Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【コントが始まる】第5話 平凡じゃないふりすんの疲れたわ


第4話まではマクベスの3人が解散の危機に陥っている状況を主に説明してきた。しかしこの第5話は、3人の置かれた状況をもとに、3人の内面を主に描いている。周りの状況ではなく、3人がこの10年を費やして何を得たのか得ていないのか…というより、後者、何を得られなかったのかが描かれている。

パソリブレ(マクベスの所属事務所)

paso libre = 自由な通行、自由通路

自由に進むにはそれなりの代償が必要、自由に行けると言うことは、止まるのも引き返すのも自分で決めないといけないということか。自由ゆえの不自由さも引き受けなければならないと。

ブランコ

今回もちゃんと夜のブランコが出てきた。今回はマクベスの3人がその前でコントの練習をしている。ただ、春斗と里穂子の公園のシーンがあったが、この時は明け方で、しかもブランコはなかった。この2人がブランコに乗る時は、何か意味がある時なのであろう。

「マクベスは当初の予定通り6月の単独ライブを最後に解散することが決定した」

「当初の予定通り」という言葉の重さ。実際はその決定の前に様々なことが起きているにもかかわらず、内実を知らない第三者からは「当初の予定通り」でしかない。中で何が起きてようが、第三者には関係ない。こういうのが人生の残酷さというもの。これが、春斗のいう「努力が報われる」に繋がるような繋がらないような。

見下すことにイラつく者が他の誰かを見下すこと

春斗が成功した同級生に見下されたと言い、里穂子がその春斗に見下されたと言う。何というか、見下す側は無意識にナチュラルに行っていて、しかし見下される側は敏感にそれを感じ取るということか。それとも、見下しているとされる側は、実は本当に見下していないのか。

アルバイト待遇

『メイクシラーズ』の店長に「このままアルバイト待遇で続けていくのも何かと不安でしょ」と言われ、春斗に「元気ですね。朝5時まで働いていた人とは思えないな」と見下した目(里穂子談)で言われる。このダブルパンチは効く。その上で、つむぎからも「適当にバイトしながらマクベスにどっぷりつかった今の生活に明るい未来はないから」と言われ、しかも家を出ると言われる。マクベスだけでなく、里穂子も人生の選択を迫られているということか。舞台の上のマクベスではなく、ファミレスの客であるマクベスの存在に依存した生活をしているのだから、マクベスが解散したら、確かに生き方が変わらざるを得ない。

見下されていると感じること

生き方を握られているということは、無意識にマクベスより自分が下であると考えているのではないか。つまり、公園で、春斗に対し里穂子を見下していると言ったのは、春斗を通して自分の卑下した気持ちに気づいたからなのではないか。これは春斗が成功した同級生に対し見下されていると感じたことに通じるだろう。

芸人のアイデンティティ

逆に春斗の方も、里穂子はマクベスの絶対的なファン、特に自分のファンであるという自負があるために、マクベス解散を決めた際に、里穂子に対しては、いや里穂子に対してだけは芸人とそのファンという関係を保てたのだろう。既に瞬太、潤平との間では崩壊した芸人としてのアイデンティティを、里穂子と話すことで確認しようとしたのではないだろうか。春斗は、終わってしまうマクベスにも存在価値があったことを、芸人春斗とその絶対的なファンである里穂子という両者の形式的な関係を使って確認しようとしたのだと思う。だから視聴者が客観的に見ても、寄って行く者と寄って来られる者という芸人とファンの関係に見えるから、形式的には見下しているように見える態度を里穂子に対し取っている。春斗本人には見下している意識はないだろう。しかし、里穂子は春斗に対して、友人とまではいかないまでも、おそらくよく話す隣人のような対等な関係として接しているのだろう。そんな状況で芸人とファンの関係を軸にした春斗と会話したのだから、里穂子は春斗に上から目線を感じたのだろう。

