相変わらず陰謀ばかり。これからまだまだ続くのだろうけれど、まだ6月。折り返しでしかない。とりあえず頼朝を何とかしたいところだが、後に多くが控えるからなぁ。金剛が無邪気な感じで淡々と成長しているのが唯一の救い…ではなく、恐怖でしかない。無邪気な感じであり、無邪気と言い切るのは無理だから。
万寿をアゲ、範頼をサゲる
前回から受け継いだスタートだが、上げ下げの差が怖い。範頼の下げは行き着くところまで描かれるが、万寿は冒頭に登場して以降、出てこなかった。こちらも良い運命は待っていないからなぁ。
比企能員さん…
蒲殿すまん…って言うだけ。すまんで済むか!しかし、蒲殿は広元の言いがかりである、
源と名乗ってよいのは、鎌倉殿とそのご子息のみ
に対して、反論できないというか、しない。
これを頼朝から直接では無く、広元の口から聞かされたら、察する能力の高い範頼は絶望するしか無いから。
義時の言う通り、これは言いがかり。しかも、頼朝はわしを説き伏せてみよと範頼を挑発することさえする。範頼諦めちゃったよ。もうホント怖いわ。範頼としては、命までは奪われないと踏んで修善寺に行ったのだろう。一旦は確かに修善寺に流されるだけで済むが…結局、大姫の悲劇にかこつけて殺されてしまう。
形式的に頼朝が自分のところから離してから殺すと言うのは、義経と同じ。
それにしても、比企能員が、鎌倉殿となることを渋る範頼をあれだけ煽っておきながら「蒲殿すまん…」の一言で終わらせて、範頼を死に追いやるのも酷い。範頼が比企を巻き込まないの知ってて見捨ててそうだから。
三浦義村隠居発言
もう隠居するとか言い出した三浦義村さん、本気だか嘘だか分からないコメントをさせたらこの人の右に出る者はいない。他の人たちが他人の命に関わる嘘をつくのに、この人の嘘は、命を救うことことあれ、追い詰める嘘はつかない。素晴らしい。
しっかりした一人の人間としての大姫
心平穏な感じで妹たちと遊んでいるが、実は…ということかな。しかし、大姫は、全成の芝居を見抜いた際、論理的に詰めていっており、この人は明晰な頭脳ゆえに苦しみ方も普通人とは違うのだろう。同じく思い人を頼朝のせいで失った巴御前に話を聞きに行くという感覚も合理主義的。凄い人…だと思ったら、今回で亡くなってしまう。
『鎌倉殿の13人』では、大姫は聡明な一人の人間として、だからこそ時代の残酷な運命に心を潰された人間として描かれている。決して義高への想いだけで心を病んで亡くなった人物として描かれているわけではない。義高を忘れる意味も考え、似た境遇の巴御前に助言を乞い、その助言に従い、忘れることを受け入れた人。その聡明さは、もし入内していれば優れた和歌を残していたかもしれないと思わせるほどである。
何でいつも女性の重要な場面にいるんだ…義村こと山本耕史氏は!
