Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【恋はDeepに】第8話 もはやここまで…


何か色々、話の辻褄が合わないというか、諸々が適当に流されてしまっているように見える…観ていて困惑している。ファンタジーだからとか、そんな意味ではなく、何か物語がまとまっていない感じが非常にする。予告編が本編としてずっと流され続いているような、拡げた風呂敷が破れ始めているような感じ。

 

 

脚が痛く、かつ魚とも会話できない

これ、人としても水棲動物としても、今後生きるのがハードな身体状況になっているということ。脚が痛いのは、体が元々陸上用にできていないのだから分かるが、魚と会話できないのは、どういうメカニズムであると説明されるのであろう。脳の関係だろうか?せっかく舞台が芝浦海洋大学研究室の話なのだから、架空で構わないので理論的説明がほしかった。そうしないと陸でも海でも、どちらに進んでも悲劇…と思わせるだけの安易な不幸設定に見えてしまう。まあ、そうなのだろうけれど。

手遅れになる前にもう近づくなと鴨居は倫太郎に言うが…

別に倫太郎と別れたら手遅れにならないのだろうか。元々海音が無理して陸に上がったのは倫太郎云々の次元ではないし。倫太郎のために無理しようとするからという理由も、不幸感を増すためのものに過ぎず、今このような状況になっているのは倫太郎のためではなく、自らの使命感からのものであるから、納得感が低い。教授会での疑惑説明の日時について鴨居が海音に嘘をついたために、海音が動揺したり、走らせたりさせているが、こっちの方が余程無理をさせていると言える。とにかく不幸演出の理論的詰めが甘い。架空で良いから理論的説明を入れないと、ストーリー都合の行き当たりばったり設定にしか見えない。

次男三男

ルールに従って取締役になったのだから好きにしたら良い…これを倫太郎は榮太郎に言う。合理主義者であり、かつ器が大きい感じがする。蓮田トラストの外、イギリスでコンサルやっていた設定に納得感ある。まあ、資本が乗っ取られた今、倫太郎が何か言ったとしてどうしようもないことという合理性もあるけれど。

肝心なことは隠すスタイル

海音は研究室の面々に洗いざらい話すが…話すが…、話しているように見えるが、身体のことは流石に言えないね。しかし、経歴詐称を白状した際の、研究室内の受け止め方はちょっと楽観的すぎると思う。研究室内の騒動は自分のキャリアにも影響があることであり、あそこまで同情のみなのは違和感。逆に海音の論文のインパクトが余程のもので、経歴詐称より海音が籍を置く鴨居研究室に所属することの方がメリットがあるということなのかもしれない。

Mr.エニシ

せっかく"縁"という名前を持つのだから、一肌脱いでもらわないと。ホントに迷惑なヤツだったが、ここで動画配信者の設定が生きるのかと、教授会シーンでは期待したが、結局何をやったのか具体的な描写に乏しく、名誉挽回のチャンスを活かせなかった。

教授会で逆転の発想の倫太郎

倫太郎は海音が人間ではないという言葉を逆手に取っている。これで煙に巻く作戦か。いや、でもこの演説一発で疑惑解消なの?そんなことあるの?ちょっと色々なこと端折りすぎだよね。

騒動の中の教授会なのに記者もいない

今日は記者はいないようだな。渚海音の疑惑は一層高まっているし、教授会の話もマスコミに漏れているだろうに、何で記者は1人もいないのだろう。ちょっとご都合主義ですかね。

そもそも教授会なのに…

教授会の正しい日時場所を知っているのに研究室でまったりしている染谷教授。海音が飛び出したら一緒になって飛び出して、会議室に来てもドアの外から教授会の推移を見てる。ん?あんたも教授だろ!中に入れよ!それ以前に、研究室でまったりせずにちゃんと教授会に参加しろよ!これは何か合理的な理由があるのか?単に脚本が雑なだけか?もう本当にわからん。

教授会における倫太郎様ご発言主旨

好きな食べ物はワカメ 体温は低め 保湿しないとすぐ乾く それが渚海音

俺はそんな渚海音が 地上で一番大好きだ!

これで教授会を黙らせたの不思議に思う人が多いと思うが、今現在の大学における研究環境の厳しさを考えるとこれは納得できる発言。倫太郎があの場で何を叫んでも、教授たちに聞こえたのは、以下の意味になるのである。

「渚海音の後ろには、蓮田トラスト御曹司倫太郎がいる。蓮田トラストは、芝浦海洋大学に多額の寄付をしているし、共同研究として多額の研究費用を出している。これ以上、海音のことを追い詰めたら、どうなるかわかるよね?」

ショック療法

榮太郎の株売却と、取締役就任。え?家族みんなに効果ありなの?こんなショック療法だけで?えぇー?榮太郎天才じゃん!