見下し、見下されること

同級生は否定したが春斗は自分が見下されたと少し感情的に主張した。しかし里穂子が春斗に見下されたと主張した際には余り深刻に考えることなくそれを否定した。自分が見下される側の時は鋭敏であるが、見下す側の時はそれほど気にしない。しかもそれは相対的なもので、相手により見下されたと繊細に傷つく一方、相手により無意識に見下したりする。これを物語の折り返しである第5話で主人公春斗にさせたの、後半戦に向けシビアな展開を予想させる。

マクベスの3人が得られなかったもの

一言で言える。年相応の成長とそれに伴う成果である。夢を追うと決めた段階で、年相応の成長は内面的にも外面的にも止まる。金銭、結婚から始まる家庭の構築、社会的地位。これらは、夢を追う場合、成功するまで手に入らない。もしくは手に入っても同年代の他の者対比、かなり小さい。ただし、夢が実現すれば一気に得ることができる可能性を秘めている。同世代の上位に一気に立つことも可能であろう。しかしその成功はいつ来るかわからないし、来ないかもしれない。そんな中、今後も夢を追い続けられるかが問われている。

これを、成功した同級生の一言、

お前ら高校からずっと一緒にいるから、時間止まってんじゃないの?

が全て言い表している。同級生は、成功し、結婚もしている。高校時代の良い思い出(バスケの大会でトロフィーを持って中心に座る写真)は良い思い出として振り返るが、彼女を取られた過去は、忘れてしまったか、それも良い思い出として消化している。しかし、春斗や潤平は、その10年前をそのまま引きずった人生を歩んでいる。時は過ぎたが、人間関係は狭く深いまま止まっている。別れを経験し、新しい場で新しい人間関係を構築し、また別れ更に次の関係を構築して人生経験を積むには10年という年月は十分過ぎると言えるだろう。成功した同級生が奈津美との別れは高校時代の恋として区切りをつけ、消化するのは、出会いと別れを繰り返している大人であれば可能なこと。結婚式の2次会に3人を呼んだというのも、全くわだかまりがないということ。2次会には奈津美自身も参加していたようなのに。そこにこの同級生とマクベス3人の差が出ている。おそらく奈津美も向こう側にいる。しかし3人はいつも3人であった。別れを経験していないから、同級生のような心の成長はできていない。

『コントが始まる』は、別れも人間を成長させるということを、解散してほしくない(=3人が別れてほしくない)と反対の感情を視聴者に抱かせながら描いているのかもしれない。

止まった時計の針は、夢を掴むか、夢をあきらめないと再び動き始めることはない。夢を追うとはそういうことなのか。

奈津美視点

主要登場人物の中で一番まともというか普通の人生の中で羨ましいと言われそうな道を歩んでいる奈津美。逆に彼女はなぜ潤平と未だに別れずに付き合っているのだろうか。これが知りたい。というか、大成功した奈津美の元カレが第5話で描かれた。彼は潤平に奈津美を奪われたことを今は気にしていないと言う。これはそのまま当てはめれば、大きな仕事を任されるほどに人生が充実している奈津美は、プライベートでも多くの人に出会っており、潤平のことを過去にしてもおかしくないハズである。それなのに奈津美が、マクベスという閉じた人間関係の中に留まっている潤平と付き合い続けることには、何か深い理由があるはずである。普通の人にとって10年とはそれほど長い年月。まず奈津美の元カレの話を描いたということだから、次は奈津美がなぜ潤平一筋できているのかについての話が、出てくるはず。

奈津美と元カレのマクベスに対する好感度

奈津美の元カレかつ3人の同級生は今は経営者なので裁量が大きい。だから春人に仕事をオファーする。奈津美は自分の裁量が限られており、失敗できないので、芸人が病気になって出られなくなった時に、代わりにマクベスが出ようかと言う潤平の申し出に「お気持ちだけいただきます」と即答する。春斗は同級生からのビジネスチャンスを、プライドが邪魔したのか自らフイにする。一方、潤平は奈津美にビジネスの提案をするも蹴られ、プライドが傷つけられる。この対比は胸が苦しくなる。逆なら笑っていられたのに。

3人は10年の長さを気づいていないのか?

