Golden Time

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【鎌倉殿の13人】(5)「兄との約束」というより「兄から与えられた目標」


兄が立て、兄が自分と共に目指していた兄の目標を、兄が戦死したために義時が一人で目指すことになった。『鎌倉殿の13人』は、与えられた目標に向かって生きて行く男のアイデンティティを描く話なのだろうか。

義時の初陣

堤信遠に対し何度も斬りかかるも殺せない。逆に相手に苦痛を与え続けることになる。戦場で足手まといになるぎこちなさが残酷に描かれている。それで次の戦いは外されてしまうのは仕方ない。義時を連れて行ったら、足手まといどころか、義時自身の命を失わせることになりかねないわけだから。

結局、時政が堤信遠にトドメを刺し首を切るが、本当はこれも含めて義時にさせることで、堤を討ち取った手柄を息子に譲ろうとしていたのだろう。この時の時政の気持ちは悲しかっただろうな。

武士の情け

時政が「武士の情け」という言葉を使っているが、この言葉は、実際のところいつから使われた言葉なのだろう。いつ聞いても個人的には何か変な言葉に聞こえるのだが。

頼朝からポロポロ出るツメの甘さ

今日は18日、殺生はせず神仏に祈る日

とか、

武田なぞ、血筋ではわしに比べるべくもない

とか言っている。決断は慎重なのに気位の高さからかツメが甘い。こういう点が、北条から見たら、苦々しく見えるのだろう。これが頼朝の弱点なのだろう。逆に北条は肝心な時の決断が勢い任せで共通している。頼朝と北条家は、その意味で良い組み合わせなのだが、最終的に北条の勢いに頼朝は引きずられるということなのか。

環境変化にヘタる実衣

館にいた時はかなりの口達者であったが、外に出たらからきし弱気になる。内弁慶キャラ良いな。今後、もし本家弁慶が義経と共に出てくるならば、実衣と絡んで「武蔵坊弁慶」対「内弁慶実衣」というシチュエーションをぜひ見てみたい…と書いては見たが、組み合わせ的にこれはあまり面白そうではないか、残念。

しかし、戦が敗色濃いことの報告があった際には、頼朝が首をはねられているところを見たかを冷静に報告者に問いただしており、いざという時には肝が据わる模様。

戦いから外されたからこその役割をこなす義時

義時は戦いから外されたからこそ、結果的に偵察としての役割を果たした。あくまで結果的にではあるが。こういうことは、人間が実際に移動して出会うことでしか起きない当時の戦闘においては、よくあることである気もする。逆に敵の動きを想定して移動しても敵は全く動いておらず、出会わないまま帰ってくることもあったのではないか。そのためのスパイではあろうが、今の通信技術、レーダー技術とは違って、敵の位置をリアルタイムでは把握できず、場合によっては、半日、1日以上の誤差を持った情報しか得られなかったのではないか。

坂東武者の世のてっぺんに北条が立つ

宗時は頼朝を使って坂東武者の世を作りそのてっぺんに北条が立つことを願っている。一方、時政は敗色濃くなった際に、義時と二人で大庭に頭を下げようと言っている。宗時は家を大事にして中長期的な展望を持っているが、時政は余り後先を考えず自分だけ良ければ、今良ければ良いという感じ。利己主義と言っても各人各様という描き方。頼朝も大概利己主義であるが、坂東の武士は自分の為に働いて当然という考えを、既にそんな状況ではないのに捨てられていない点に、甘さが残る描き方となっている。そしてこの点を、兄と約束した家としての野望を持つ北条義時に今後突かれることになるのだろう。

目標を兄から与えられたことの意味

北条家という家のことを考え生きてきた宗時が落命する。宗時の生前の目標は、約束として既に弟義時に伝えられており、今後は義時が一人で取り組むことになる。未だ自我が確立していない主人公の運命はこうして決まっていく。しかし、考えを継いだと言っても、義時は抽象的な目標を与えられただけで、目標に向かうためのアクションは、義時の解釈により取り組まれることになる。『鎌倉殿の13人』における北条義時を、自分ではない人間が立てた目標に向かって突き進むビジョンの無い男の物語として観ると、面白いものが見えるかもしれない。

後白河法皇の幽体離脱芸

もう飽きた感じ。意外性があっただけで、やりとりも余り面白いとも思えない。毎回のやりとりに物語上の意味はあるのだろうか。なのにこれ、ずっと続きそうで怖い。