第8週開始前:安子が、ちょっとどころではなく自分のことしか考えない人間であることが遂に露呈する週なのかな?
第8週終了後:想像以上にそうだった。
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episode 036 (12月20日)
野球に絡め過ぎる勇
あんこ、わしと結婚してほしい
勇の告白に対し、安子の顔が驚いていると言うより、どちらかと言うと「何言ってるんだこいつ」みたいな顔しているのが辛いところ。このシーン、安子にとって勇が、これまでもこれからも全く恋愛対象ではない「好き」であることがはっきり分かる描写になっている。
それにしても、勇は勇で安子のことを全く見ていないのダメだ。なぜ自分ではなく稔を選んだのか…この点を踏まえれば自ずと野球ネタではダメだろうということに気づかないと。進駐軍との試合でさえ観戦に来ないのだから。しかしちょっと勇の気持ちも分かる。自分の価値観というか自分の価値がそこにしかないと思っているもので勝負したいという気持ち、何となくチクリとくる。稔もロバートも、安子の気を引くような課題を出して、安子が食いついてくるのを引き寄せるのだけれど、勇は、自分の興味あることに安子を引っ張り出そうとしていて、根本のアプローチが違う。ただ、稔とロバートのアプローチが同じなのは逆に怖い。
察しの良過ぎるきぬちゃん
しかし勇からプロポーズを受けたことまできぬちゃんに相談するのか。しかもその場にロバートさんが来るか?そんな状況では、察しの良過ぎるきぬちゃんは察してしまう。察するだけで止めず、自分がどうしたいかはっきりさせないといけないと促すのきぬちゃんらしい。きぬちゃんの背中の押し方は、安子にとってベストとなる選択を考えての行為ではなく、安子が後悔しないための押し方。だからドロドロの場面に突入し、安子が疲弊する可能性があっても、安子が自分で選ぶことを優先するよう誘導している。千吉と並びこの人も凄い。きぬちゃんは、千吉と並ぶ人格者。この二人がいなかったら、安子の人生はこの時点を迎える前に破滅的なものになっていたのではないだろうか。
算太が信用金庫に行くための背広
雪衣に丈を直してもらう算太。そこで告白しちゃうのかという方に目が行くが、それよりも、千吉が自分の古い背広を算太に譲ったことが、凄い。新しいのを作ってあげるのではなく、自分の若い時の背広。雉真繊維という衣服を扱っている企業の社長の背広である。「身なりをきちんとせにゃいかん」などというレベルではなく非常に良い仕立ての背広だろう。改めて作ってあげるなら、そこまで仕立てが良いものは不自然になる。しかし自分のお下がりということなら、それも許される。お下がりでありながら、算太には不相応なくらい立派な背広を与える。こういうところにも千吉の凄さが出てる。ただし、靴はどうするのかな?背広だけ立派でも靴とバランスが取れていないと、それはそれでアンバランスなのだが。
一国一城の主とは誰のことなのか
ん?算太の信用金庫の貸付ということだが、未だにおはぎを作っているのは安子で、売っているのも安子がメインに見える。安子本人もおはぎと英語しかないと言い切っているし。算太は「たちばな」のために何か主体的にしていたか?安子が作るおはぎの販売「手伝い」しかやってなかったような。
るいが笑うてくれたら私は幸せ
そねんして生きとる私の姿あ、るいに見てもらいてえ。それでるいが笑うてくれたら…私は幸せです。
