプレして出てきそう。
3人の元夫会議
なんか変な会議。しかし、ここが一番落ち着いて観られた。何でなのだろうと思った。大豆田とわ子が出てこないからだきっと。そういうトーンのドラマなんだ。桜舞う中、元夫たちが黒服、黒ネクタイでブランコというシュールな絵。そこにとわ子も加わる。4人の意識に不思議な統一感が見えたその後、何故か3人の夫には別な恋の予感。こういう展開はベタで落ち着く。
名言
離婚ていうのは自分の人生に嘘をつかなかったって証拠
なるほどとは言える。しかし、それ以上のものはない。
百円拾って使うのは犯罪だけど、百回離婚したって犯罪じゃない
まあ、例えとしては良いけれど、百円拾って使っても、百円では保護すべき程の価値ではないから、犯罪にはならないけど。
シーズン2、シーズン3
元夫に対する娘のこの雑な表し方。しかし、バージョン2、バージョン3と言うより、なんというか一定期間過ごした感が出ていてこの表現の奥深さを知る。
最高な人生のはじまりを見つける幸せなパン
パンが小さくなったとかいうエピソードもあった上でのこと映画のタイトル。しかし、
優しいって頭が良いということ、頭が良いということは優しいということ?
この台詞の意味、全く分からない。そもそも前提の「優しいって頭が良いということ」というのが真なのかどうかもわからない。
観るのに疲れるドラマなのかもしれない
このドラマのトーンに慣れることができるか否か。1話観るだけなら良いが、これがずっと続くのは疲れる気がする。