Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【ちむどんどん 】第25週 最終週も相変わらずだった


『ちむどんどん 』は、歌子が見た夢物語だったという解釈が、個人的には一番しっくり来る。夢オチになってしまうけれど。身体が弱く、1人だけ幸せを追いかけることを諦めた末っ子が、上の兄姉を見て自分の理想も織り込んだ夢物語。そう考えれば、賢秀が母と妹たちは心配したり迷惑をかけたことを悔やんだりするが、お金を騙し取った人たちへの申し訳ない気持ちを少しも描かないことや、こともあろうに、歌子が昏睡状態にあるときに、賢秀ばかりか後々小学校の校長になる良子も暢子もタクシー代を踏み倒すようなことはしないだろう。歌子の夢の中の話ならば、これはまあ、許容できる。

月曜日:突然のやんばるの実家で食堂を開く宣言!

121話詳細

突然閃いて、やんばるの実家で食堂を開くと言い出す暢子。建築資材は優子の相談を受けた善一がどこかから調達するシーンは描かれたが…最終的に立派な店ができてる。うーん、『やんばる ちむどんどん 』の建物は、全部どっかから持ってきた資材で、善一とその仲間達の手によって作られたのだろうか?それにしては立派な建物だと思うが。

火曜日:やんばるの食堂の話は、置いといて…?このタイミングで、置いとくのか?

122話詳細

優子の姉の最期と遺品がもたらされる。最終週にこんな話を持ってくる余裕があるのが不思議な回。暢子のやんばるレストランはどうなるのと要らんことを思いながら観てしまう。もっと早く描けば良い回としか思えない。

水曜日:突然のトラブル!

123話詳細

カラキ練り込み麺という特殊な麺を思いついたは良いが、初日から製麺所のトラブルで製造できない事態に…これも最終週ということを考えれば、どうでも良いドタバタ。で、麺のトラブルだけ解決すれば、開店は問題ないなのか?チョロい新規開店だな。

木曜日:歌子このタイミングで倒れるのか?どうせ治るなら倒れる描写は必要ないじゃん

124話詳細

やんばるの店を開店し、大繁盛も即日、歌子が倒れる。医者を手を尽くしてもうやることがないという状態に。そんな中、暢子は自宅で歌子に食べさせるための熱冷まし効果のある料理をしてる。何というか暢子なりにやるべきことをしようとしてはいるのだが、医者が手を尽くしたと言う病気にそれは…という感じ。

金曜日:最終回までお金を踏み倒そうとする描写を入れてくる制作の固い意志

125話詳細

何と言うことでしょう、歌子の病気は、なぜか治ってしまいました。それどころかもう風邪もひかない体になったそうです。そして、兄妹それぞれが、夢を実現しましたとさ。ちなみに賢秀は、最終回にも、タクシー代を払う気ないというのを2回もやってて、金銭的に他者に迷惑をかけることは、平気でやる人間のままだった。母親に借金の倍返ししたところで、性根は変わっていない。それでも夢を叶えてそれなりに成功しましたとさ…というお話。

物語の展開における圧倒的説得力の無さ

医者も手を尽くした歌子は、結局なんで助かったのだろうか。それについての説明は一切なし…智の瀕死の重体の際はまだデマだと言うオチが有ったが、こちらは死んだ父に祈ったら治ったという昔話みたいな行為しか描かれていない。これが有りなら、何でも有りではないか…と思ったら、歌子の病気快復が最終回に起きたから悪目立ちするだけで、東京・やんばる含めて『ちむどんどん 』が繁盛する説得力もあまり無いし、暢子が『フォンターナ』で異例の速さで賄い担当、ストーブ前担当になったのも説得力ある描写がなかった。制作が思ったようにストーリーを展開するのは良いが、そこにロジックがないため、視聴者は単に登場人物の人生の流れを見るだけになってしまう。物語の展開における圧倒的説得力の無さ…『ちむどんどん 』の理解しづらさは、これに尽きる。

100年分描く『カムカム』と200年分描く『ちむどんどん』の差

「ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹きょうだいたち。
"朝ドラ"第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。」

なるほど沖縄復帰50年に合わせたか。実際は少女時代から描いているし、そもそも終わりが202X年だからもはや50年の歴史という表現の仕方も怪しい。四兄妹を描くとなると、単純に考えると50年で200年分以上を描いているな。『カムカムエヴリバディ』は「安子、るい、ひなたと、三世代の女性たちが紡いでいく、100年のファミリーストーリー」だから扱う年数は倍だが、縦に3世代で世代が重なる部分は一緒に描くので、描くのは100年分。『ちむどんどん 』の方が、主人公の描写が薄くなるはずだ。

202X年だと…

こんな表現使う必要あったのかな。もともと50年の物語と言っているのだから、ここは素直に沖縄復帰50周年の2022年で良いと思うけれど。

というか、コロナ禍はなかったことなのかな。矢作の『ちむどんどん 』は影響受けそうだけれど。ひょっとして、だから矢作の店を描かなかったのかな。というか、大繁盛店だったなら引退していたかな?

大城の資産

優子に話があるとして、大城はわざわざ沖縄を訪れていた。表向き大里が訪れるための露払い役だったが、それはわざわざ来なくても電話で済む話。優子と直接話す必要のあることが他にあったと考えることができる。大城には優子と2人で話すシーンが2回あった。特に砂浜のシーンでは、話を盗み聞くことができない完全に2人きりであった。ここで大城は、『フォンターナ』を含む自分の資産の話をしたのではないかな。大城の年齢が終戦時に20歳程度と考えると、沖縄に来た時は、60歳の還暦前後となる。自分及び自分の資産について見つめ直した可能性はある。大城は、死後もしくは生前も含めて自分の資産を、妹のように思う暢子と、終戦直後に生きる支えとなっていたパートナー賢三の妻優子に譲る話をしたのではないかと。特に砂浜で大城が「ただいま」と言ったのは、死後沖縄で埋葬されたいと言うようなことを考えていたとも考えられる。大城がやんばるに来た時の異常なはしゃぎぶりはそう考えると、個人的には納得できる。そうだとすれば、あんな周辺の人口も少なそうで、那覇からも遠い場所での『やんばる ちむどんどん 』の営業も続けられるのではないか。

トゥルーエンド以外を見たいな

視聴者が見てきた話は、マルチエンディングゲームにおける、トゥルーエンドで一番幸せなエンドだと思う。もっと色々なエンドがあると思うから見たいな。バッドエンドはどうなっているか一番気になる。