今週は先週の1945年から少し時間が開いて、1948年をじっくりやるということか。1年を週を通じて描くのは『カムカムエヴリバディ』では初めて。
この第6週は、岡山に戻るところから始まり、米国扱いの米軍建物内で終わる。移動してきて、また違うところへ行く。何か象徴的。
- episode 026 (12月06日)
- episode 027 (12月07日)
- episode 028 (12月08日)
- episode 029 (12月09日)
- episode 030 (12月10日)
- 今週は良い終わり方
episode 026 (12月06日)
安子のいきなりの土下座
まあ夜逃げしたのだからこれは仕方ない。しかも、玄関開けたらそこに正座して待ってるんだから怖いし。
安子さん、帰ってきてくれてありがとう。ありがとう。このとお礼を言います
これだけの美都里のセリフなのに、美都里の気持ちの変化がわかるの良い。
「お名前は」「雉真るいです」
勝ち負けで言うのは変だが、これは安子の勝ち。美都里が「帰ってきてくれてありがとう」と言うのを聞いたるいに間髪入れずに名乗らせる。安子酷いわ。雉真を名乗らせたらぐっと来るに決まっている。もともと許す気でいたのに、そこで孫の「雉真」名乗りがきたら、そりゃもうだめだね。美都里は、目の前の子が「雉真るい」だと知っているのにわざわざ名乗らせるのは安子がマウント取ったということ。眉毛ハの字にして戸惑った風な顔してるけれど、マウントはしっかり取っている安子は怖い。大阪で色々学んだのだろう。
雪衣さん
美人で若すぎる。しかも既に何かわからぬ気配を漂わせている。これはダメな感じだ。しかもるいと二人になる時間がある。
るいが帰った翌日の朝食に卵焼き
これは現時点の普段の食事なのだろうか。それともるいが来たから特別なのだろうか。相変わらず金銭的には全く困らない雉真家。
無邪気なるいが立てたフラグらしきもの
ずっとお母さんとおれる?
無茶苦茶フラグ的なセリフだ。最後のナレーションで、
るいとの関係がいつまでも続くと思っていました
なんて言ってる。これは不穏。
橘家があった場所
安子が立ち止まった不動産屋の場所。これがおそらく『たちばな』があった場所なのだろう。きぬちゃんとは何もその辺りを話しているシーンはないが、恐らくそうだろう。加えて『あかにし』のあったであろう場所は理髪店になっていた。吉右衛門どうなったのだろう。
絹一丁ちょうでぇから始まる生存確認
きぬちゃんは生存。明るさと勢い感は変わらない。農家の三男と結婚で大豆は調達できるのかな。
算太は依然不明
きぬちゃんのお父さんに、どこにいても死なないと言及されているので、生存しているのかな。なぜか再登場はまだ先な気がする。
(大阪の)あの暮らしが恋しい、しあわせじゃった
そんなことを言う安子に対して、岡山でも歌って笑っておはぎを作って暮らすことはできると言うきぬちゃん。この人は本当に人生の師匠である。しかし、きぬちゃんにも限界があり、安子の気持ちを読み切れていない。安子のこの言葉は、生きる目標を立て、目標をクリアし、さらに次の目標を立てていく楽しみのようなことを言っているように思える。安子は困難があれば燃えるタイプという感じ。安子の幸せというのは、自己実現という意味での幸せであり、るいの成長についてさえそこでは二の次という感じに見える。確かに雉真家ではその欲求は満たされない。
るいに野球トレーニングする勇