何というか恐ろしいほど他者のことを考えない思考。娘に対しても、自分が好きなことをして生きる姿を見せたいと言っている。自分がされて嬉しいことは、他者にもしてあげるという発想がない感じ。なぜ母親が自分のことを放り投げて、好きなことに邁進する姿を見て子供が笑えるのか。普通の人間であると、自分の子供が自分の好きなことに突き進んでいる姿を見て親が笑うというように考えるのだが、安子の発想は立場が全く逆なのである。そもそもここまでできるのは、やはり雉真繊維の財力があるからである。一人で家の台所で作ったおはぎを売るだけでは、るいの面倒も見ないといけないこともあり、生活が成り立たないので、ここまではできない。このドラマは恐ろしいことに、それも既に描いている。大阪時代を見てみれば、時間に余裕がなく働く安子が描かれている。大阪時代の暮らしが続いていれば、英語教室の準備などということは余裕がなくてできないだろう。つまり、雉真の庇護がなければ出来なかったということ。それなのに、『たちばな』再建の目処が立ったからと、あっさり雉真を去ろうとする安子の思考はかなりヤバい人である。何というか、他者の善意は、自分の目的のためにどんなに使い捨てても良いという発想に見える。あと、雉真という家には何の未練もないが、橘家には執念に近いものがあるということも分かる。確かに戦後の大阪で小さな子を抱えながら一人で生き抜いたのだから、大した人物であることは間違いない。
ということで、「それでるいが笑うてくれたら…私は幸せです」は、ビッグフラグである。千吉との会話で、その考えが甘いことを安子は知らされるが、こんなことを口にしてしまうのは、安子の自分中心の発想が、ここに極まったという感じである。
勇の気持ち
ロバートと安子が会っていたのを勇が見てしまう。安子は「違うんじゃ」と言い訳するが、これは雪衣が勇にした言い訳と同じ。勇は「義姉さんのこと何も知らんと」と雪衣に言っていたが当の安子がこれだから何も言えない。それにしてもこういう対比を出してくる脚本怖い。結局、安子も雉真家にとって寄生虫だと言っていた雪衣の言葉を勇も理解することができたのではないか。まだ結論は出ていないが、雪衣の時のように勇は寛容になるのか、それとも安子に厳しく当たるのかが次回の見どころになる。
勇としては、安子がロバートと会っていることをその場で問いただすのではなく、何か工夫をするべきだった。直情的に責めてしまったから、安子は結局、雉真家を出る決心をしたのだと思える。
『たちばな』再建の礼と家を出ることを伝える安子
千吉の詰めは厳しい。ちゃんと外堀を埋めて、しかも安子が切り出すのを待ってから詰めてくる。るいにとって一番良い選択とは何か。勝手に雉真家を出て、るいに怪我を負わせた一度目の失敗は許している。しかし2度目は無いという態度で臨む千吉は、るいの母親は安子だからとかなり我慢してきた。それでも安子が好きなことをするためにるいを不幸にはできないという考えは、当時としては今以上に筋が通っているし、今以上にるいのことを考えた理屈だろう。ロバートのことも知っていて不問に付していたのかもしれないし。千吉は、安子のことを立てながらも、本当にるいのことをしっかり考えている。言うべき時に言うべきことをちゃんと言っている。
おはぎの小商いで賄える額じゃねえ。途方もねえ金がかかることじゃ。雉真繊維の力がなかったら治してやれん
千吉はあくまで安子に選択を委ねている。これが素晴らしい。また、安子が家にやはり留まると言っても水に流す感じである。勇との結婚については、どう考えているか不明であるが。もう1951年の話であり、戦後6年が経過し、1925年生まれの勇にとって、安方ではないにしても結婚を考えなければならない年齢になっている。
橘の債権の目処が立った機会に家を出ると言う発想
もうこれ完全に雉真家の人間ではなく橘家の人間の発想。それも雉真家に世話になったことは一切気にもとめていない感じの態度。自立できそうになったから、雉真家を出るなんて鬼畜の発想。どうしてこんな冷たい発想ができるのか。
家に殉じる者たちの物語
稔も最初は安子と結婚したがっていたが、結局、雉真の名を捨てて自分一人で安子を幸せにできる確信が持てず、雉真家のために銀行の娘と結婚することを決意している。また、勇も野球で生きていくという志半ばで、家のために岡山に戻る。そんな妥協の中、たしかに稔との関係の初期こそ自分より稔を立てることをしていたが、稔の戦死の知らせを受けて以降、橘家のことだけを考えて生きてきた。少なくとも、これまでの描写で、安子が雉真の人間らしいことを行った描写がない。逆に橘の人間としての振る舞いはいくつもある。それを許した千吉と勇の心は全く想像できないのが安子である。悪意なく、天然でこれだけ気づかないのであれば、それはそれで迷惑な人間である。外形的には使えるものは全て自分のために使って良心が痛まない人間に見える。自分の娘でさえ、自分の好きなように扱えると考えている。かなりの危険人物である。
