Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【ちむどんどん 】これは成功者の物語なのだろうか?


暢子が何をやっても成功する。しかも自力ではない。窮地に陥っても周りが何か解決策を持ってきて救ってくれる。暢子の家族も、借金をしたり、詐欺の片棒を担がされたり、散々なことを起こす。しかし最終回近くでは、4兄姉それぞれに新しい家族を持ち、和やかに過ごしている。見た感じ幸せな家族の物語なのだが…高校時代ころの描写から以後は、何かおかしい。この物語、実は失敗者の記録なのではないか?

母と4兄妹以外は全てその他大勢

母優子と、賢秀、良子、暢子、歌子の4兄妹については色々厚く描かれるが、それ以外の登場人物は全てモブであるかのように描かれている。それぞれの兄弟の配偶者清恵、博夫、和彦、智やそれぞれの子どもたちについても例外ではなく、描き方が雑である。

モブとしての和彦

暢子の夫和彦は、結婚前と後で存在感が全く変わり、今では画面上にいるだけで、物語の進行上意味を持つセリフはほぼ無くなっており人形のようである。

モブとしての健彦

暢子の子健彦も、東京では多江と重子が取り合うように面倒を見ているし、沖縄帰省中には歌子だけでなく共同売店店員まもるちゃんまでお世話係になることで、母である暢子と接し、会話するシーンが最低限になっているように描かれている。忙しく働く東京のシーンならともかく、帰省している時でさえ子供を他人に任せてしまうというのは、ちょっと理解しづらい。

モブとしての晴海

暢子の沖縄帰省シーンにおいては、沖縄に住む良子の子晴海が登場してもおかしくないというか、良子がガンガン出てくるのだから、晴海もいるはずである。従姉弟である健彦と会う機会でもあるし。しかし林間学校に行っているということにされて、登場しない。話に関わらない人だからということだろう。子役のギャラ浮くからね。しかし、都合の良すぎる設定ではないか?

1つの仕事を極めるでもなく職を変わり成功を続ける主人公

せっかく三郎という偶然知り合った男の世話で一流イタリア料理店に勤めることになるがシェフとして味を極める前に、思いつきで沖縄料理店を開き成功させる。しかし店が成功して4年程度で今度は郷土沖縄の畑の野菜に興味を示してやんばるに移住しようとしている。これ、成功話として描かれるが…実際どうなのだろう。イタリア料理のシェフとして限界が来て、オーナー大城の親戚だとしても、とても跡を継ぐような才能はないので店を出た。しかしイタリア料理の店を持つほどの腕はないので、少女時代に家庭料理として作り、上京時も下宿先の手伝いで作っていた沖縄料理店を持つことにしたのではないか。その沖縄料理も、最初失敗し一度閉店するも短期間で営業再開し繁盛店になった。しかしこれ、単に才能ある料理人の矢作が、沖縄料理とは何かを理解しそれを味に出せるようになるまでの時間が必要だっただけと考えると、暢子の才覚で繁盛したわけではないと言うこともできる。

暢子は成功しているのか?

この物語は暢子の目から見た世界が描かれているのではないかということ。客観的には失敗していても異常にポジティブな暢子はそれを認めず前に進む…いや、前に進むという言い訳で逃げる。そういう行動の履歴がこの物語の構造なのではないだろうか。

和彦と円満に付き合うことに成功したのは本当か?

和彦と付き合うことになるまでのエピソードも、明らかに愛から強奪しているにも関わらず、愛が自分から降りて円満に解決したように描かれており不自然な結末だった。しかしこれも暢子による脳内補正が入っていると考えれば理解できる。和彦のことが好きだが忘れると言って愛を安心させた上で和彦を愛から奪ったことは描かれているので、それ以外を繕ってもダメだ。暢子は愛から和彦を強奪したという事実は変わらない。

『フォンターナ』での成功は本物か?

