大晦日に年越し蕎麦を食べるタイミングが家庭ごとに違う。蕎麦でなくうどんを食べる人もいるだろうし、そもそも食べない人もいるだろう。リアルな「人生ゲーム」も人それぞれで、そもそも現実の人生では「人生ゲーム」でのゴールを目指さない人もいるということを描いた回なのかな。
年末、大晦日の過ごし方
家々に違う過ごし方。それぞれの家では家族全員が当然のように思っていることが、他の家では大きく違っていたりする。それについては、話をして初めて気づくこと。こういう、恋愛とは関係ないところで、人は人、自分は自分のエピソードを積み上げてくるの巧み。
高橋の家の鍵を返さないカズくん
いや、とんでもないことだな、これ。よく考えなくてもおかしい。家の鍵をくれたと思っていたとかあり得ない。もともと高橋に怪我をさせたからサポートするためと言って無理矢理同居していたのに。この人は、言動の内容、程度が酷すぎて、たまに良いこと言っても全く好きになれない。
妹みのりの生き方
普通将来一緒にいたいから家族になるんじゃないの?
このセリフにみのりの家族に対する考えが入っている。そして、そういう考えの側の人間だったはずのカズくんは、
いや、みのりちゃん、普通も人それぞれだから
とたしなめる。カズくんも変わってきてはいる。というよりカズくん順応性高い。
みのりは、大人すごろくを"1個1個マス進んでいく人生"を考えていたと言うが、これは咲子とは逆の人生と言える。このドラマではこれまで、「普通の人」の考える、男女が好き合って一緒になる、子供を作る、家を持つ、更にその先へ…という人生イベントの内、"男女が一緒になる"について、人それぞれの考え方があることを描いてきた。第6話と折り返しにきて、人生においては、その先である、子供を持つことも含めて考える必要があるとの問題提起がなされたということなのかな。このドラマ、物語の前提となる地ならし段階を終えて、これから色々問題提起してくる予感がする
人生はゲームのような定型のゴールはない
大人すごろくは、上がり方が決まっていて、次のステップを見すえて上がっていくが、人生、予想できないステップがある。いや、…ということを、みのり第二子妊娠中の夫の浮気発覚というエピソードで描いているのだろうけれど、描き方がチープに見えてしまう。特にみのりの夫のキャラの酷さにイライラする。これはカズくんにも共通するが、倫理観の一部が酷くぶっ壊れていることによるものである。ドラマの描き方として、みのりの夫をこれほど壊れた性格で描く必要はあったのだろうかと思うほど、倫理観がぶっ壊れている。
自分の子供を持つことと恋愛
今回の話の後半は、恋をしないことと自分の子供を欲しいと思うことは両立できるかを問うているのだろうか。それを考える比較対象として、結婚し、自分の子供を得るが、結婚相手とは離婚したいと思うみのりのケースをぶつけているのだろうか。また、外で恋をしたいが、内では妻と自分の子供が欲しいというみのりの夫のケースも、恋をしない咲子と対比的に描いているように見える。子供を作ることは、人生を考える際の大きな要素であるということは、この第6話で提示されたが、子供を持つことと恋愛についての組み合わせパターンが、一度に多く提示されて情報過多気味になっている。
大人すごろくというネーミング
これ、単にNHKだから「人生ゲーム」と言えないので、代替の名称として使っているだけなのかな。それにしても、"大人"の"人生"を"すごろく"という"ゲーム"にしたものだから、ネーミングの発想は同じなのに、映像付きでないと"人生ゲーム"を指すとは分からないだろうなぁ。個人的には「大人すごろく」という言い方は、「人生ゲーム」には無いウエットさを感じる。
極端にぶっ壊れた人を描く意味
カズくんもみのりの夫も、ある面では普通だが、別の面では独善的で危険なキャラである。咲子の母も危険度は低いが、普通でない感じ。このドラマは、このようなキャラが、咲子と高橋の周りに普通にいることを描くことで、普通とは何かを視聴者に問うているのだろう。