episode 037 (12月21日)
袖詰めてくれたんじゃね。ありがとう
無邪気にるいは言っているが、これ、ひょっとしてひょっとして雪衣さんが詰めたとかいうことは無いのかな。安子はこれについてるいに対して何も答えてないのが引っかかる。
無様な勇
雪衣凄い。それに対して鬼畜な勇。無様なだけでなく鬼畜。
背広
吊るしてあるのも算太が来ているのを見ても高そうに見えるが、思い込みなのかな。思い込みだな。
やはりるいを置いていくか
本当に安子はダメだ。自分のこと優先しすぎる。るいのためと言って、別れて暮らすことを説得しようとしている。つまり、るいには我慢をさせるが、自分は我慢しない。そういう発想が安子の生き方の根幹にあるのは、もはや間違いない。るいをどんなに強く抱きしめても、るいより自分なのだ。何というか怖い脚本だ。第1の主人公がおかしいことを描いて、第2の主人公に引き継ぐというのキツい。100年の物語というのはそういうことなのか…では、るいから次の世代へも同じことが起きるのか?
きぬちゃんも今回はダメ
安子がるいを一番に気にしていることはるいも分かるからと安子を励ますが、安子の中でるいは一番では無い。安子は、自分自身が一番であるから。きぬちゃんも今回ばかりはダメだ。きぬちゃんは妊娠中なので、母になると見解が変わるのでは無いかという気がする。ストーリー上は、きぬちゃんの妊娠は、これまで、何があっても安子を肯定してきたきぬちゃんが、出産を機に母性に目覚め、安子批判に転ずるための論理的仕掛けでは無いかと考えられる。
兄探しが優先
算太が行方不明になったら、すぐに家を飛び出し大阪に探しに行く。行動力があるのは素晴らしいが、安子の中では、るいの順位は兄より下ということが確定しちゃった。兄優先というより、橘家優先の発想なのだろうな。算太がというか、信金のお金がないと『たちばな』を再建できないだろうから。
手段と目的
るいを治療するための医療費が、
おはぎの小商いで賄える額じゃねえ。途方もねえ金がかかることじゃ。雉真繊維の力がなかったら治してやれん
というほど高額だと聞かされて、諦めるのではなく、
たちばなを大きゅうして治療費が払えるようになったら、そん時ゃあ…。
と発奮してしまうのが安子。しかし、どれだけ大きくするとそれが実現できるのか。そもそも、それまでの教育費やもろもろの生活費は雉真家に頼るつもりだろうし、お金ができたから迎えに行ってはいさようならなんて大人の考えることではない。
とにかく安子はハードルが上がっても、諦めることは一切なく、さらにチャレンジ欲に取り憑かれるタイプの人間。るいの治療をしたいという目的があって、そのための手段であるはずの商売が、完全に目的になってしまっている。この人、本当に自分のことしか考えていない。ここまで徹底して描くの凄い。
安子が完全にダメな人間として描写される
あても無いのに突然家を出て大阪に向かい数日算太を探すとか、これはいよいよ千吉も堪忍袋の緒が切れるな。そして雨の中、安子は倒れる。え?倒れるの?これは安いドラマの展開になった。ストーリーに行き詰まると、主人公やその周辺が事故や病気になるの、ダメな夜の連続ドラマでよくある展開。既に交通事故で事故は使ってるから、今度は病気で倒れるパターンか…これまでなかなかな展開で来ていたのに、何故急に安っぽくなるのか。残念。但し、探究心という安子の長所が、今の状況では短所になってしまい、そのまま次世代のるいと主人公交代というのなら凄まじい脚本と言える。それでも、雨の中倒れるのは安直過ぎ。
雪衣さんのターン
算太が家を飛び出す原因となったと思われる、雪衣さんが勇の部屋から出てくるシーン。これ、そのまま雉真家に跡取りの男の子が生まれる展開ではないかな。そうなると千吉がどう出るかということになるのか。
