貴司の苦悩における舞との対話が、都度貴司から言い始めているのに、舞主導に見えてしまう。それは良いとして、2019年12月をこう使うのか…という感じ。
今回の貴司の話は、舞が、人生で得られるもので、目の前に来たものは全て手に入れないと気が済まない…という性格が招いたことと言えるのだよなぁ。
どないしたん?
…と聞く舞。全く心当たりなしということなのか?それともこれは優しさなのか?しかし、「短歌やめようって思う」に対し、「何で?」と言ってしまうのは、言われたことを余り考えずに思いついたことすぐ言っちゃう舞って感じがする。
舞:少し時間置いてみたら
貴司:もう十分考えてん
舞:ごめん、私…
貴司:舞ちゃんが悪くないよ。僕一人のの問題やから。ごめん。最低やな。
舞は被害者になるのが上手いというか、貴司が加害者になるのが上手いというか。どこまでが脚本の意図なのだろう。
小学生時代とは関係が逆転している感じ
小学生時代の貴司は、舞を守り励ます立場だったんだよなぁ。大人になったら、似たような関係に見えるが、"立場が変わった"印象なんだよなぁ。失踪してから。
今は舞ちゃんと歩がおって幸せ。それで十分やと思う
貴司は、やりたいことをやって行き詰まった時に、立ち止まってしまう生き方を繰り返す。ここが、行き詰まると言うか極める前に次のやりたいことに移っていく舞の生き方と違うところ。
ばんば、ちょっと遅かった
貴司の異変に気づいてたなら、気づかない舞に教えてあげるのも、今となったら必要だったかな。
舞:私、ず〜っと一緒におんのに、何もでけへんかってん
ばんば:どっだけ一緒におっても分からんことやあるとよ
ばんば、舞に甘いなぁ。ばんばは少なくとも気づいていた。舞は気づいてさえいない。しかし、舞は「何もでけへんかってん」って言ってるのだよなぁ。何もできなかったのではなく、気づいていないから何かすべきだも思わなかったと言うべきなのに。これが舞なんだよなぁ。
舞、『デラシネ』に行く
おにぎり置いて特に何も言わず退場しようとする…、と貴司から「昨日はごめんな」と謝ってくる。ああ…もう様式美。これが舞と貴司の夫婦関係なんだよね。
八木、パリにいる
貴司:おっちゃんに会いたいな…
貴司、もう精神的に子供になってる。舞は、会いに行けと言う。そこで、家族会議が開催される。当然、貴司父母が、親の責任を考えろと貴司を叱る。これを舞が肯定し、同居のめぐみも同意。これはさすがに無茶な展開に対する制作から視聴者に向けた言い訳タイムなのだろうな。ばんばが『デラシネ』店番を志願すると言うオマケも用意してオチをつけてる。
ちょっと待て!これいつの話?
2019年12月だっけ?これはあかん、貴司、パリ行っちゃったか…新型コロナをこう使うのか。七夕エピソードをここで再び持ってくるとは思わなかった。頭クラクラする。
貴司、メインから外される
結局、貴司は物語のメインから弾かれたことになるのか?
まあ、刈谷との空飛ぶクルマエピソードには邪魔だからなぁ。
最終週予告!
ああ、ダダ漏れやん!
舞のルーツ
ばんばが、周りを気にするあまり消極的になっていた小学生の舞に、やりたいことをやれとかけた言葉により、舞は周りを気にしないどころか、周りが気にしてくれていることに気づかないでやりたいことをやる人間になってしまいましたとさ…というドラマになってしまった。