この人は本当に野球が好き。それだけでなく野球好きを増やそうとしているのか、少年時代は安子に甲子園大会の放送を聴きに来いとか言ってみたりしていた。まあ、それは違う意図だったのだろうが。るいの命名についても「塁」だと勝手に決めつけているし野球好きは一貫している。
しかし、るいに野球を教えるのは良いのだが、勇の結婚話というか、まだ結婚話がないことに驚き。本人のその気のなさと戦後のゴタゴタで、千吉も動かないのかな。
episode 027 (12月07日)
腕の傷、額の傷
残酷な話ではあるが、自分の腕の傷は完治に向かっているのに、るいの額の傷は残ってしまった。これは安子は一生悔やむことになる。ただ、石があって頭を打ったのであれば、最悪の結果でなかっただけよかったということでもある。あと千吉も美都里もこれを責めていないところが良い。
安子とるいの周りの環境
良い人たちの中で暮らしている。ただ一人、不穏な空気を漂わせている雪衣さんを除き。雪衣さん暴走するのかな。既に登場2回目にして目つきの怪しさが強くなってきてるし。しかしそういうポジションはドラマでは必要だから…今は落ち着いてしまった美都里の代わりの憎まれ役ということ。
『たちばな』のおはぎ
売れて何よりであるが、安子の自己実現と罪悪感から逃れるためのものとしか思えない。何というか、るいのことを思うという点で方向が間違っている気がする。まだ幼いるいを家に置いてでもおはぎを売りたいというのは、やはりるいのためとは言えない。しかしそれが一方的に悪いとも言えない。千吉が言うようにおはぎは安子にとって特別なものだから。一方で商売をしている雉真家にとっても体面があるというのもその通り。お金持ちなのに、死んだ長男の嫁と娘を道端で働かせていると言うのは、今で言う人権的視点から見ても明らかに良くない。その意味で、折衷案を出してくる千吉は、相変わらずの仙人みたい。安子の気持ちにも一定の理解を常に示している。特に当時としては今以上にそう言えるだろう。
スーツの似合う後継者、雉真勇
シュッとしてカッコいいわ。しかし言うことは野球絡み。何言ってるか分からんが、4番は強打者でとか長々と言うが、違うと千吉に一蹴される。一蹴されたのだから、サッカーで考えろということかな?
おはぎ作り
るいの傷を治すための治療費を稼ぐのが目的か…。単なる生き甲斐、ライフワークではないから、そうなるとやめるわけにはいかない…と言いたいが、やはり雉真から治療費は払ってもらうことができるからなぁ。るいと離れてでも売りたいという思いは、もはや我を張っているとしか思えない。
野球に打ち込んできた勇にしかできないこと
勇はそれが何か見つけられるのだろうか。
1番足袋、2番学生服、3番軍服。4番にどのような打者を送り込むべきか…なんて例え話、なんの役にも立たないからな。次の製品は何にしようか、で良いんだからな。
そもそもガチャマン景気がすぐそこにきているのだから、今は制服をやっておけば間違いない。
千吉の忠告
微妙な忠告。安子はおはぎ作りを禁止することは止められないと承知した上で、るいは販売に連れて行くなと言う。かなり妥協している。亡くなった雉真家長男の嫁と娘の扱いという点で、これはかなり譲歩している。安子もそれが分かるから、るいを連れて行くことはやめる。しかし、るいを雪衣さんに任せることになるのだよなぁ。
may i help you?
きた!英語を実践で使う場面だ!戦中には敵性語とされた英語を実践で使う場面がきた!ただこれだけで感動の波が来た。
米軍将校さんがなんとなく稔に似た風貌
これは寄せてきたな!