バタフライ効果又の名を風が吹けば…
安子がきぬちゃんと話していたら、ロバートが偶然やってきて、きぬちゃんの計らいで二人で歩き、それを勇が目撃し、勇が酒を飲み暴れ、雪衣が手当てし、雉真家の跡取り誕生となる流れになったとしたら、全てはきぬちゃんが原因だったということか。
白い服、黒い服
気のせいかもしれないが、安子は主に白っぽい服を着て、るいは黒っぽいもしくは色のはっきりした服を着ている気がする。とにかく自分が前進すること、つまり日向の道を歩むことを優先する人生を送る安子と、そのような母親の影により日陰の道を歩まざるを得ないるいとの対比のような気がしている。
安子が大阪に向かうことの許可
千吉の許可を得ているか否かがポイント。最低でも勇の許可。これを得ていなかったら、形的には、勇との結婚話を拒絶し、ロバートを追って大阪に行ったと取られてもおかしくない。るいは、散々英語教室の資料作りの場に連れて行かれただろうから、ロバートが大阪から来ていることを知っているはず。算太が大阪に向かったという話も、算太と安子が、示し合わせて雉真家を出るための狂言だと考えれば辻褄はついてしまう。本当に大阪にいるかも分からない算太を一人で探せるわけがないと考えるのが普通だから、千吉も勇も安子の大阪行きの許可を出さないだろう。つまり安子は勝手に飛び出した。そうなると残された人にとっては、安子は家出したと考えるのが普通。
るいに一生の傷を二度までもつける安子
安子の算太を探して大阪行く行為は、形だけ見ればるいを置いて家出したようにも見える。これは、仮に千吉や勇が許しても、母親が自分より算太を選んだと思うに十分な状況であることから、るいが心の傷を受けた可能性は高い。この傷は一生治らないだろう。安子はるいに額の傷だけでなく心の傷も負わせたということになる。これはるいにとって母親に重い十字架を背負わされたことになる。
episode 038 (12月22日)
安子の退場
安子はもうダメだ。何を考えているのか分からない。
何で、こねんことに…。
当たり前の暮らしがしてえだけじゃのに…。
うーん、当たり前の暮らしとは?雉真家での暮らしが当たり前の暮らしではないと安子は考えていることはわかった。しかしなぜ?橘家を復興させることが当たり前なのか。時代背景を考えれば、それは後継である算太が担うものではないのか。安子の当たり前とは何か。これは客観視できる現代の私でも分からない。当事者であったら全く理解不能だろう。
何よりもるいが一番大事なのです。
るいは私の命なんです。
何ということ。主観的にそう思っていても、客観的に見て言っていることとやっていることが全く合っていない。これが安子の限界。自分を客観視できていないし、行動の矛盾にも気づいていない。
雪衣さん
無事子供を授かりましたね。
健一の帰還
話のオマケのように『dippermouth blues』の一人息子健一が帰還した。時期的に中国またはソ連からの引揚ということか。「父さん」と呼ばれて、父定一は頷くことしかできない。戦後5年以上経過してのことだから、喜びより驚きの方が先に来たということか。「う…うん」のように、最初の「う…」は驚きで満たされ、後の「うん」に喜びの気持ちを少し滲ませる頷き方に味がある。安子編で決着つけておく必要があるから描いたという感じで、オマケで短いが良いシーン。
これを見るに、金太の最期に立ち会ったおはぎ販売の商才ある少年と赤螺吉右衛門のその後が気になって仕方ない。大阪で最初に商売を始めたときに再会するとばかり思っていたので未だ何も描写無しなのは本当にゾワゾワする。
i hate you
娘に額の傷を強調されてこんなこと言われたら、かなりキツい。しかしこれが全て。安子がやってきたことの報い。この流れが当然の報いに見えてしまうの、本当に脚本凄い。
