Golden Time

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【1970年代】はいからさんが通る


1975年より連載開始のこのマンガ。タイトルが結構華やかなイメージなので、オシャレな時代ものを想像してしまうが、女性の社会進出についての硬派な内容を扱い、かつギャグ漫画であるという不思議なマンガである。

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特にギャグ漫画要素としては、常に1ページに1個はギャグを入れる修行でもしているかのようにページを開くたびにギャグが出て来る。

今や昭和どころか平成も終わり

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はいからさんが通る①p19

"昭和の言葉でいうならば それはまったくナウなこと"というのは感慨深い。

このマンガの連載時は、ナウという言葉が新しい昭和で、「はいからさんが通る」は、その1つ前の大正が舞台。昭和の次の平成が終わった今、このマンガ自体が古き良き時代を表すものになってしまっている気もする。

時代物を今読んで描かれた時代を感じる

少女マンガであるにも関わらず、放送禁止語的な言葉やキャラ描写が結構出てくる。"おひきずりさん"とかいう当時はよくわからなかったキャラも、今のマンガでは絶対出せないはず。

もう1つは未成年者の飲酒。主人公が女学校の時から一升瓶空けている。これ、明らかに17歳以下であり、未成年どころの話ではない。加えてあろうことかその未成年の主人公自身が酒乱。こういうのも今では絶対無理な描写だろう。

白い喪服が第1巻で既に出てくることの意味

二夫にまみえずという意味の白い喪服が第1巻で既に提示されている。このことは、連載の最初から紅緒と少尉の恋のストーリーがある程度はあったということ。この白い喪服のエピソードが何を意味するのか、読者はいやがおうにも少尉の悲劇を予測してしまう。とはいえ早くも第2巻でこれを着ることになるとは読者は思わない。これは早すぎる。しかしこの早すぎる白い喪服着用はイントロに過ぎず、ここから物語は進むのである。

とにかくギャグ&明るい感じの表紙

このマンガは、ストーリーだけみると結構シリアスであり、大正時代の二十歳そこそこの女性が義理の家族の家計を支えたり、家屋敷を取られそうになったりとなかなかハードな内容が続く…のだが、既述の通りこれでもかというくらいギャグがてんこ盛りになっているのもこのマンガである。とにかくギャグを入れなければという念のようなものを感じる。まあ、そうしないと本当にシリアスなだけの漫画になってしまうというのもあるのだろう。コミックスの表紙も、実質的な最終巻である第7巻のみシリアスであるが、それ以外は、少尉がシベリアで戦死したとの訃報を受けた巻も、互いが互いのために身を引こうとしている巻もどちらかというと明るい感じの表紙である。

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これが一番シリアスな第7巻の表紙。クライマックスだからか、深刻な感じの表紙である。いかしこれ以外はお洒落で明るい感じの表紙。だから内容をよく知らないでタイトルと第7巻以外の表紙を見てコミックスを手に取ると、意外なシリアスさに面食らうかもしれない。とはいえ、その第7巻の右下には「はいからさんがこけた」という番外編のタイトルが番外編であることの但し書きなしに書かれている。この巻全体のタイトルと見間違えるような配置。やるなぁ、はいからさん。表紙の絵のトーンとタイトルのギャップ素晴らしい。このようにどんな時もギャグを忘れないのが「はいからさんが通る」なのである。

顔が区別できない人にはさっぱり

まあこれは「はいからさんが通る」に限らずマンガ全体の話であるが、そのジャンルや作家について無関心な人には、そもそも顔の区別が難しいことが多い。特に目鼻をほとんど描き分けず、髪型だけで、ひどい時は髪の色だけで区別しなければならない作家もいる。「はいからさんが通る」では、髪の色が場面で変わるので、髪型が主な区別ポイントになる。