ウイスキーをビールのように飲む兄弟

何か流石に無茶苦茶なのが続くので、もう特殊な世界観のファンタジーとして見るしかない。ウイスキーをジャブジャブグラスに注いでも驚かないことにする。このドラマはそんなところを見てはいけないんだ多分。しかし、ファンタジーなられこそ、架空でも良いからリアリティっぽさは必要だと本当は思うが…。それをすっ飛ばすんだよね、このドラマ。この兄弟3人の酒酌み交わすシーンが入れられたのは、3人それぞれが腹を割って話す機会で、これから兄弟で一致団結して行くことの表現なのだろうが…いくらなんでも一緒に酒を飲むだけでこれまでの過去が洗い流されると言うのは、無理があるのではなかろうか。アルコールの消毒効果期待しすぎだって。それこそ、兄弟3人が険悪にならずというのは、これまで何度も光太郎と倫太郎の仲が険悪でも、榮太郎がダイニングキッチンに立つことでやろうとしてきたこと。それを、榮太郎のいないダイニングキッチンから始めて榮太郎を招き寄せると言う逆設定をすることで、3人の心が繋がったとも言えるが…そんなの安直やん。倫太郎はともかく、光太郎は、自分の地位が脅かされるのをようやく素肌感覚で理解したから焦ってるだけやん。遅すぎる。自分が役員解任されたら何者でもないことわかってるから故の共闘にしか見えない。なんといっても、レストランで一口ずつしか食べない人だよ?…さすがにこれは関係ないか。

一番安直な交通事故演出

この設定出してきたから、もう『恋はDeepに』は真面目に考察するドラマではないなと思った。交通事故で生死の淵をさまよう。取ってつけたような交通事故話を出されても、ハラハラドキドキ、倫太郎はどうなるのだろう…なんて今時ならない。最終回直前に主役級の登場人物が交通事故に遭う設定なんて聞いただけで、テンションだだ下がり。しかも、あんな細い道で、あのスピードで、距離も離れているのだから、ブレーキ踏めば止まるでしょう。クラクション鳴らしてるだけなんて轢く気満々じゃないの。これはファンタジーでは説明できない、安易すぎる展開。

なお、第4話では海音が、見知らぬサッカー少年を助けようと、これも通りすがりの自転車に轢かれてる。芝浦海洋大学周辺の交通安全事情悪すぎる。というか、同じドラマ内で、何の脈略もなく、誰かを救おうとして交通事故に遭うシーンが2回もあるの、なんというかすごいな。2度あることは、最終回でもあるということかな。

交通事故というのは、本当に前触れなどなく突然襲ってくる悲劇である。しかし、ドラマの最終回直前に、前触れなく突然襲ってくるのも、ドラマの悲劇なんだけど。主人公である人魚の相手方を交通事故に遭わせて、2人に突然の悲劇がッ!!ってやられても、登場人物たちに、お前ら今の今まで何やってたんだ?としかならない。

交通事故ネタを使うと、これ迄の8話が全て無になるんよね。つまり、人魚と御曹司が出会って色々あったけど、人魚を守って交通事故に遭った御曹司は生死の狭間に…で終わっちゃう。色々あったことなんてどうでもよくて、御曹司の生死だけが最終回のハラハラドキドキの中心になってしまう。最終回、交通事故後からの1話完結でよかったじゃんてなる。

視聴者に不幸だと思わせるためだけの、不幸設定

結局、脚が痛むのも、魚の言葉がわからなくなるのも、倫太郎が交通事故に遭うのも、海音が新鮮な刺身を食べないのも視聴者に海音が不幸だと思わせるだけのパーツに過ぎない。そこに必然性を持たせるのがドラマなのにそれを省略しているから展開が取ってつけたようになる。今更、海音にストーカーまがいの行動を取る教授まで登場させているし。ストーカーまがいの行動させるなら、これまで目立った役割がなかった染谷教授にさせても良かったのに、更にモブキャラ出してくるのも意味がわからない。何というか思いつきの不幸を並べてみましたという印象しか受けない。

振り返り

まだ最終回終わっていないが、初回あたりはこのドラマは、タイトルのチープさ対比、色々考えられていて面白いと思っていた。それが最終回直前で主要キャラの交通事故にまで落下するとは。撮影終了がいつなのか分からないが、視聴率が悪いために話数削減したとかそんなことが起きているのではないだろうか。1話削れば説明できることはそれだけ減る。ラストに向かう数話は、初回あたりと全く異なり本当に展開が雑に見えるから、強引に物語を畳んでいるのかなとは思う。最初のうちは本当に楽しく視聴していたのに何でこうなったかというくらい今は困惑している。

海音の食性

カメなら草食性でも驚かないが、人魚なら、食性は人と同じで良いはずなので、寿司屋のシーンとか入ってたら面白かったかも。海を守るというのは、海音の場合、生態系の話がメインだったから、食物連鎖を考えて、魚やエビを豪快に食べて欲しかった。海藻サラダだけというのは、逆に変。

地上で一番好き

俺はそんな渚海音が地上で一番大好きだ!

この倫太郎が教授会で叫んだセリフ、何が引っかかるって、水棲動物由来の渚海音に対し「地上で一番」という言葉を使っていること。うがった見方をすれば、「地球で一番」は別な人物かもしれない。恐らくそうで、やはり海の中に消えた母親が、倫太郎の中では一番大好きなのだろう。これはもはやトラウマレベルの話なのでどうしようもない。このセリフ選び良いな。