Golden Time

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【ちむどんどん】第63回 生理的に受け付けない気持ち悪い展開


良子の誠くん及び博夫との問題も、暢子の和彦との怪しい関係も、生理的に受け付けない気持ち悪い展開になってきた。これまでにない気持ち悪さを感じる。

良子が博夫の所へ行くが…博夫に謝ることはしない

キャラの行動の意外性という意味で驚きの展開。良子は自分のダメなところが分かっていた…分かっていたのに誠の件で初めて反省した。そのことを博夫に話して自分がスッキリしにきた。このまま博夫に対しても謝ってくれると思ったからか、誠の話に自分のことを絡めて励ます博夫。いや、博夫ちょっと性格良すぎる。で、その流れで良子に、戻ってきてくれと博夫は言うが、良子は、それとこれは別と言い切る。結局、良子は何も変わっていない。絶体絶命になったら何にでもすがるが、それが解決したらまた元通り。誰よりもエゴイストだったと博夫に言ったくせに、反省するということをしない。

誠くんの話と博夫の話は別と言い切ってしまったが、良子はこのチャンスを逃すともう戻れなくなる。最後のチャンスに気づかずに進んでいってしまったか。

大事な家族さえ大切にできていない…と言う博夫

あの、それは良子の方がひどい。仕事と子育てを両立できると言っていたのに、育児はほったらかしで、「(晴海が)歌子とお母ちゃんに懐いて毎日大騒ぎ」なんて博夫に言えてしまう。この言葉の不気味さにあいかわらず気づいていない。良子は誠の件で一体何を反省したのかと。

一度、石川の本家に行ってこのセリフをそのまま言ってみると良いと思う。良子は毎日実家に帰っているし、博夫も度々訪れているようだが、良子は石川本家には一度も行ってないのおかしいでしょ?

誠くんとの関係改善

結局、知念先生が最初に使ったあやとりによるアプローチで誠くんの許しを得る。なんというか良子は自分のために使えるものは全て使ってやるという姿勢が今回の騒動でも全く揺るがないの怖すぎる。

それにしても、誠くんとは、あやとりだけで関係改善。何か描写を端折りすぎてる気もする。引っかかるのは、関係改善の過程では、親も校長も出てこずに、良子と誠の当人だけで解決していっている点。高圧的な教師と分かっているから、誠はもっと警戒すると思うが。

和彦の狂ったアタック

一緒に沖縄にエイサーを見に行くかとサクッと暢子を誘う。新聞社をやめて沖縄でフィールドワークをこなしたいと暢子に言ったり、昔の写真を暢子に見せて懐かしがらせたり。ついには海に行きたいと言う暢子に、2人でも良いけどとか言う。こいつもうダメだ。そんなことするから暢子が動揺して包丁で指を切ってしまう。で、和彦がその手を握ると必然的に見つめ合う二人…になる。全然ちむがどんどんしないぞ、こんなの。

和彦がなぜそこまで堕ちる必要があるのかさっぱり分からない。クズの後出しって理解不能。確かに人は変わっていくが、ドラマなのだから何かちゃんとしたスジが必要なのに。単にこうしたら意外性あって面白いと言うだけで人物が動かされている気がしてならない。

大野愛は待機中?

暢子と和彦がありえん会話をしているが、和彦が来た時に言っていたが、和彦は愛と『あまゆ』で待ち合わせていたはず。つまり、次回オープニング曲前に、暢子と和彦2人だけの場に、愛が乱入すると。愛は今、『あまゆ』の戸の外で待機中なのね。

和彦と暢子の気持ちの変化の何が違和感か

これは、これまで一切誰かに恋愛感情を持たなかったと言う暢子が、何故急に和彦が好きとなったのかの合理的説明がないことと、和彦が暢子と再会してから6年も愛と付き合っていたのに、なぜ暢子の発情に合わせて和彦も舵を切るのかということ。どちらかの時期がズレていれば、こんなことにはならない。また、再開直後であればまだ分かるが、6年経っている。意味がわからない。愛からしてみれば、再会後すぐに和彦と暢子はくっついて、自分に内緒でずっと付き合ってきた。今回、愛の親が動いて、結婚を迫ることにより、その二重生活が無理になることが確定したから2人は動揺している…と考えても全くおかしくない。暢子の好きだけど別れるという言葉は、表では合わないけれど、裏では引き続き会うぞという実質的宣戦布告と取れるから。

ジョン・カビラ氏は、信頼できる語り手なのか?

