敵の敵は味方みたいな感覚で、和彦の母に声援を送る視聴者がいそうなところがこのドラマの新しさなのかもしれない。それにしても、これまでと全く趣が変わっていて、ストーブ前がどうのと言っていたドラマと同じドラマとは思えない。
- 重子「許しません。結婚は許しません」
- オープニング曲明けても「結婚は許しません」
- 重子の調査能力
- 自ら兄の紅茶豆腐失敗を話す暢子
- 重子 vs 賢秀
- 家の格と言われて、何それと言う顔をする暢子
- 会話が成り立たないことはやはり厳しい
- 会話が成り立たない事例
- 美味しいものを作って食べさせるという作戦
- 自由を束縛する古い考えに対抗できるのは他者のことを考えない自由人なのか
- 大野愛の話が出てきた
- 重子は自己矛盾しているのか?
- 暢子の論理矛盾
- 暢子の攻撃性
- 父さんが母さんを遠ざけてくれたと言う和彦
- 諦めたくありません
- 料理は得意かと聞かれる良子
- 博夫さんの妻、石川家の家族です
- 博夫も分かっている
- 良い考えがある!?
- 何の料理を作る気なのか?
- 今週は料理対決週なのか?
- 子供の結婚で家の格を気にする人は…
- 幸せになること
重子「許しません。結婚は許しません」
オープニング曲前はシンプルに、前回の重子のこの発言を繰り返すだけ。結婚ドタバタコメディならこれで良いんだけれど…。
オープニング曲明けても「結婚は許しません」
何回繰り返すんだ。そして重子は既に暢子の家について興信所で調べているのか。
重子の調査能力
姉は別居されていた…いた?過去形?兄は千葉の牧場で牛飼いの仕事…牛飼い?何か細かいところで調査報告が所々間違っている気がする。良子の同居は、最新情報ならその通りかもしれないが…。多少おかしな点があるとはいえ、和彦が家に行くと言ってから来るまでの短期間でここまで調べ上げたのだから、調査力半端ない。
自ら兄の紅茶豆腐失敗を話す暢子
借金返済が未だ続いていることに絡めて、紅茶豆腐のことを暢子が自分から話してしまう。言う必要あること無いことを取捨選択せず、思いついたことを話してしまう。確かに和彦の家というか、重子とは違うことが分かる。
重子 vs 賢秀
重子が、暢子が語った紅茶豆腐のヒントから調べて賢秀のクズっぷりに気づくのと、賢秀が妹の夫となる予定の和彦の母重子にたどり着くの、どっちが先なのだろう。金吾のケースのように、賢秀は姻族になる予定の人間からも金を騙し取ろうとする筋金入りだから、重子は賢秀を早々に避けた方が良い。逆に重子が智謀を尽くして賢秀を利用して和彦の望みを叩き潰すというのもできそう。
賢秀・重子の直接対決前にあらぬ情報を互いに持たないために、事前調査における賢秀の報告は、微妙に間違っているのかもしれない。
家の格と言われて、何それと言う顔をする暢子
家の格なんて気にしたこともなかったという顔をしている。家の格を気にすることが正しいか否かはともかく、全く気にしたことがないというのはありうるのだろうか。美味しいものを作れば重子の気も変わると考えているみたいだから、本当に気にしたことがないのかもしれない。
会話が成り立たないことはやはり厳しい
家の格について全く意識したことがなさそうな暢子。しかしそれならなおのこと、「会話が成り立たないでしょ、違いすぎるのよ」と言う重子の言い分も間違っているとは言い切れなくなる。そしてそういう点に和彦は惹かれたということになるのだが…アルプスの少女ハイジみたいな感じ?和彦はクララで、暢子がハイジ。重子はロッテンマイヤーさん。ハイジは友人なら問題ないが、配偶者としてどうかと考えると、全肯定しきれない感情が自分には残っている。あ、賢秀は『あらしの夜』役で。
ハイジは置いておくにしても、家の格とは違うかもしれないが、不義理な振る舞いに対して全く無頓着な暢子及び比嘉家は、ちょっと受け入れることが難しい。これまでの『ちむどんどん 』を観た限り、その点で重子の言っていることが理解できると思えてしまう。