春斗は、奈津美と潤平が10年も付き合い続けることになんの疑問も持っていない。これは恐らく潤平も瞬太も同じだと思う。これもやはり「お前ら高校からずっと一緒にいるから、時間止まってんじゃないの?」ということだと考えられる。10年もあればそれこそ恋愛の出会いと別れが複数回あっても全くおかしくない期間である。そもそも元カレと奈津美の付き合っていた期間を考えれば分かりそうなもの。奈津美と潤平の恋愛話は、時間が止まるということの怖さを描いているのかもしれない。

平凡じゃないふりすんの疲れたわ

潤平のこのセリフ重い。夢を追い続けるとはそういうことと片付けられるほど簡単なものではない。自分は特別だからと思わないと、他の人と違う道は歩めない。しかしそれを10年続けたから分かることもある。今でこそキャラ的に春斗がマクベスを引っ張っているように見えるが、マクベスは潤平が作ったもの。その潤平が音をあげていることの重み。

ボディブロー

潤平が音をあげたのには、何がという直接の原因はないかもしれない。今回の雀荘での高校の後輩とのやりとりもそうだし、奈津美が仕事で予定キャンセルになった際の「ゆっくり休んで」もそうだし、段々ダメージを受けるタイプの他者の無意識の言動に、続けることの限界を感じたのだろう。一番効いたであろうことは、真壁先生の「18から28と、これから先の10年は、別次元の苦しみだぞ」だろう。怖くなるのは分かる。漠然とではなく、この10年で成長した同級生にも自分の彼女にも置いて行かれているという目に見えた事実を見せられているのだから。自分の彼女が、世の中に組み入れられ、仕事をしっかりこなし、急なアクシデントにもテキパキ対応している中、自分は水の中に入って彼女を待っていたという状況の対比…。しかも「ゆっくり休んでね」と言われる始末。夜になっても働いている奈津美に対し言うことはあっても、言われるような言葉ではない。これ言われた時、かなり応えただろう。

里穂子の説得

春斗がお願いして里穂子の仕事明けに公園に呼び出したのだが、里穂子がマクベスの10年を総括するみたいになってる。しかも、言葉を仕事にする春斗を言い含めようとした感じなため、春斗から反撃を喰らう。

・10年を無駄だとは思っていない。

・全国3位は報われている

・話が長い

これ、文字通りというより、お前に何が分かると言うのをオブラートに包んで言っているのだと思われる。部活動の話は、あくまで部活動の話であり人生を賭けたものではない。また、努力が報われた例もバイト先のちょっといい話に過ぎず、これも努力に対する報酬としては弱い。こんな例を出してきて、しかも長い前振りなんて聞かされても…ということ。ただし、里穂子が接客した婦人2人、これどう見ても第3話で、瞬太のバイト先「ボギーパット」の大将が言っていた、還暦を迎えた双子の妹。ここから話が動くのではないだろうか。事務所のマネージャーも(珈琲淹れるのに)忙しいと言いつつ、「ボギーパット」には通っているようだし、「ボギーパット」を拠点に話が回り始める予感。この展開は、人と人の細い繋がりが複数集まってできるものだから、実現すれば、これまでの狭い世界の3人の殻を破ることにはなる。

危険な予兆

マクベス解散して住むところがなくなった春斗と、妹が出て行って一人暮らしになった里穂子…うーん、まずいんでないの?

何がって2人は愛の名の下に好きあっていると言うより、ファン、しかもマクベスというグループを推すファンとメンバーなのだが、なんとなくそれぞれ話し相手がいないため、取り敢えず2人にになってる感じだからほんと危ない。ありがちな共依存ネタに行き着きそう。

コント『カラオケボックス』の結末

カラオケ店は今日の12時で畳むと言っているのに、ラストで「まだ、延長しますか?」と言っているの、第5話で描かれたことを踏まえると怖い。