優子は、確かに名前の通り優しいように思うのだが、現代の感覚で見ると、やりすぎというか、方向がおかしく見えることが多い。これにつき、考えていきたい。
優子について分かっていることは少ない
戦争中家族に不幸があったことくらいしか優子の過去は分からない。それからドラマが始まるまでに様々な経験をしているだろうが、それについては描かれていない。夫賢三の包丁のような手がかりはない。唯一、暢子たちを寝かせた夜、一人で泣いていたところを賢三に慰められたシーンに意味はありそう。あとは、困っている人を助けたいという気持ちが暴走する性格。これは、戦後を生きる上で身についた性格と思われるが、多少の狂気を孕む。しかも、困っている人を助けることにおいて、全て自分の犠牲で賄えない時でも、独断で実行してしまう。このため叔父の賢吉や子供たちに彼らが望まぬ犠牲を強いることも多い。
賢三も助言はするが基本は甘かった
優子対比では、まだ常識はあったが、賢三も子供たちに対して、かなり甘い教育方針だった。1人2個と定められた足テビチを、明らかに3個目に手を出そうとしたにも関わらず、賢秀が食べてないと主張し、良子に手を出し、最終的に優子の額に傷をつけてしまった時も、賢三の解決策は「自分の分」の足テビチを賢秀に食べさせることだった。状況からは、誰も賢秀がまだ1個しか食べていないとは思っていない中での、賢三のこの終わらせ方は、賢秀のためにはならないはず。
大城房子オーナーの例を先に出してきた
第9週において、大城オーナーの戦後闇市でのおでん屋台のエピソードが描かれた。これまでも、大城が闇市から成り上がったということは語られていたが、ヨシさん母子との具体的エピソードで、その性格と共に状況も描かれた。
このような仕掛けで、今後、優子だけでなく、賢三の過去についても描いていくのではないだろうか。
優子と賢三は子供を甘やかした
元々優子は甘かったが、多少は教育的なこともしていた賢三が亡くなってからは、甘いだけの親しかいなくなった。このため、賢三が亡くなる前より子供たちの性格が自己中心的になったと思われる。少なくとも暢子は、小学生時と、『フォンターナ』で働き始めて以降では、別人のようなキャラになってしまっている。
優子の思い
優子自身は、戦後の辛い経験から、自分の子供にはそんな目に合わせたくないという気持ちで子供たちに接してきたのであろう。しかし、それが仇となっている。時代は戦後直後ではないのである。日本が高度成長期を進んでいる中、優子の考えでは生きづらい時代になっている。
これから描かれるであろうこと
終戦時からこれまでの、未だ『ちむどんどん』では描かれていない優子の過去が描かれることによって、ひょっとして、万一、意外な展開になると、これまでの比嘉家の理解不能の行動原理が理解できるようになるかもしれない。