会話が成り立たない事例
重子に「会話が成り立たないでしょ、違いすぎるのよ」と言われて、「分かった!良い考えがある!」と思いついたのが「おいしいものを作って、和彦君のお母さんに食べてもらうわけ」なのだから、確かに重子の言うことは正しいとしか言えない。
和彦も三郎も何も言わないが、暢子は、なぜそれが良い考えなのか説明していない。和彦と三郎が何も言わないのは、暢子を対話の相手とは考えておらず、愛でるものと考えているフシがある。「会話が成り立たない」のは人の背景的なもの、価値観の違いから来るものだが、食も人の背景的なもの、価値観の違いから来るものである。「おいしいもの」は、人によって違うし、その人が生まれてからこれまで食べてきたものの積み重ねが表れるものである。重子の料理の好みの中に暢子は料理一皿でズカズカ入って行こうとしていることを暢子は自覚しているのだろうか。
美味しいものを作って食べさせるという作戦
結婚をすると言うために、初めて伺う和彦の親にビニール袋に入れたサーターアンダギーを持っていく行為からは、相手に合わせると言う感覚は伺えない。また、これも暢子の発案なのだが、暢子と愛が別れて日が経たない内に結婚すると親に報告することの異常さにも気づいていない。暢子は自分が正しいと思ったことをすぐに行動に移す。相手がいないことであればそれは自由にすれば良いが、相手がいる場合、相手の考え・感情を考える必要があるが、暢子は自分の考えを優先するため、相手を戸惑わせる。重子はこれを「会話が成り立たない」と言っている。「おいしいものを作って、和彦君のお母さんに食べてもらう」は、相手のことを考えるべきシチュエーションで考えない最たるものになるので、今のままだと失敗に終わる可能性は非常に高い。
自由を束縛する古い考えに対抗できるのは他者のことを考えない自由人なのか
重子と暢子の対立構造は、自由を束縛する古い考えと他者のことを考えず自由に振る舞う考えから成っている。重子の側はドラマの定番であるが、暢子の側の論理が斬新である。どちらも応援したくない。自分の周りにいたら…と考えると、どちらがマシかという究極の選択でしかない。
大野愛の話が出てきた
重子は愛の存在を知っていたが、少し触れただけでその話は切り上げる。基本的に重子は、目の前にいる和彦と暢子の話をしており、会話中に共同売店の説明を始めたり、聞かれてもいない紅茶豆腐の話を出して火に油を注ぐ暢子のような、議論を横道に逸らす人間ではない模様。
重子は自己矛盾しているのか?
嫁いだ家の作法に倣って家事一切を切り盛りし、働く夫を支える
重子は自分はそれをできていたと言うのか?「嫁いだ家の作法に倣って」が、ポイントか。和彦の父史彦が青柳家の作法を無視する人だった可能性もあるので、重子は自己矛盾してると現段階では言いきれない。
暢子の論理矛盾
うちの名前は『沖縄のお嬢さん』ではなく比嘉暢子です。
この主張自体は間違っていないのだが、その前に暢子は重子を「お義母様」と呼んでいる。自分は名前がある個人だと言いながら、相手は名前呼びしない。話が噛み合わなかったり、言葉選びが甘い辺り、和彦の家とは、やはり不釣り合いかもしれない。
暢子の攻撃性
「うちの名前は『沖縄のお嬢さん』ではなく比嘉暢子です」と言う前に、重子を「お義母さん」と呼んだのは、矛盾した発言ではなくて、お前が私を「沖縄のお嬢さん」と呼ぶなら、こっちはお前を「お義母さん」と呼ぶぞというやり返しなのかもしれない。
父さんが母さんを遠ざけてくれたと言う和彦
父さんが母さんを遠ざけてくれたと言う和彦。父が絶対正義で母が間違っていると決めつける考え方。これが正しいとは限らない。母との会話中も、父なら結婚を賛成してくれると言っている。父を美化しているが、父は父で黒い考えで動いていたかもしれないのに。
諦めたくありません
