Golden Time

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【鎌倉殿の13人】(9)所領を持たない頼朝の疎外感は格別


坂東武者視点で見れば、頼朝は神輿は軽い方が良いという感覚なのかもしれない。それを頼朝は受け入れるしかなかったと。もうここから軽い神輿を前面に出してるが、時政を覚醒させたのは、当の頼朝で、時政は頼朝から叱責を受けた後、逆襲的に頼朝に諌言するという、順番的に見て、運命の巡り合わせとしか言いようがない。

第9話を纏めると、源氏の総領といえど、所領も一族も持たないことの無力さを痛感した頼朝が、油断ならない軽々しさを持つ義経が出向いてきたことに対し、何らかの情を持って、力を合わせ平家を打倒することを確認した回となるのではないか。頼朝も、義経も信用ならない気がするのは、その後を知るから故のバイアスなのだろうか?それともシナリオと演出の効果なのだろうか?

義時が八重を守るために真剣に刀を構えた

初陣で腰が退けていた義時であるが、八重の命を守るという一念で、刀を構えることができたということか。これが義時がまともに戦えるようになったエピソードとなるのかもしれない。

政子の懐の深さ

結局、深いのか否か分からなかったが、八重を近くに置くことには同意した。これは頼朝の近くに置くというよりも、自分の近くに置くということが大きな意味を持つのだろう。八重の本心は分からないままなのが気にはなる。なんと言っても、八重は夢枕に立ったとわざわざ政子に言いにくるほどの女である。政子に劣らぬ曲者である可能性が高い。

別の意味で舅に悩まされる頼朝

キレ者の舅伊東祐親に悩まされ、一方で、交渉が苦手な舅時政にも悩まされる。ただし、交渉が苦手なことと、抜け目がないことは違うからね。この第9話で時政は、これまでの行き当たりばったりで利己的に行動していたことを改め、利己的なのは変わらないが、周りを見ながら考えて行動するように覚醒したように見える。頼朝は、これから生きづらくなっていくのだろう。

武田と源

武田信義は頼朝を出し抜くか否かに気を取られたという面は否定できない。それを受け流す頼朝の才覚。そして、時政の奇声を発する失態…色々重なって、水鳥も騒ぎ、結局、平氏本隊、信義、頼朝いずれにとっても決着がつかないままに終わった。水鳥の騒ぎに時政が絡んでいるのが良い。武田も平家軍を深追いしなかった理由は言及されていないが、坂東武者が、兵糧や所領を長期間留守にすることの危険性を語っていたことから、言及なくとも想像し納得はできる。

坂東か頼朝か

佐殿は所領をお持ちにならねえんで分からねえんだ。坂東武者にとって何より大事なのは所領と一族。(略)

戦で命を張るのは、わしらなんだ!

時政は、言うべきことは言った。頼朝もこれ以上押せないと理解した。

これで、頼朝は、坂東武士に命ずるだけではダメだと知った。また武士にとって所領が第一だということも知った。時政がサクッと言った、「坂東武者にとって何より大事なのは所領と一族」というセリフは、今後に響いてくるの分かっているからゾクッとする。これは時政が言ったことに意味がある。

また、このセリフは全体で、平治の乱で敗れた源氏の三男が生きていられるのは誰のおかげかと揶揄しているようにも取れる。

義経登場タイミングの良さ

頼朝が、自分は一族を持たず一人であると知らされた、その絶妙なタイミングで、義経がやってくるの流石に出来過ぎ。胡散臭さ抜群である。しかし手紙一枚で頼朝は信じた模様。何故に?

兄上のためにこの命捧げます

義経の将来を暗示するセリフだな。視聴者は、歴史を知っているから、義経がどうなるか分かっている。そういう意味でこのセリフはフラグでさえ無くて、「軽々しく命を捧げますなんて言うものじゃない」という戒めにしかならない。もしくは、「言っちゃったかぁ、義経…」という感じ…と見えるのだが、しかし…

油断ならない義経の「軽々しさ」

ただし、前回の兎を弓で射たのは誰かを争った時に簡単に人を殺すエピソードを見ていると、欲しいものがあるときに、最初は馴れ馴れしく近づき、最後は容赦しないという性格が描かれているので、義経の「軽々しさ」は油断ならないとも言える。『鎌倉殿の13人』では、「頼朝に討たれて当然」みたいな義経像になるのかもしれない。