Golden Time

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【1970年代】はいからさんとキャンディの相似性


「はいからさんが通る」と「キャンディ・キャンディ」は、同じ1975年に連載開始したマンガである。この2つのマンガは様々な点で共通点が見られるので、これについて見ていく。

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初恋の人と死別すること

正確には死別する人と死別したと思ったら生きていた人という違いはあるが、どちらも登場してそれほどページ数いかないうちに2枚目役が亡くなるので衝撃度は高い。はいからさんの方は、第1巻で既に白い喪服という死をイメージさせるモチーフが出てくるし、シベリア出兵に加わるということでほのめかしはあった。さらに、はいからさんの方は、結局は戦死は誤報だったということで早い段階での死別は物語的には納得できる。謎なのはキャンディ・キャンディのアンソニーである。単なるいい人のまま亡くなってしまった。アンソニーの死はキャンディのみならず周りの人間を変えてしまい、その結果物語を動かしていく役割はあるが、アンソニーというキャラクターとしてではなく、皆に愛された亡くなった人という役割を担っているだけである。結果的にアンソニーはテリーの引き立て役になってしまっている。しかしストーリー上、このような役割を負わされているからこそアンソニーとキャンディは、ぶつかったりといったありのままの姿で接することがなかったのだと言える。

自ら職業を得ていく話であること

キャンディも紅緒も自立する必要に迫られて職業を得る。キャンディは自分1人で生きていけばよいのだから、やりたいことをすれば良いとも言えるが、あの時代、それは生半可なことではないだろう。紅緒の方は自分だけでなく義理の家族を養う必要があったので、男と同じ職を選ぶ必要があったのだろう。だから女であることを捨てる条件で就職することになる。ナースは当時の選択としては自立した女性が就ける職業としてはベストに近いものだったのではないか。一方、紅緒の雑誌記者は、ちょっと無理があるように見える。勢いだけの紅緒にそのような才能があるように見えなかったから。ただし、だからこそ取材力があるということかもしれない。

2人の男を愛する話であること

キャンディはアンソニーとテリーを、紅緒は少尉と編集長を愛した。キャンディと紅緒の違いは、これも対照的になっていて、キャンディは最初に愛したアンソニーの方が後に愛したテリーより実際に愛した時間が短いのに対し、紅緒は最初に愛した少尉の方が後に愛した編集長より実際に愛した時間は長いと逆になっている。しかしどちらも短い期間の方とは別離の期間はなく、長く付き合っている方は、離れ離れとなっている期間がある。テリーの場合、離れっぱなしで終わるのだが。キャンディもはいからさんも、全体のストーリー的には短い方は長い方の恋の引き立て役になっている。まあ、短い方については、はいからさんの編集長は見るからに当て馬っぽいので最後は少尉が出てくるなとわかるのだが、キャンディの方のアンソニーは、登場からずっとザ・王子様という感じだったので、年齢が合わないから丘の上の王子様ではなくとも、まさか当て馬であったとは誰も気づけなかったのではないだろうか。

相違相愛にも関わらず相手の男が他の女性に縛られていること

テリーも少尉も恋愛感情とは切り離されているが、命の恩人であるという事実によりそばにいることを運命づけられたか弱い女性がいる。このため、テリーと少尉は主人公と公然の付き合いができない。この点については、キャンディとはいからさんは全く同じである。

シャンデリアが落下すること

キャンディもはいからさんも、テリーと少尉の命の恩人との関係が進展するカギにシャンデリアの落下事故がある。これはあまりに同じなので、ちょっとなんとかならなかったのかと思う。しかしこの落下事故、キャンディとはいからさんではストーリー上は全く逆の意味を持つ。テリーの場合は、シャンデリア落下事故により一生スザナのそばにいなければならない状況に陥ったのであり、シャンデリア落下事故が命の恩人との関係のスタートになっている。逆に少尉の場合は、シャンデリア落下事故により、ラリサの許可を得て紅緒の元に行くことができたのであり、シャンデリア落下事故が命の恩人との関係の清算のきっかけになっている。起きた事故は同じでも、それが主人公以外の女性に縛られるきっかけになったテリーと、女性から許可を得た少尉という全く反対の役割をシャンデリア落下事故は担っている。

恋の経過と結末も逆

「はいからさんが通る」では、最初、紅緒は少尉に好きと打ち明ける前に出兵により引き裂かれてしまうが、最後に少尉と結ばれる。「キャンディ・キャンディ」では、キャンディはテリーと相思相愛だと早い段階で確認し合うが、最終的には結ばれない。

生きていればいつかは会える

これは、キャンディが度々口にする言葉である。アンソニーのことを念頭にしてテリーのことを指しているこの言葉。最終的に、生きていても会えないことになってしまう悲しい言葉である。一方、紅緒の場合は、少尉が戦死したということが前提で話が進むので、このような言葉は発しないが、結果的に少尉が生きていたので、最終的に結ばれることができたというように結果に違いがある。