諦めたくありません…歌子は、10人以上参加する民謡の練習会で、自分の稽古の際、先生から、今日はこれくらいにするかと言われるが、諦めたくないからと2度目を歌おうとするのは、時間ばかり過ぎていくから、他の生徒に迷惑がかかる可能性が高い。
これが優子の言う自分のやりたいことをするの実態。歌子でさえ、周りの迷惑は考えなくなっている。
料理は得意かと聞かれる良子
得意と答えられないか…。それが悪いわけではないが、家事はちゃんとやった上で仕事復帰すると言っていたから。しかも博夫には言ったことを守れと言いながら、自分には甘い。良子の負の面がようやく表に出てきたとも言える。
博夫さんの妻、石川家の家族です
と、良子は言うが、正確には、「戸籍上は」と言う冠がつく。アパートを出て実家に帰っているのに「博夫さんの妻」は、家にこだわる石川本家の面々にはちょっと受け入れ難い論理。いや、
元々仕事復帰が認められるまで家には戻らない…だったはずが、家事をしなくて良くなって、第71回では、
このまま別々に暮らす方がお互いにとって幸せかなって、うちはもう諦めかけてる
と言うまでになっていた。結局、良子の言う、博夫さんの妻、石川家の家族とは何かが問われている。
ただこの後の話の進み方が料理勝負になりそうなのが怖い。話が極薄になる予感がするから。御三味料理が上手くできたから石川家の嫁として合格とかになったら最悪。
博夫も分かっている
家事も育児も2人で分担して助け合って、家族3人もう一度やり直すと決めました。
なんて博夫は言っている。良子との家族関係が破綻していた自覚はあるということか。何というか、良子だけ幸せ〜な生活だったのかな。
良い考えがある!?
重子との関係打開に頭を悩ます和彦と暢子だが、良い考えがあると言って『あまゆ』の厨房に入っていく。美味しいものを作って和彦の母に食べてもらうことが良い考えなのか…。何というか価値観がやはり違う。和彦母の言うことが正しく思える。これを微笑ましいなみたいに眺める和彦は、やはり後々これを悔やむ予感しかしない。悔やむだけなら良いが、愛に対する行動を見ると、無関心に向かうかもしれない。
何の料理を作る気なのか?
『あまゆ』の調理場に入っていったということは沖縄料理なのか?気になるのは、重子と会った際に、『沖縄のお嬢さん』と呼ばれたことを根に持って、不必要に沖縄料理にこだわるのではないかということ。重子の料理の好み等については何も知らない訳で、またも独りよがりな"美味しいもの"を作り出すのではないかな。再度サーターアンダギーを作って持っていったりして。
今週は料理対決週なのか?
暢子の重子説得も良子の御三味料理勝負と同じく料理勝負になるのかな。両方とも相手の「家」に自分を認めさせると言う点で共通しており、嫌な予感しかしない。人生の重要な局面を、単発の賭けみたいなことをして、勝った負けたで決めて良いのだろうか。
重子が暢子の料理の腕に震えるほどの感動をしたら、お手伝いとして迎えてくれるかもしれないな。
子供の結婚で家の格を気にする人は…
自分や子供だけでなく、その後の世代のことも気にしている。重子の場合、孫が借金で子供たちが未だ家にお金を入れており、別居騒動があり、仕事も健康問題で辞める家族がいる比嘉家の環境で育つことを恐れている。和彦が、今は暢子しか見ずに結婚したいと言っていても、三十年後、暢子の性格を踏襲した自分の子供を見て何か違うと思ったりしかねないことを重子は恐れているのだと思う。そして、それは自らと自分の子である和彦を見て感じていることである可能性がある。
幸せになること
比嘉家の想像する幸せは今現在しか見ていないように思う。だから借金も平気。賢秀が家族のためにと考えて直ぐ現金を手にしようとするのもその表れ。一方、重子が見ている幸せはもっと長いスパンで考えている印象。どちらが良いと一概には言えないが、比嘉家は刹那すぎるきらいはある。