今思うと、安子がおはぎを売る理由を「るいの治療費のため」と言っていたところが既にダメだったと思える。ダイレクトに「るいのため」ではない点が安子の考えを端的に表している。傷の治療にはお金がかかるからおはぎを売るという理由になるが、単純にるいのためを考えたら、まだ幼いるいのそばにいて、しっかり教育することがるいのためであったはずだから。第36話で、安子が、
そねんして生きとる私の姿あ、るいに見てもらいてえ。それでるいが笑うてくれたら…私は幸せです。
と言っているが、この発想が安子の今を生んだとしか言えない。幼いるいを放っておいて自分のやりたいことに打ち込む姿を見せて、るいが笑うと思ったことが。これは、戦争前の橘家において、安子が英語を勉強したりすることを、母や祖母が見守ってくれた感覚をるいに求めているのだろう。母や祖母の温かい目を、るいに求めること自体間違っていて、逆に、るいが自ら学ぶ姿を今度は安子が温かく見守るべきだった。それが安子には理解できず、自分の子に母親の役割を求めてしまった。入学式に間に合わなかったというシチュエーションがあまりに状況にぴったりすぎて脚本の凄さを感じる。これ、安子は橘家の下の子として皆から愛されかつ甘やかされて育ったんだろうなと思ってしまう。
i love you
ロバートが言っていたこの言葉に安子はすがることにしたと。うーん、るいからi hate youと言われた当日の話だと思うのだが、切り替え早い。
何よりもるいが一番大事なのです。
るいは私の命なんです。
一緒に暮らせなんでもええ。るいのそばにおりてえ。
と言っていたが、るいに対する再チャレンジは無しということか。安子の決意は意外にあっさり目だな。逆にこうなることが分かりすぎているのに、何故安子はるいを放置していたのかとしか思えない。やはり脚本凄い。
厳しい世代交代
安子の自分を客観視できない姿勢は、るいの代、その次の代の比較対象となるデフォルメなのだろう。向学心、努力家、諦めない心のような安子の愛すべき長所と思われた点が全て逆に働くの、キツいけどワクワクもする。これが世代交代。
算太と安子の共通点
安子の自己客観視のできなさと、周囲をトラブルに巻き込む才能は、算太のものと同じようだが、金太にはそんな感じはなかった。売り家と唐様で書く三代目ということか。だから「参」太なのか。サンタだけでなく3代目の長男という意味なのか。
オープニング曲がまたもエンディング曲になった!
第1話も中々オープニング曲が流れなかったが、安子篇のラストもそうなるのか。構成良いな…でも、話の内容は第1話とは天地の差だけど。
るいは黒い服、安子は白い服
やはりこの傾向はあるな。特にラストシーンで成長したるいのワンピースが黒であったし。ドラマなので単にるいは黒が好きだからということはなくて、意味があるのだろうなぁ。日向ではなく日陰の道を歩くことを余儀なくされたか、自らそれを選んだのかというのが気になる。
稔の写真
ふと思ったが、算太を探すという口実で大阪に行った際、雉真家の自室にあった稔の写真はどうしたのだろうか。何か結構闇が深そうに思えてきた。
安子における稔と英語の位置付け
安子の中では稔を思うことと、英語を学ぶことは同じ次元になっているのではないのかな。亡くなって6年以上経過したので、実体のある稔ではなく概念としての稔さんになっていて、英語を学ぶ方がイコール稔を思うことになっている気がする。つまり英語を学ぶことが信仰における修行のような感じに昇華しているのではないか。故にロバートのI love youを受け入れてもアメリカに渡ろうとも、英語だから許されるみたいな感覚になるのかもしれない。
算太はこのまま退場なのか?
算太はこのまま退場なのかとも思ったが、これまで、消えては現れまた消えるを繰り返してきた算太なので、100歳超えの長寿で、安子に始まる三世代目までちゃんと生きて狂言回しの役を全うするというのもあり得そう。
結局…
るいの身の上は、父戦死、母国外逃亡という結果に。稔は仕方ないが、安子は何が「何よりもるいが一番大事なのです。るいは私の命なんです」なんだか。こういう視聴者を揺さぶるの、意図してやっていること分かっていても心を揺さぶられる。
episode 039 (12月23日)
るい編スタート!