優しすぎる千吉が靖子を苦しめる
最初の大阪訪問で、ちゃんと頑張って自立できることを示さねばと安子にプレッシャーを与え事故を起こさせ、連れて帰ったら帰ったで、治療費のためにとおはぎ販売を意地でも続ける勢いにさせる。安子にとっては完全にるい本人のことは二の次で、治療費のお金のことで頭がいっぱい。
義理の家族に甘えることを知らない安子が意地を張ってしまう方向に誘導しているようで気の毒。千吉は、安子を雉真のヨメとしてなはなく、一人の人間として扱っているのほんと凄いのだが、恐らく安子が精神的に未熟というか、考えが短絡的なので、千吉の思いが空回りしているように見える。千吉の思慮深さが悪い方に向かってしまっている。
安子のキャラ
安子は、ターゲットとした壁に対して工夫して突破して行くことに生き甲斐を感じる人間で、そこにのめり込んでしまうと、周りの人間の思いやり等が見えなくなってしまうタイプに見える。
episode 028 (12月08日)
ドラマとは関係ないけれど、真珠湾攻撃の日。つまり今日は太平洋戦争開戦の日。
may i help you?からの初実践
英語話すの早いよ将校さん。安子は初実践だよ、と思ったら、ちゃんと通じている。スゴイな。ラジオ会話を戦前から聞いていただけあって、筋金入りということか?
ただし、売っている花は菊ばかり。それが野に咲く花のリアルなのかな。それとも、この時代に花を買うということは、戦争で亡くなった人に供える仏花の需要が多かったのだろうか。暗い話だが後者のような気がする。だから華やかな花ではなく菊だと。それにしても、小さな菊の花が20円…物価が高くなっている。こういうところちゃんと検証しているのだから物価高騰が体感できる。
how much? を なんぼです と訳す安子
「いくらですか」と言わないの良いな。しかし、安子が学んだラジオの英会話ではそこは「いくらですか」が正解なので、ちゃんと不安がる花売りの女性に親しみやすい方言話してるということ。こういう安子の心遣い良い。
しかし結局店を畳み移動する花売りの女性
なんでなん?これじゃあ結局、お咎めありと変わらないのだけれど。あ、将校からもらった金額が1日の目標を超えたから家に帰るということか。それならば理解できる。よく分からないがいくら渡したのだろう。
るいの疑問
なぜ一緒におはぎを売らないのか、なぜ連れて来たのか、まあ、真っ当。それに対する雪衣の回答は、正論。正論だが、子供には残酷であるし、聞きようによっては、悪巧み感が出てしまう。しかし多分悪気のない言葉。
ディッパーマウスブルース復権!
というか、ミュージシャン斡旋業がメインか。
レコードをかけてほしいミュージシャンに、順番待ちだから、酒飲んで待てというくらい羽振りが良い。コーラまである。甘い甘い砂糖がたくさん入っている。何というか、戦中は非国民扱いだったのが、今度は理不尽に思いながらもアメリカの音楽に囲まれている。
「さすが安子ちゃんのおはぎじゃ」と言うのよい。「さすが『たちばな』のおはぎじゃ」じゃないのが良い。
マスター柳沢の苦悩
息子の生死不明なのは米国との戦争があったからで、日米どちらが悪いということから離れても、それは事実である。その状況で自分が米軍施設に入ってお金や物資を得ることになんとも言えない気持ちとなるマスター柳沢。戦争中に同じ日本人から嫌がらせを受けたにも関わらずそんな気持ちになるのは、柳沢が優しいからだろう。一方、雉真千吉は、戦中も戦後も変わらず自分のビジネスを進めている。そして安子は戦中も戦後も自分のことのみを考えて生きているように見える。このような遠回しの対比は刺さってくる。
え?カムカムをるいと一緒に聞かないのか?
その場には美都里。美都里はるいに悪いと思いながらも、ラジオを消す。この気持ち。
不穏なラジオ講座
we can't think of having christmas without you.