賄いやストーブ前を異例の早さで任されたようだが、結局これは、大城が血縁者である暢子をひいきしていたと考えて良さそうである。店を出た者には支援もアドバイスもしないと言いながら、大城に忠実な二ツ橋を暢子の相談役につけているようなものだし、最後には自ら課したポリシーを曲げて直接暢子にアドバイスしてしまうし。結局、ひいきされていたわけで、イタリア料理のシェフとしての才能が高いとは限らないのである。故に暢子は、これ以上イタリア料理の修行を続けても先はないと考えてもおかしくない。

『ちむどんどん 』での成功は本物か?

新規オープン時に全く客が来なかったのに、味とメニューにこだわったら繁盛店になったというのも夢物語である。ただこれも、美味しい料理は未知のものでも「うめえ!」と反応する舌を持つ矢作の才能のおかげということなら分かる。つまり、新規開店時は、暢子がメインの料理人とならざるを得ず、『ちむどんどん 』の味は暢子の味だった。しかし営業再開時には矢作が沖縄料理とは何かを最低限理解できたので、『ちむどんどん』の味は矢作の味になった。そして客が入るようになったと。しかし暢子としてはそれは嬉しくないし、矢作がいつ店を出ていくかとヒヤヒヤしているはずである。矢作は暢子に実質拾ってもらったとはいえ、4年も勤めていれば独立しても良いだろう。しかし『ちむどんどん 』の逆転大繁盛の鍵が、暢子の味から矢作の味に変わった点にあるとしたら、矢作に抜けられたら店が成り立たないことは分かっているはず。こう考えると暢子は『ちむどんどん 』のやめ時を探っていた可能性はある。

暢子はやりたいことをやっているのか?

上京してたまたま出会った人の世話により、『フォンターナ』で修行。上京してたまたま再開し同じ下宿で暮らすことになった和彦と恋に落ち結婚。結婚式披露宴でたまたま沖縄料理店わ思いついて『ちむどんどん 』開店。帰省した時にたまたま畑仕事を手伝って思いついたやんばる野菜事業。きっかけは余りに偶然ばかり。何というか、生きてきた積み重ねでやりたいことが出来るという人生を歩んできたわけではない。何か人生の転機に来ると、その時に思いついたことに脈絡なく飛びついているように見える。そしてそれを自分で選んだことと思っている。これが実話のドラマ化なら、そういう人も当然いるし、そういう人の方が実際は多いかもしれない。しかしフィクションなら、なかなかそういう人は描かないから、観ていて居心地が悪い。

暢子は大城の子育て遊びの犠牲者

社会人になりたての時に、大城が変な賭けばかり持ちかけたからおかしくなったとも言えるが、暢子は、どこかから湧いて自分の前に出てきたハードルを越えることが好きなだけの人。矢作のような料理することが好きで包丁を握れることに幸せを感じる人ではない。賄い担当になりたい、ストーブ前になりたい、店を持ち知らない客で満席にしたい…これら全て周りから与えられたハードル。暢子をそんな社会人にしたのは大城なんだろうな。大城の子育て遊びが過ぎて、暢子がモンスターになってしまった。

客観的に見るとあまりに都合が良すぎる展開

これまでのエピソードにおいて、客観的に見てあまりに都合が良すぎることが多かったのも、暢子のポジティブ思考の主観的フィルターがかかった物語を見せられていたと考えれば納得できる。そして暢子が突然全く違う分野にチャレンジしていくのも、今その時に置かれた状況が、もうどうしようもなくなったと暢子が考えた時に、そこから逃げる行動だったと考えることができるのである。

暢子という人間の人格は破綻しているのではないか?

なんというか、リアルさがないところがリアルというか。『ちむどんどん 』で制作が描こうとした暢子の人格は、実は破綻しているのではないだろうか。破綻の程度は軽いものなのかもしれないが。そしてその破綻した人格から見えたものが視聴者が見ていたものだと。そう考えると、これまで描かれた辻褄が合わなかったことが、理解できると思うのだが。