Golden Time

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【ちむどんどん】week#01『シークワーサーの少女』とは酷いネーミング


2022年度春の連続テレビ小説が始まった。沖縄の青い海と青い空からスタートなのは、もう定番という感じ。なんとなればハワイが舞台のアメリカのドラマでもこんな感じで始まるな。王道。

第1回

タイトルが『シークワーサーの少女』

これ、安易というか雑と言うか。沖縄だからシークワーサーということなら、沖縄の少女全てがシークワーサーの少女になると思うが。一応、シークワーサーを食べれば無敵と言っており、アニメのポパイを見たのだろうかと思う。テレビはないということだったので、時代とアメリカ統治下ということを考えると、ポパイを短編映画として見たのであれば、シークワーサーを食べて無敵になるの分かる。

7年前、1964年の暢子からスタート

小学五年生10歳ということなので、1953年か1954年生まれ。現在、68歳くらい。

アベベの友達だからアババ

飼っている豚の名前の1匹目はアベベというのは当時のマラソン選手にちなんだと言うことでわかる。しかし、「だから」と言う割には、2匹目の名前を「アババ」と名付けるのは語感以外に全く合理的理由がない…のだが、こういうの良い。

バス

昔の沖縄の写真で見た感じのバスだった。ちゃんと用意してるのすごい。見る人が見れば、もっと細かいことがわかるのだろうが…ひょっとしたらこのバスは走っていないとかあるのかもしれないけれど、マニアではないので雰囲気はこれだったという感じはある。

国語の授業やランドセル

まだアメリカの統治下であるが、国語の教科書は日本のものなのか。そう言うことも知らなかったし、疑問に思ったこともなかった。

姉はノート、暢子はサーターアンダギー、兄は頭の良くなるスーパーバンド

兄弟3人共同売店で欲しいものを買ってもらったのに、あれ?妹は?

一方的にやってきて、好き放題して、勝手に傷ついたと言う子供たち

東京から来たヤマトンチュの青柳和彦に兄弟4人で取り囲んで、シークワーサーで風味をつけた塩水で煮たと思われる貝を強引に食べさせようとし、まだ読んでいないマンガ誌も取り上げようとした挙句に和彦に来るんじゃなかったと言われたら傷ついたと言っている暢子の兄と姉。いや、流石にそれは無い。フレンドリーさとは違う。

そもそも、兄は、

お〜い!ヤマトンチュ!こっち向け〜!

と言った人間だから。そんな人間が、更にマンガ雑誌『少年ダッシュ』を「借りよう」と手を出して来る。「貸して」ではなく「借りよう」というのは、借りる側の意思が全ての発想。和彦はまだ読んでいないから貸せないと言っており、それはマンガ誌を貸さない理由として正当な理由。また、心がドキドキするからと言われて出されたものを食べないのも自由。言葉遣いが気に入らないのかもしれないが、4人で取り囲み、マンガ誌を取り上げようとし、強引にシークワーサーで風味をつけて煮た貝を食べさせようとしておいて傷ついたはない。

兄、賢秀

本人の意思とは関係ないところで誤解を生みそうなキャラである。豚の名前の由来の説明もちゃんとした説明になっていない。東京からの転校生に、「お〜い!ヤマトンチュ!こっち向け〜!」と言う。スーパーバンドなる謎のヘアバンドに異様な興味を示す。マンガ雑誌を借りようとした際に「貸して」とお願いするのではなく「借りよう」と自分の意思を優先した発言をする(この言い方は土地の言葉の可能性はあるが)。これからの人生、大変になることが予想される。

第2回

自然、自然、自然…からの沖縄の悲しい過去

第2話の始まりは、沖縄の自然あふれる明るい朝。1日が始まる。そして第2回の終わりは悲しい戦争の過去の話が出る夜。これは一連の1日の話なのだろう。沖縄の光と影を1日の中に写し込んでいる。

食わずに働けるか

親戚賢吉のこのセリフ、これはこれで正しい。一緒に働いている優子が、栄養失調でダウンした場合に、畑作業の戦力低下に繋がると考えれば、優子の勝手な我慢は困る。

お裾分け

すごいご馳走であるが、お裾分けというレベルではない。海が近いからたくさん取れたということか。確かに暢子たちもこのご馳走は特別だという発言をしている。しかし、おかず全てを苦しむ家庭に差し出すというのは凄すぎる。半分や一部ではなく全てだから。

子供が子供にお礼を言う状況を作り出す優子

優子の気持ちは分かるが、行き過ぎは、相手にとってもまずい気もする。特に子供が同じ学校に通う場合、今回のように与える方も家族で食事を持参し、もらう方も家族で受け入れる場合、子供が子供に礼を言うことになり、学校での関係にも影響が出そうな気がする。優しさはさりげなくすべきに感じる。優子のやり方は、相手の気持ちを余り気にしていないようにも見える。このドラマの時代は、戦中や終戦直後ではないのだから。

三線

空き缶使っての手作り。それもちゃんと音が鳴っているのも凄いと思うが、歌子がちゃんと弾いているの素晴らしい。歌子を演じる布施愛織氏は三線をたくさん練習したのだろうな。