ラジオ講座の語りは別に普通の放送なのに、不穏さを感じる。これを一人で聞くるいの気持ち。ただ、これ、稔の生存フラグという可能性とも取れなくもない。待ち望む側のセリフなのだから。
るいの寂しさ
安子には算太やきぬちゃんもいたが、るいには今のところ兄弟姉妹も同世代の友達もいなさそう。これがるいを寂しくさせている原因だろう。美都里や雪衣が家にいるというが、そうではない。そこに誰も気づかないのちょっと変な気はする。ただ、安子以外は気づいていてもどうしようもないと思っていて、安子はそのことにきづいてさえいない気がする。
成し遂げる安子
安子は、今回は冒頭で英語がちゃんと通じたことに喜びを覚えていた。これまで、自転車に乗れるようになり、大阪で芋アメを売り、おはぎの販路を切り開き、自力でラジオを買い、きぬちゃんの店先で『たちばな』のおはぎを売ったりと、次から次へと自分のやるべき目標を決め、それを成し遂げて来た。この満足感を得たいという欲求は、安子が死ぬまで持ち続けるものだろう。
置いていかれるるい
しかし、その欲求のために、るいは置いてけぼりとなっている。遂にはカムカム英会話まで、るいは一人で聞くことになる。大阪時代は生きるためという理由があったが、雉真に戻ってからは完全に自己実現、自己満足のための行動になっている。るいのことを考えたら、これはもはや安子の暴走である。雪衣が、安子がるいを返しに来たと言っていたが、現状の安子の行動を見れば、逆にそうとしか見えない。安子はるいを返し、自分が一人で生きていくための準備をしているようにしか雪衣には見えなくても非難できない。るいの怪我を治すためにというお金を稼ぐ言い訳は、そもそもお金に全く困らない雉真家に暮らす安子であるので、第三者にとっても頷けないものと言える。ここでるいの心が安子から離れてしまったら、それは安子の責任でしかないといえる。
千吉の良かれという配慮が仇となる
しかしこれも千吉が、安子からおはぎを取り上げることはできないと言ったから。ここで冷静に、安子はるいを育てることに専念せよと言っていれば、状況は違った可能性はある。ただし、再度2人で夜逃げする可能性も否定できないから、千吉もためらったのかもしれない。いずれにせよ、千吉は、自らの欲求に従順すぎる安子の向上心に翻弄されたということ。これは千吉だけでなく、るいも同じ。
祖母、母、娘の3世代親子の物語
ここにきて、このキャッチフレーズが、不気味に思える。既にるいの少女時代編に入ったのではないか。つまり、るいを顧みず自らの目標に突き進む母のせいで、るいがどのような少女時代を過ごしたかを描く週に入っているのではないだろうか。
母親のエゴにより一人にされるるい
るいの怪我に対し自責の念があるためか、安子は治療費を稼ぐことばかり考えるようになり、るいを「育てる」ことを忘れてしまった。しかし安子がこだわる治療費は、雉真家にしてみれば、その日にでも揃えられる程度の金額なはず。千吉の方がるいのことを考えているのは明らか。安子の我が、かなりマイナスに働いている。これに気づかない安子。るいにとって不幸なのは、『カムカム英語』を一人で聴いている描写があることから明らか。生活に全く困らないのに、夕方、るいを一人にすることは、もはや安子のエゴである。そもそも、あれだけ聴きたいと望んだ『カムカム英語』の時間に帰らないこと自体、安子の行動がズレてきていることを表している。
episode 029 (12月09日)
るいと共にラジオを聞くところからスタート。幸せなスタートか?…と思いきや、るいから突然の問いかけ。父を殺した国の言葉をなぜ学ぶのかという根本的問題。ただ、答えは出ている。稔がそれを望むだろうからというもの。そして、安子がそれを望むから。オープニングソング明けは場面が変わっており、安子の答えは不明。
菊の将校
i'm lieutenant robert rosewood, united states army.