振り返りは昔の映画のようにスタート。
千吉の時代感覚
繊維産業は絶好調で、ガチャっと織機を織れば一万円儲かるいわゆる「ガチャマン景気」の最中に千吉は亡くなる。しかし死を覚悟した際に、勇に景気後退したならば、足袋作りに専念しろと言う。既に景気後退を睨んでいるのが本当この人は時機を見るのが上手い。だから全く危なげなく戦前、戦中、戦後を渡って来られた。
後悔する千吉
安子にキツくしたからるいが笑わなくなったのかと後悔する千吉。うーん、千吉良い人過ぎる。千吉は自分を責める必要はない。しかも勇も安子がアメリカに渡ったのは余程のことがあったからと言う。いやいやいや、良い人すぎるだろ、二人とも。安子の方は全然そんなことを思わず、常に自分が日向の道を歩むことを考えて行動していただけだろうから。それで誰かが日陰の道を歩もうとも。その誰かがるいであってさえも…という感じが、これまで観ていた視聴者には分かるようになってるの、安子編の中盤までは想像できなかった。しかし今はしっかり安子の危なさを感じることができる。脚本にやられた。それにしても、稔は、自分の子供に日向の道を歩かせたいと言う願いを持っていたはずが、るいを犠牲にしても安子自身が日向の道を歩き続けようとしているの、本人気づいてないっぽい。何というかダメな人。
息子、昇
勉強好きなのは稔が乗り移ったのか。しかし同居していたはずなのに祖父を偲ぶことはなくドライ。そして、稔はキャッチボールはしていたが、昇はキャラ的に体育会的なものを嫌っていそうなので、キャッチボールしないのではないかな。それで勇はるいとキャッチボールをするという切なさ。
雪衣さん
千吉の葬儀の前にテレビドラマの最終回を気にし、るいのことを勇に聞かれても答えない。なんで最後の最後に雪衣を悪役確定にするのか分からない。今までのようなどっちつかずのキャラクターでは何がダメだったのだろう。雪衣のるいへの無関心さが、るいが家を出た理由に見えてしまうのだが、そうなのだろうか。
勇は幸せなのか
勇の人生って幸せなのかなぁ。何か不幸な気がするんだけど。何でとことんついてないの。ただ、生きているだけで良いという時代でもあるからなぁ、戦後比較的早く帰還しているし。
これから時代は繊維不況に入っていく。ここまであまり幸せと言えなかった勇が、坂道を転がり落ちるのは見たくない。その時、雪衣と昇はどういう態度に出るのだろう。工場を所有しているから、土地はあるので最悪のことにはならないだろうが。
あっさり岡山を出ると言うるいとあっさり認める勇
勇は否定しない。決意した女性に対してはその意思を尊重する、これが勇。強引さが足りないとも言う。考えてみれば、幼少時から安子が好きだったのにうまく伝えられず稔やロバートに奪われるし、雪衣にも先手を取られたようなもの。勇はかなりの恋愛駆け引き下手。良い人なのは間違い無いのに可哀想。
面接で前髪を上げることを要求される
ここであの傷のことが来るのか…これはキツい。ホテル従業員の面接合格手前でこれか。そりゃ泣くわ。
竹村クリーニング店、店員求ム
ちゃんと竹村クリーニング店は店員を求めていた!チラシがウインドーに貼ってある。ホテル面接には落ちたが、この偶然の出会いから訪れた竹村クリーニング店が就職先ということだな。一緒に漫才のテレビを見ようと誘い、一緒に笑い、涙を流し始めたるいに一緒に寄り添う。これは家族、るいの家族だ。
rui couldn't hold back the tears, she didn't know why
涙の理由は、単に面接に失敗しただけではない。面接で髪を上げ額を出せと言われたからでもない。別な理由があるということなのだろうか。考えられるのは、母安子への感情だが、それがどういうものかわからないということか。
るいがすがったもの
額の傷を雉真のお金で治すことをるいは拒否したと言うことだが、これは、安子を信じていたからなのではないだろうか。安子はるいに、額の傷を治すためにおはぎを売っていると言っていたから。母に裏切られたと思う一方で、これを信じて安子が帰るのを待っていたと考えることができそう。
悲しいときにも笑える力
竹村クリーニングの夫婦に引き寄せられ、テレビの漫才を観て、一瞬は笑うが涙が溢れるるい。これ、甘いものを食べると、人はどんな時も笑顔になると言っていた安子が思い出される。しかし、仮にいっとき笑顔になっても、すぐに現実に引き戻されると言うのが、るいの気持ちということか。安子の、甘いものを食べると人はどんな時も笑顔になるという言葉は、不幸に落ちたことのない幸せな者の薄っぺらな発言だったということになるのだろうか。るいを見ているとそう思えて仕方がない。それとも、漫才は甘いものより辛いときに笑顔にさせる力が弱いと言うことなのかもしれない。確かに甘いものは食欲という本能に訴えるもので、笑いという知的なものより、より一層原始的なものと言える。
episode 040 (12月24日)
放送日がリアルにクリスマスイブなのだが…算太は来なかった。良いタイミングなのだから出てきてよ!