大姫入内の話を頓挫させる人たちの中で生きるのはやめろ、自分の幸せのために生きよと大姫に言う義村。何でそこにいるの?義村、美味しいところ総取りか?NHKでは義村を演じる山本耕史氏は、本当に良い役を得る。民放でも良い役なのだが、"最後は"良い役が多い気がする。しかしNHKでは、"最初から"良い役。
八重の時も今回の大姫の時も、この厳しい時代の女性を、苦しみから解放させる役回りのような感じ。ただし、2人とも、その回で命を落とす。精神は救うけれど、命は救えない…そんな感じだろうか。それにしても、八重も大姫もどれだけ救われたかと思うと義時が政争に巻き込まれている中、義村は北条家のメンタル維持に義時以上に貢献しているといえる。義村はどんだけ義時のこと好きなんだ。
頼朝だけが違うベクトルを向いている
政子:こんな思いはもうしたくない。
時政:(泣き声)
りく:強くならなくては。政子、強くなるのですよ。
このシーンの後に、頼朝がその場に登場して、
頼朝:わしは諦めぬぞ。わしにはまだなすべきことがあるのだ。
と言って、義時に三幡の入内を進めろと指示する。この場違い感、完全にコメディ。
政子、時政、りくの発言の際には義時の存在はわからない。いたにしろいなかったにしろ、大姫について何も言わないことは変わらない。
政子、時政、りくが身内である大姫の死を悲しむ場での、頼朝の止まない野心。頼朝だけが違うものを見ていることが確定。しかも、その直前に政子は、「こんな思いはもうしたくない」と決心している。これをりくも支持しているようであるし、時政も泣いている…から多分政子に同意と解釈。そんな中での頼朝の次女三幡の入内話。もはや北条家にとって頼朝は自分の身内ではなくなったということか。
この第24話では、大姫の衰弱死の話と共に、頼朝が弟範頼の暗殺を指示、実行している話が描かれている。これは、身内の死を悲しむ北条家の人々と、身内さえ犠牲にしても構わず、とにかく自分のことのみを優先する頼朝との考え方の違いが強調されている形になっている。
もはや、北条の血が入っていない源氏は用無しということか。つまり頼朝はいらない子になったと。
2人の死の共通点
第24話では、範頼が頼朝に伊豆に流された後、暗殺され、大姫は入内がかなわず床に伏せてしまい亡くなる。この2人は、頼朝の身内でありながら、頼朝の野望の犠牲になった者。義経も含め、血のつながりが強い人間の命も、頼朝にとっては「なすべきこと」の前では、小さなことになっている。これが、一族の安寧を重視する坂東武者である北条家の考えと合わない。義仲・義経・範頼までは、北条とは関係のない源氏の話なので放置されていたが、大姫の死とその経緯に入内の失敗があったにも関わらず三幡を入内させようとする頼朝の考えは、時政も政子も、もう頼朝についていかないと決めるきっかけとなったのであろう。
坂東の武者
頼朝に取り立ててもらっているが、時政も政子も、多分坂東の武者の発想をする。恐らく義時も。これまで再三描かれてきたように、坂東の武者は、坂東の武者の共存を願う。現に時政は一時隠居していた際、頼朝に呼び出される前まで、充実の自給自足の田舎暮らしをしていた。だから、自らの娘の死に際して、「わしにはまだなすべきことがあるのだ」と言えてしまう頼朝は、坂東の武者である北条には害悪確定となった。義村が他の坂東の武者に対し、義時のみが成り上がっていることを不満に思わないのかと問うたことが、義時が頼朝側に行ってしまったのではないかという危惧の言葉になっているように思える。
そして、これが、今回のサブタイトル『変わらぬ人』に繋がるのかなと。義時は、変わってしまった人なのか変わらぬ人なのかと。
サブタイトル『変わらぬ人』
このタイトルは、かなり思わせぶりである。しかし、これが誰のことを指すかとなると、誰もが当てはまるように見えてくる。
「変わらぬ」と言うのであるから、変わっても良いはずの変化が起きた後であるのにということになる。
①時が過ぎても②環境が変わっても…の2つが、通常原因となるものだろう。
頼朝
身内のことよりまずは源氏の棟梁であることを最優先すること。これは第24話でもブレない。具体的には長女の大姫が入内騒動が原因で病になって亡くなっても、次女三幡を入内させることを諦めないこととして描かれている。
坂東の武者
義村が義時ばかり重用されていると話を振っても、坂東の武者たちは気にしていない。この坂東の武者は一体であるという感覚は、彼らの中で変わらない。