「長男だから」「女の子に三線まで習わせなくても」

長男だからと賢秀が主張しても暢子に否定され、歌子は娘なのに父から三線を習う。細かく家長性、男尊女卑の揺らぎを描いて来る。

もなか

あんこを使ったお菓子が出てきたか…深い意味はないだろうが、少しだけ前の朝ドラを想起させる意図はあるのだろうなぁ。

父、賢三は、戦争の生き残り

子供たちに言えなかった毎朝謝っている理由は、これか…。

母優子が他人に優しい理由

太平洋戦争中に家族を失った悲しみからなのか…?それを暢子は見てしまった。夜中に泣く母の後ろ姿を見たら、確かに見てはいけないものを見た気がするであろう。暢子にはその理由が分からないから余計に。

戦争の残したもの

第1話は沖縄の自然が中心の明るさが描かれていたが、第2話にして、沖縄の時代的な悲しさが描かれる。アメリカの統治下の1964年の沖縄の話なので避けられないが、今回だけで終わるのかどうか。父賢三と母優子の過去も含め、恐らく『ちむどんどん』の主題からは外れるだろうが、暢子の人格形成には関係してそうなので、戦争については更にある程度は描かれる気がする。

美味しいものを食べたいという主題

これに対し、食うや食わずで中学校の通学もままならない家庭も描く。目を瞑ることもできるが、そうせずに、このような対比を描くということは、その意味がちゃんと明らかになるということだろう。

第3回

アメリカ留学教本

和彦は、こんな本を読んでいる。アメリカ留学を見据えて、まずアメリカ統治下の沖縄で慣らし運転ということかな。それとも、単純なアメリカへの憧れか?もし憧れというのであれば、暢子が東京の食べ物に憧れているのと似た構図になっている。つまり、自分の生活環境より進んだ都会への憧れが、和彦と暢子で共通していると。

水つながり

暢子が川に落ちたシーンは直接映像では描かれなかったが、その後に賢秀がお風呂に入っているシーンとなり、水に入るというシーンのつながりができている。

あと、賢秀がお風呂に入った際、熱い熱いと言っているが、それが次のシーンで歌子が発熱で寝ているシーンにつながる。そもそも暢子は熱に効く草を採りに山の中に入っていったので、ストーリーが滑らかに繋がっている。そして、賢秀の熱い熱いは、ひょっとしたらラストでラフテーになったであろう豚のアババの気持ちも代弁しているのかもしれない。

暢子負傷&和彦サポート

ここで二人の関係が近づくのか。

賢秀のスーパーバンド

お風呂に入る時も、砂浜で相撲を取るときも着けているのか。徹底しているけれど、何か怖い。

賢三の包丁

名前が入った包丁。賢三には料理人の過去があるということか。こういうのさりげなく入れて来るの良い。

アババ(豚)の行方

和彦家族を迎えるためのご馳走になったのか。となると、賢秀が和彦を逆恨みすることになるのかもしれないな。賢秀の行動は読めないから。

第4回

アババ(豚)美味しくいただいている賢秀

あれ?アババの行方を気にしないの?…と思ったが、美味しく食べている途中に、気付かされる。自分から気づくことはなかった。

今まで食べたそばの中で一番おいしい!

和彦のこの言葉、暢子に気を配っているのかもしれないし、本当に美味しいと思っているのかもしれない。和彦は真面目で純粋な面もあるようなので、どちらとも言えそう。

ただ、このそばの美味しさ、美味しいという言葉で、和彦と暢子の間が一層近づいた。暢子のことを「君」から「暢子」と呼ぶようになるし。

「続きが読みたい」(賢秀)

和彦への手紙でこう書く賢秀。やはり賢秀は、自分視点のみでしか物事を捉えていないっぽい。相手がいることを想定した感じのしない発言になる。コミュニケーションとしては「続きが読みたいので貸して欲しい」と相手のアクションも書かないと依頼にならない。

レストラン

これは暢子の家でのもてなしに対する和彦の父のお返しということかな。

アメリカに行きたがる朝ドラの男たち

そういう縛りでもあるのかな?

第5回

レストランの食事

あさりのクリームスープからスタート。暢子は一生の思い出として忘れないようにするために記録する。自家製のバゲット、海の幸のサラダ。メインのデミグラスソースのハンバーグステーキ。プリン。比嘉家は誰も好き嫌いはない。それにしても、その夜眠っているシーンのノートの絵が上手すぎる。

レストランの食事の際に和彦は暢子しか見ていない

もう恋が始まっているのだが、暢子は分かっているのかな。和彦は分かってそうだが、逆に隠してそう。

食卓での着座位置

賢秀が父母の間に座っている。つまり、これまでの子供側から、大人側に座っている。父が出稼ぎに行くから、家を守るのは賢秀の役目ということか?

それとも15歳だか基準の年齢があって過ぎて大人と見做されるということかな?

第1週のラスト

いきなりか…

お父ちゃ〜ん!自分で取れたよ〜!からのこれは…

第1週第1話が、シークワーサーが取れなくて父にとってもらうシーンで始まったからなぁ。この対比はちょっと怖い。