Golden Time

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【鎌倉殿の13人】(25)最後の挨拶回りをする頼朝


頼朝の言動が、周りと歯車が合わない感が強くなり、全成のアドバイスを本気で聞くところからスタート。神の加護を失った人間は、運命の流れ的に物語を彩る多くの登場人物と再会していき、暗示的なエピソードをいくつか残して場を去った。

全成の入れ知恵

頼朝が怖いから出まかせを言ったって…そこが『鎌倉殿』における全成の良いところだけれど、これ、バレたら殺されるぞ…と言いたいが、頼朝の弟で唯一生き残っているのが全成だから、それでも上手く渡りきった。

頼朝も含めた兄弟で最後まで残ったのが、この全成。命を大切にして今後も生きていって欲しい…という願いは届くのかな?

全成の恐れる者

源氏における頼朝の代で生存するの全成だけになった。これまで頼朝の脅威から逃げることだけ考えて振る舞ってきたが、タガが外れて暴走しなければ良いが…少し前に妻の実衣がちょっと欲を出していたからねぇ。

餅が喉に詰まる頼朝

死ぬかと思った…なんて大泉洋氏に言わせるのは、もはやダメでしょ。鎌倉殿が始まって、もう半年近く経ったのだから『どうでしょう』ネタはお腹いっぱい…なのだが、お腹いっぱいだからこそ、最後に大ネタを出してきたということか。見納め的な。

りくと時政にある何かが出てきた

政子:比奈さんは北条と比企を結ぶ架け橋なんですから

りくが「あなたに義母上呼ばわりされる筋合いはございません」と比奈に嫌味を言った際に、りくを嗜めるように正子が言った言葉。この段階ではそう言う認識ということなのだろうか。ならば、政子が比企と仲良くやっていくところを、今後、じっくり描いてくれるのかな…と思った矢先に、りくの夫時政は、「飯の支度はできとるかな。はらぺこなんじゃ八重」と比奈のことを八重と呼んで場の空気を重くする。これには比奈自身が「雛遊びの雛のようにかわいい比奈でございます」と返す。

これは、りくと時政による比企家への敵愾心を描いたと見ることもできる。りくは意識的に行っているのは分かる、しかし時政は無意識を装っているように見えるが…どうなのだろう。

手を汚したくないと言うりく

皆が餅作りをしている中、離れたところにいるりくに対し、比奈は「りく様もどうですか」と声をかけるが、「手を汚したくないの」と答える。つい先ほど嫌味を言った相手に対しても穏やかに接する比奈と、マイルドにしているがやはり言うことは聞かないりく。りくは、以前一時時政が隠居生活をしていた際、畑仕事を楽しそうにしており、その時は手を汚すことを厭わなかった。なんというか、りくは、リアルな心情で悪事という意味で"手を汚す"ことを企んでいる時には、物理的に手を汚すことを嫌うし、悪事を企まなくなった際には、物理的に手を汚すことを気にしない性格なのかもしれない。

時政が頼朝に渡した餅

時政は餅を2つ持ってきている。1つを頼朝に渡し、もう一つを自分が食べるために。結果的にこの餅で頼朝は喉を詰まらせるのだが、この餅、頼朝には不恰好な形のものを渡し、自分は整った餅を食べている。時政の怖いのはこういうところ。

しかもその前に、時政の子時連が不恰好な餅を作り、畠山重忠が整った形の餅を作っていたシーンがわざわざ入れられており、その場に時政がいるのである…描写が丁寧すぎる。

梶原景時への別れの挨拶

わしに何かあった時には、頼家を頼むぞ

景時にはストレートに依頼する。頼朝は、景時を忠実に命令を聞く人物として、ある意味一番信じているのかもしれない。

頼朝、政子、義時への別れの挨拶

この3人しかいない場で、頼家を頼むと頼朝が言う。後のことを知る視聴者には、よりによって政子と義時にそれを言うかとは思う。

しかし見ようによれば、頼家は、政子の子であり、義時の甥でもある。比較的血の濃い2人に対し、頼朝はわざわざ頼むのは、自分の中でも何か心当たりがあるのだろう。一番は頼家の武芸のセンスのなさかもしれないし、そこからくるカリスマ性のなさかもしれない。もしくは、自分がこれまでしてきたことの業の深さを背負わせる罪悪感からくるものなのかもしれない。いずれにせよ、頼朝にとって妻と義弟に対して、自分の子をよろしくと頼む非常事態感に、変な違和感を覚える。まあ、その後のこと知ってれば、ああ、そういう描写ねとわかると言えばわかるのだが、知らなくても異常さは伝わる。