このドラマの語り手は本当に真実を全て語っているのだろうか。都合の良いところを描写して見せて、それについてのみナレーションしていると言うことはないのか?

実は、暢子と和彦は再会してからすぐに大人の仲になってて、お金に困ると愛から上手く引き出しながらよろしくやってきたが、遂に、マンションや結婚式場という具体的な話になって、これまで通り出来なくなり、愛を捨てることを和彦と暢子は決意。まず暢子が愛に和彦への想いを懺悔する形で気づかせ、今回は2人きりで「あまゆ」にいるところを見せつけ揺さぶる作戦だったとかであっても、ストーリーは破綻しないと思うが。

ストーリーのずるいところ

前回、暢子が愛に対し、和彦が好きだが諦めると、暢子がドロドロとなるであろう愛憎劇開始の汚れ役を引き受ける。しかし、明けた今回は、暢子は和彦の余りにタガの外れた言動に対し、比較的常識的な反応をしている。これにより、暢子の悪印象を緩和していることになる。これはずるい。

また逆に、暢子がみんなで海に行こうと言って、和彦が2人でもいいけどと言うのも、言い出しは暢子にすることで和彦の悪印象の緩和をしていると見ることができる。

親の愛情と教育

和彦、暢子、愛について、少年少女時代に、親の愛情と教育が十分に与えられたか否かを、ドラマのキャラとして考えてみる。和彦には教育があるが、両親の不仲から愛情が足りなかったと思われる。暢子は父は早く亡くしたが母の愛情は十分受けて育ったと思われる。しかし母の愛は教育的なものには繋がっておらず、常識的な行動はできない。一方、愛は、親の愛情も教育もちゃんとしてそう。このそれぞれの差が、ドラマ的に面白いポイントになるというのは分かる。分かるのだけれどねぇ。

お金のこと

愛の実家は裕福。暢子の実家は貧しい。和彦は、愛の両親にいろいろなところに連れて行ってもらっているようだが、暢子を選ぶとそういうのがなくなるどころか、もれなく賢秀と優子が身内になる。この落差の意味は、愛と別れた後でないと理解できないのだろうなぁ。もう何年も愛の実家の庇護の下で生きていたことを知るのかもしれない。そうしたら豹変するんじゃないかな。

和彦の頭の中では、新聞社を辞め、沖縄での活動に専念し、軽井沢、葉山、『ファンターナ』にちょくちょく行ける生活をするには、愛の実家に頼るか、暢子が有名イタリア料理人になることに賭けるか…ということなのかもしれない。

「いずれは新聞社を辞めると思う」

和彦のこの言葉の意味。これは、資金が必要。どうするのか。こういうことを言えるのはお金の心配がない人間。暢子と結婚することになったらそれはまず無理だろう。タカりに来る身内はいるが、援助してくれる身内はいない。これは博夫を見れば分かる。比嘉家にとっては、婿は、いくら困ろうが使うことしか考えていない。血が繋がっていなければ救ってもらえない。和彦は、ライフワークの資金は、現在は完全に愛の親のお金をあてにしているのだろうなぁ。しかし愛と結婚する気はない。そんなところか。他人のお金をあてにするという点では、賢秀や優子と変わらないのかもしれない。

「いずれは新聞社を辞めると思う」という和彦のセリフは覚えておく必要がある。辞めたら、生活はどうするの問題は本人は多分気にしてない。結婚相手がなんとかすべきでしょという発想でから可能性がある。

まだ一度も行ってない海

こっちに出てきてからまだ一度も行ってない

と暢子は言うが、ここで言う海とは何を指すのだろう。鶴見は、東京湾に面しているし、『あまゆ』の近くには潮田神社という、まさに名前が海と関係した神社まである。確かに砂浜はないが、少し遠出すれば湘南や、それこそ和彦が愛の両親に連れて行ってもらった葉山も近くにあるので、海を見ることはできる。上京して6年間一度も行っていないと言うのは、いくらなんでもという気がする。