お茶飲みながらの駄洒落夫婦
楽しすぎる。これは楽しい。何というか『たちばな』を思い出させる他人のはずの者も一緒に起居する家。まあ、るいは橘の家を知らないのだけれど。
安子は橘家の楽しい環境で育ち、雉真の本人としては息が詰まる環境に入った。るいは逆に、雉真の息が詰まる環境で育ち、竹村家の楽しい環境に入った。こういうの対照的で良いし、これからがるいの人生。何というか楽しかった昔を追い求めた安子と楽しい未来を追い求めるるいみたいな話になるのかな。
安子にとって理想の家庭は生家である橘家。るいにとって理想の家庭はこれから見つけるもの。モデルは竹村夫婦。そんな感じになるのではないかな。
雉真は親戚と言うるい
いや、長男の娘だぞ!父も母もいないとも言う。るい…。額の傷を見たのか察したのか分からないが、竹村夫婦は、良い夫婦。
竹村家の朝の食卓
もはや戦後ではない。
メザシ二匹、目玉焼き、揚げと小松菜の煮物、豆腐と野菜の味噌汁、梅干し、たくあん
戦後直後の雉真家の朝食と比べても今の竹村家の朝食の方が内容的に上回っている。このドラマ、皆で食べる食事シーンが多いことに今頃気づいた。
職業的知見
和子の職業婦人が赤ちゃんを見ていて絹のブラウスを汚したと言うのを聞いて、その後のお客さんの推測をするの良いな。何というか、こういう好奇心は安子譲り。
錠一郎との出会い
返り血のついた服…ではなくケチャップから男の素性を推測しようとしているの文学少女感出てる。失敗はしたけれど、それにめげずに仕事は前向き。楽しそう。るいは岡山では暗かったということだが、ちゃんと明るい面もあることが分かり良かった。
竹村夫婦の過去
いつも明るい竹村夫婦にも戦争中色々あったのだろうなぁ。年齢設定が不明だが、戦争中には結婚していたのかな。空襲で子供を失ったため、るいを自分の子に重ねたというのがありそうな設定。とにかく、1962年に生きている以上、竹村夫婦にも戦争はあった。
製造業からサービス業へ
『たちばな』のおはぎ製造業および『雉真繊維』の繊維産業から、『竹村クリーニング店』のクリーニング業へ。これは、製造業からサービス業への時代の転換を表現しているのかもしれない。そうなると、三世代目は情報産業になるのかな。
経営側と雇われる側
元々るいはホテル従業員になろうとしていた。それがクリーニング店。規模は違えど共に雇用される側。安子にしろ勇にしろ、経営側だったので、これは前世代の面々とは違う。そういうところで生き方に違いが出そう。特に、家のためという考えに大きな差がありそうで、安子と勇は個人より家が優先するが、るいは恐らく個人が優先するだろう。時代もそうなるのだが、時代に関わらず、そもそもの置かれた環境が、安子、勇とるいでは異なる設定になっていると言える。
少年たち
どうもカムカムでは、個性的な少年はたくさん登場するが少女はるいしか出てこない。これ意図的なのだろうな。
赤螺吉右衛門に始まり、おはぎを売った少年、「ディッパーマウスブルース」にいた少年、そして勇の息子昇。安子編に出ていたこの少年たちが大人になってるいと絡むと嬉しいのだが。