微妙に稔に似たルックスの将校、名前をローズウッドと言うのか。米陸軍の尉官なのか。菊を買った人の名前がバラの木という名前。植物繋がりなのか。2回目登場も菊買ってるから、本当に菊というか花か好きなのか。
ローズウッド将校、日本語話すじゃん?え?何で?と思ったが、菊の花を買うときは焦っていたという設定か。なるほど、ギリギリ納得感あるか。
あらぬ噂の危険
米軍の建物に連れていかれる安子。これ、シチュエーション的にまずい。噂が立ったらほんとまずいシチュエーション。また雉真千吉の悩みが増えるよきっと。ナチュラルに、次から次へとしでかす嫁、安子。
菊とバラ
菊は日本の象徴、バラはイギリスの国花なので進駐軍の象徴かな。ただし、ローズウッド将校の襟にはUSとあるので、先祖がイギリスなのかな。
チョコレートと競合するあんこ
クリスマスで駐留軍がチョコレートを無料で配ってしまっては売れないのも仕方ない。あんことチョコレートで西洋文化が入ってくることを表しているの良い。しかも、こういうのが、稔の望んだ世界中の人々との交流に繋がるのかも知れない。
安子が思いを言葉にした後のローズウッドの行動
なぜローズウッドは進駐軍内のクリスマスパーティに連れて行ったのだろう。これ、どういうようにも繋げられるシーン。毎度のことながら、次回まで悩むことになる"to be continued"場面。
開戦時のラジオ放送(再)
再度入れるのなら、1つ前の回に間に合えば…まさに12月8日だったから。そうする予定だったのかも知れないが、何かずれたのかもしれない。
菊の花を選んでいるのか否か
ローズウッドは、買った菊の花を自分のオフィスの花差しに挿している。その隣には恋人なのか若い女性の写真。単に自国にいる女性を想ってなのか、それとも菊を供えることに意味があるのか…。これはストーリーが膨らむ可能性。
episode 030 (12月10日)
クリスマスパーティ
これがアメリカなんですね
深読みしすぎな安子。こんなに豊かな国と戦ったら、稔は帰って来れないと言うのは当然だと見せるためにパーティ会場に連れてくるなんてあるわけないでしょ。大切な人のことを思う日というローズウッドの説明で、やっと連れてこられた意図を理解する。しかし、米軍内の将校用パーティで、米軍将校が若い日本女性を連れているというのは、まあ、米軍内でも"そういうこと"と思われるのではないかな。かなり酔った定一に見つかったらどうなることやら。これ、次回早々ありそうだな。
ローズウッドの写真の女性
妻も戦争で失ったのか。米国本土への攻撃はなかったはずなので、変だなと思ったが、兄弟の戦死で心臓を悪化させたということか。かなり無理がある話だが、ストーリー展開上、これで良いか。
ローズウッドは妻と死別、英語ネイティブ、日本語カタコト。安子は夫と死別、日本語ネイティブ、英語カタコト。綺麗な対比。二人に何かあったら、るいの運命が変わる。
ただ、ローズウッドが本心から善意の人という前提で見なければ、安子はかなり危険な状況にあることになる。戦勝国の軍人に敗戦国の婦女子が連れていかれるシチュエーションは尋常ではないと考えるのが「普通」の判断。安子は、可能性されて連れられたのではなく、拒否することもできたのに自らの判断でローズウッドについていったのは非難されるべきことかましれない。
密入国少年
少年…喫茶店マスター柳沢はクソガキ呼ばわりしているが、マスターにとって、いずれ消息不明の息子の代わりになるのだろう。というか、既にその兆しが出てる。これ、クソガキの父代りが定一、定一の息子代わりがクソガキのように、ローズウッドと安子の関係も代替関係にならないとも言えない。
このクソガキがビール瓶らしきものを微妙にいじっているのが良い。口をつけてしまっては未成年飲酒の描写になるので微妙な持ち方というか口と瓶の間隔が絶妙。
この密入国少年をとっかかりとして、おはぎの少年や吉右衛門と繋がっていって欲しいなと思う。二人の消息が気になって仕方がないから。
on the sunny side of the street
良いところでこの曲を持ってくるな。柳沢定一役を世良公則氏にしたのはこのためか。いや、上手いわ。なんて上手いんだ。歌もシナリオも。
今週は良い終わり方
これが安子編の最終回でも良いくらい良い終わり方。ただ、これから安子は更に自己実現に向かって走るであろうから、雉真家及びるいにとっては長い日々になるのであろう。