主人公および主人公家族の周囲に迷惑をかけまくる暴走ぶりを毎朝見せつけられ続けるという、不思議なポジションのドラマになった『ちむどんどん』。このドラマはそもそもどんなドラマのはずだったのだろうか。NHKの番組公式サイトの記載から考えてみる。
- 書き出しから微妙
- 心はつながって支えあう美しい家族?
- 気持ちが離れるときも訪れます?
- 支え合っていきます?
- 今を生きるすべての家族の物語です?
- 今を生きる全ての家族…に、一人としてこんな者はいない
- コンセプト
- まさかやー、ありえん、しんけん?
書き出しから微妙
「番組紹介」における「物語」の最初の記載は次の通り。
大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる―――
うーん、「大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる」は、一般的にはそうなのだが、このドラマでは、あまりそういったシーンが多く描かれているとは思えない。普通のドラマ程度に見える。
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹たち。
未だ「ふるさと沖縄の料理に夢をかけた」とは言えないが、その兆しはある。但し、「支えあう兄妹たち」は少なくとも現時点では違う。賢秀は明確に足を引っ張っている。良子の結婚騒動でも、結果的に良子が家族外の周りに迷惑をかけていたが、支えあうと言う感じではなかった。歌子は…誰も気にかけていない感じ。暢子は沖縄にいた際の兄姉妹関係は可もなく不可もなくだったが、東京に来てからの暴走は、兄姉妹の誰も止められない。結局、兄妹それぞれが迷惑をかけはしても、支えあうような印象は持てなかった。
“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。
前半はその通り。特に「個性豊かな沖縄四兄妹」という表現は、ものは言いようだなぁと思う。個性豊かな…ねぇ。なるほど。しかし、「笑って泣ける朗らかな」だって?人の迷惑を省みない比嘉家の行動は笑えないし、泣かないし、それを朗らかと言うのはもはやホラーじゃないか。
後は気になる部分を抜粋して見て行く。
心はつながって支えあう美しい家族?
コロナ禍に見舞われ、かつてなく“孤独・孤立”が問われる今の時代にこそ遠く離れ、会えなくても、心はつながって支えあう美しい家族と、ふるさとの物語を全国にお届けします。
こ、これは…「心はつながって支えあう美しい家族」だと?あれを美しいと呼ぶか。家族外の迷惑については全く考えない家族という描写ばかりなのに。
気持ちが離れるときも訪れます?
ヒロインは、四人兄妹の次女で、兄、姉、妹がいる。四人はそれぞれに異なる道を歩み、気持ちが離れるときも訪れます。
うーん、借金の原因を複数回作り、暢子さえ騙して金を盗る賢秀に対し気持ちが離れない妹たちこそおかしいと思える…のは、私が現在の感覚で見ているからなのか?しかし、お金にだらしない家族という域をこえて、もはや犯罪行為だからなぁ、やっていること。
支え合っていきます?
困難や挫折に見舞われ、誰かが心折れそうなときには、互いに身を削り、支え合っていきます。
うーん、支え合ってる感じがしない。互いに身を削り?いや、賢秀のせいで一方的に身を削らされているだけで、互いにではない。
今を生きるすべての家族の物語です?
傷つきながら、励まし合いながら大人への階段をのぼっていく四兄妹のドラマはきっと、今を生きるすべての家族の物語です。
いや、あの4兄妹のドラマが、今を生きるすべての家族の物語なわけないでしょ?それは流石に無理だ。全ての今を生きるすべての家族に失礼だ。やめてくれ!
傷つきながらというのはそうだが、歌子以外は、かなりの部分で自業自得で傷ついている。しかも、自分が傷ついているよりも大きなダメージを相手に及ぼしているケースばかりで同情できない。励まし合いながらというのも違う。長男の賢秀は問題外だが、他の3人も、余り励まし合うという感じではない。どちらかというと、無関心な印象。歌子は声かけをするにはするのだけれど…別に響かないこと言ってるし、言われた側も歌子のセリフでどうこうとなるわけでもない。結局、この兄妹は、自分のことだけしか関心がなく、周りについて全く気づかない人たちなのだよなぁ。
今を生きる全ての家族…に、一人としてこんな者はいない
比嘉家の全員が、家族外の人間を不幸にしても気にしない。その上で、味覚に天賦の才能のある暢子、歌の才能のある歌子、ずっと優等生の良子、ずっとダメ人間の賢秀というように、兄妹各人が強烈な個性を持っている。これだけのキャラは、大抵の家族にはいない。それを今を生きる全ての家族となぞらえるのは無理。
コンセプト
公式サイトの番組紹介は、気になる記述のオンパレードたった。
- 大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる
- 支えあう兄妹
- 笑って泣ける朗らかな
- 心はつながって支えあう美しい家族
- 誰かが心折れそうなときには、互いに身を削り、支え合っていきます。
なんだこれは!ちゃんと有言実行してほしい。ここに書かれていることを描いていれば、今のようにはならない。「支えあう」「朗らか」「美しい」…どれも真逆の道を進んでいるように見えるのだが。ドラマだからクズを描いても悪くはないのだが、朝の連続テレビ小説という性格上、一家揃ってクズばかりが出てくるドラマは、そぐわない気がする。こう言うドラマ自体は否定しないけれど、「朗らか」とか「美しい」という言葉を用いて表に出しておきながら、クズ家族を出してくるのがダメなんだよなぁ。ひょっとして制作は、あのドラマを本当に「朗らか」「美しい」と思っているのかな。そうであれば、私の感覚がおかしいのか?
まさかやー、ありえん、しんけん?
これらの言葉は、もう暢子に禁止してほしい。代わりにSNSで視聴者がドラマの内容についていくらでもこれらの言葉を呟きたい。