巴御前は狩りに行っていて不在ということにした義盛

頼朝の前に出たがらない巴御前のために和田義盛がついた嘘。"狩り"というところが巴御前らしい。

急に縁起を気にしすぎる頼朝

これは、神の加護を失ったことを確信したからの行動。完全に死期を悟っている。仏事に際して出席者が餅を丸めているのを見て何をしているのか義時に聞くが、義時から、知らないのはこれまで頼朝は仏事に参加しなかったからと言い返されるの滑稽かつ残酷。頼朝が、神の加護を当然視して、自ら祈ることをしなかったことのツケとも言える。

命令に忠実な八田知家

方違したことがアダとなり、途中の道が八田知家が指揮する道路工事に出くわし、仏事に遅れるという縁起の悪いことが起こる。

ここのポイントは、八田知家が指示通り道路工事をしていたため頼朝が仏事に遅刻し、結果的に全成の読経を止めたこと。結果的に、八田が源氏のために全成の行為を止めたことが、将来を暗示するポイント。全成は、兄弟唯一の生き残りになって、というか、頼朝がいなくなって、ちょっと調子に乗るんだよねぇ。その際にキーパーソンになるのが、八田知家。

頼朝の落馬

これは、天に生かされていた頼朝を、天が生かすことをやめた瞬間をこう表現したということかな。天が見放すということを、頼朝の体が地に落ちることで表現したと。

畳の上では死ななかったが、敵に殺されたわけでもないことの表現なのではないかな。

持つべきものは北条だな

頼朝が餅を喉に詰まらせたことを指して、「時政がいなければ、どうなっておったか」と言い、続けて「持つべきものは北条だな」と言う。しかし、喉に詰まらせる原因となった餅を持ってきたのは時政。

息子頼家に現在比企の娘せつという妻がいるが、源氏の血筋の娘を新たに正妻に迎えることを政子に相談することなく(恐らくイコール北条に相談することなくの意味)、頼朝が決めたことをなじる。これを頼朝は「すまん」と謝るが、政子は「いつものことですから」とあしらう。軽くあしらっているようなのだが、同じ回で頼朝が最期を迎えるから変な気がする。しばらく会話した後、頼朝が自分と結婚したことを悔やんでいないかと聞く。政子は「退屈しなかったことは確か」と答える。過去形!かつ言った後、しみじみする。これ、頼朝の死を知っていて別れを惜しんでいるとも取れ、やはり変な気がする。

神とは誰か

第25回で頼朝は2度死にそうになっている。1度目は時政の持ってきた餅を喉に詰まらせて。この時は、義時の気合いを入れた背中への打撃で餅を出すことに成功した。義時が頼朝の命を救った形になっている。2度目は鎌倉への帰途、手に異常を感じたのちに落馬し死亡に至る。この直前、頼朝は義時と政子の3人で語り合っている。その際、「持つべきものは北条だな」と頼朝が言った後、「喉が乾いた」と言う。政子が水を取りに行こうとするのを妨げて義時が取りに行く。その後、義時が持参した水筒から水を飲んでいる。その水に毒が入れられていたとしたら…。義時と頼朝2人の会話。

頼朝:神仏にすがっておびえて過ごすのは時の無駄じゃ

義時:それがようございます

そう言いながら、頼朝が死ぬタイミングで、義時は道端の何かに手を合わせている。こういうのゾクっとする。義時自身はリアリストな面が強いが、神仏にも祈る。こういう何でも受け入れるのが義時。調子の良い時は、神が自分の命を助けると豪語しておきながら、弱気になると神仏に縋る。そして諦めの境地に至った頼朝。2人の対比。

鈴の音

義時にだけ鳴っていない。頼朝の霊魂が音となって鳴らせたとするならば、これは、頼朝が、義時によって水筒の水に毒を盛られたと気付いたからとも考えられるが…情報が少なくて分からない。

頼朝が亡くなった時、義時は、道端の何かに祈っていた。企みが成功しますようにとでも祈っていたのではないかな。

今回のタイトルは『天が望んだ男』。天は頼朝ではなく義時を望んだということか。

多分それは正しくなくて、これまでは天が頼朝を望んでいたが、現時点では頼朝ではなく義時を望んだというのが正しいのだろう。

鈴を鳴らした人

頼朝死亡時の鈴。義時だけ鳴らなかったのではなくて、義時が鳴らしたと言う解釈はできないのかな?
神の加護は、頼朝から自分に移ったことの宣言としての鈴だと。義時ではなく神が鳴らしたにしても、義時が何かに祈っているときに鳴っているので、これは、義時が神に選ばれたことを知らせる鈴の音と考えるのだろう。