一方、明らかに今回変わったと思われる人もいる。
政子と時政
頼朝の妻としてより、自らの子供を守ることを取ると決意している。結果として、夫頼朝の源氏より、北条を取ると決断した。確かに、政子の守るべき家族は、夫の頼朝以外、北条の血が流れている。政子が、自分の血を分けた子供たちを守るために頼朝を切ることは、合理的な理由がある。時政も大姫に対する頼朝の言動を見て、頼朝と接する態度を変えることを決意したように見える。
大姫
木曽義高のことを忘れてきていることに思い悩み、似た境遇の巴御前に相談することまでしている。大姫は立ち止まったまま人生を終えることを良しとせず、入内を決意するが、都で散々な目にあい、義高を思うこととは別の理由で、病んでしまう。『鎌倉殿の13人』では、大姫は、義高を思い続けて亡くなったのではないという描かれ方をしている。
義時
変わってしまった人なのか、変わらぬ人なのか、どっちともわからないまま、第24話を終えている。義村が他の坂東の武者に対し、義時のみが成り上がっていることを問うたことから、義村は、義時が変わってしまっているのではないかと思っているようにも見える。
頼朝が周りを見渡せば…親身になってくれる味方は誰もいない
自業自得とはいえ、範頼まで暗殺しちゃったからなぁ。大江広元は、信頼するとかそういう対象ではなさそうだし。後先考えないとな…というか、ハメられたのかもね。
普通に、頼朝は、義時の年月をかけたワナにはめられたと考えれば、後付けすぎるけれど、色々合点がいく。義時がいるべきシーンにいないという感じなの度々ある感じだから、そこでやり放題してるんじゃないの?金剛という更に曲者を子に持つことだし。
もう義時は感覚が麻痺してて、ホイホイ頼朝の好きそうなことを前倒しでやるようになってて、頼朝もそれを喜んでいるのだけれど、でもそれは頼朝の首を絞めることだったりするのだろうな。
それにしても、頼朝は、身内や昔からの付き合いで成立する坂東の武者の中で生きているのに、自分の身内を1人ずつ殺していくの分かってなさすぎる。自分の周りに身内がいなくなったらどうなるかの思案ができなかったか…というか、そんな余裕がなかったか。
善児の目にも涙
範頼暗殺の際、女児が立っていたが、手にかけなかった模様。育てるのかな。その場合、どういう気持ちからなのだろう。しかし、守るものとして引き取るのならば、悲劇しか想像できなくなる。女児を引き取ったならば、善児はいつの間にかいなくなるのではなく、ちゃんと最期が描かれるのではないかな。
少なくとも『鎌倉殿の13人』の中では、史実上の13人よりも存在感があるのが善児なのは異論はあるまい。
善児と対峙する女児
善児に対し鎌を構えているこの女児、よく考えれば、この女児がこの場所に立っていることの意味は、善児がその気配に気づかなかったことを表現するのではないか。そのただものではない感じが善児がすぐにこの少女を刺そうという気にさせなかったのかもしれない。もしくは善児が本能的に逃げたとさえ言えるのかもしれない。善児が近づくと一緒に持っていた枝を捨て鎌を両手で握り直したり、驚いた顔をしながらも、善児の眼をしっかり見ている。間合い、構え、身長差、武器の違いを考慮して最善の構えをしていたと考えると、善児は手を出さなかったのではなく、出せなかったのかもしれない。そもそも、範頼の供をした夫婦の娘であれば、普通の農夫の子ではなく、それなりの修練をした子供だったのかもしれない。結局、この後どうなったか描かれないが、ここで善児は最期を迎えた可能性もある。鎌は手首のスナップで勢いをつけることができるから、不意打ち以外は不利な小刀を持つ善児に対し、身長差からくるリーチの不足をカバーできるだけでなく、鎌は勢いもつく刺すタイプの武器なので、実はあのシーンの後、女児は善児を倒している可能性は高いのではないか。
身長差からは、女児が両手でスナップを効かせて鎌を下ろせば、善児の心臓もしくは腹部を突くことができよう。また、振りかぶって下ろせば、善児の顔の前を鎌が通過することで善児が本能的にひるむので、落ち着いていればちゃんと刺すことはできそう。小刀と鎌という武器の違いと身長差が、女児に最適化している。
小刀しか持たない善児に対して、女児に鎌を持たせる制作のセンスが良い。
次回予告
次回もおどろおどろしい展開になりそうなのに、というか、だからこそなのか、頼朝というか頼朝を演じる大泉洋氏の『水どう』ネタ的なカットがあった。どうかしてる笑