北斗の拳における暗黙の了解、ユリアは美しい・・・・・・とか
本当か~??
…と、いうことで、北斗の拳にまつわるいくつかの暗黙の了解事項について、個別にみていく。まずはユリアについて。
ユリアは美人
触れてはいけない話題かもしれないが…。これ微妙だと思う。一応、きれいな人ということになってはいる。しかし、ラオウがユリアを意識したエピソードからわかるのは、ラオウが魅かれたのは美しさではなく癒しの点である。しかし、癒し系美人という線もまだ残る。決定的な証拠は、ユリアに非常に似ていると言うマミヤが与えてくれる。マミヤ…なぜかもてない。レイが同情的に想いを寄せるが、レイの妹アイリと共に捕まったときもアイリの方が外見は美しいように描かれている(ような気がする)。マミヤがユリアに似ていて、かつ北斗兄弟がユリアの外見の美しさに魅かれているのであれば、ラオウかトキ、ケンシロウの素振りにそれが現われるだろう。しかしそんな素振りはない。だから、マミヤの外見は美しくないことになり、それは即ちユリアの外見が美しくないことになる……と思ったら、マミヤってユダに捕まっていた過去があるではないか。
「ユダに捕まる」=「美しい」なのだから、あれ?やっぱりユリアは美しいとせざるを得ない。つまり三段論法的ではあるが、北斗の兄弟は、外見の美しさではなく、内面の美しさを分かった上でユリアに魅かれたということ。なるほど。
ケンシロウは正義の味方
ケンシロウは正義の味方かという問題を考えると…、この世に絶対の正義などあるのだろうか…という一般化された問題にすぐぶち当たってしまう。正義とは主観的、相対的なものであると通常考えるられている。子供ならともかく大人なら、絶対的正義など存在しないことを知っている。北斗の拳はその点がちゃんと考慮された優れた描写がなされている。物語の最初、リンとバットに出会うシーンと話のクライマックスであるラオウとの対決シーンにもそれを見ることができる。物語の最初と最後に「正義」について考えさせるという構成力にはただただ脱帽するばかりである。
個別に見ていこう。
①物語の最初、リンとバットに出会うシーン
リンの住む村の人々は悪人顔で描かれている。これは完全にケンシロウの主観的視点で描かれている。ケンシロウからみれば、罠にかけて囚われの身にされたわけだから、主観的にはその村人が悪人に見えることに違和感はない。しかし彼らは身寄りのないリンを最低限のレベルとはいえ育てている。そもそもケンシロウは、暗殺拳である北斗神拳の伝承者である。素人目にも普通の人では無いと分かるはずだ。村から見れば、どう見てもケンシロウは不審者である。村人は、残虐行為をしているようにもみえない。罠で捕らえたにしろ、自衛的なものであり攻撃的なものではない。そういう村の住民たちだから絶対的な悪人ではないと思う。
しかし作画の原哲夫は敢えて悪人顔で描いている。ケンシロウ視点の主観的立場では、自分を捕える者は悪人だからだ。
②クライマックスであるラオウとの対決シーン
拳王の部隊が戦いの虚しさに気付き武装解除し、家族と抱き合うシーン。これも正義の相対性を象徴的に表現している。ラオウの兵に家族がいた事実。みな家族のために戦っていたのだ。全部とはいわないまでもフドウに弓を引いた兵にも、悪虐な行為を繰り返した拳王先遣隊にも、愛し守るべき家族がいるかもしれない。家族のために仕方なくその様な行為をしていたのかもしれない。それならば、悪人そのものの顔つきで描かれている兵も、それぞれ悩み、愛する者がいるのだ。たとえ客観的に悪虐な行為中も、彼らの主観では自分を正当化する理由があるのだから悪人顔で描かれるのに納得できないだろう。しかし「北斗の拳」は、基本的にケンシロウ側視点で描かれるため、拳王側の活動中は悪人顔にされてしまうのは仕方がない。歴史の記述とはそういうものである。
以上のように、ケンシロウ視点・作者視点・読者視点に立つと、弱者である村人が悪人顔で描かれることもあれば、ラオウの兵も愛情あふれる顔で描かれることもある。
正義とはかように主観的なものなのだ。
ケンシロウは負けない
ケンシロウは負けない……当然だ。主人公だから。負けるとしたら最後だろう。この当然のことについて考えてみたい。
たとえばサウザー。彼を主役にしたマンガは可能だろうか。可能である。自分の生い立ち、伝承の過酷さ、悩み。サウザーの心の中では様々な葛藤があったであろう。自分は一子相伝の南斗鳳凰拳の伝承者だから次代に拳を継承しなければならない。しかし自分のような苦しい目に未来ある子供をあわせたくない。冷酷な子供ならいいかと思い身の回りの世話をさせると称して極悪少年を探すべくわざとつらくあたるテストをしてみるも、仲間同士でのかばいあいという友愛にあふれた面ばかり見える。悩んだサウザーが見つけた最高の解決策は…もちろん、自らを生まれながらの暗殺者と呼ぶ男を伝承者とすることだった。彼は愛を分かっていないから最適だ。倒した敵しか「とも」と呼ばないのは人ではない。このような人でなしを後継者とすることでサウザーは長年の悩みから開放され安らかな眠りにつくのだった…どうです。これで完結したひとまとまりの話になるでしょう。結局、最後に倒される時に話にケリをつけることができれば誰でも主人公になれる。逆に倒れることで話が散っちゃう場合は主人公になれない。たとえば風のヒューイや炎のシュレンは主人公になれない。そういう意味でケンシロウはたまたま主人公となっているにすぎない。
ケンシロウは原則徒歩で移動
一体どういうつもりなんだろう。確かに文明は衰退したが車やバイクはあるぞ。ヒューイの部隊はかなりスマートなバイクに乗っていたではないか。なのになぜ徒歩?免許持ってないから?刑法さんざん破ってるのに道路交通法は守るのか。でも、それなら後ろ乗せてもらえば良いじゃない。マミヤなら喜んで乗せてくれるだろうに。でも、黒王号には乗るんだよな。ようわからん。少なくとも最後の将に会いに行くときは誰かに乗せてもらうべきだったな。
アミバは弱い
アミバは弱い……本当かなあ。確かにケンシロウよりは弱いわなぁ。負けたから。しかしそんなこと言ったらラオウも弱いことになってしまうし、そのラオウに簡単にやられたレイに至っては弱いにも程があることになってしまう。しかし、そんなことはない。少なくともアミバはケンシロウとそれなりに戦っている。しかも北斗神拳同士で。
弱くない……いや、強いのではないか。南斗聖拳を修行していたアミバが、北斗神拳に目をつけた節操のなさをレイは馬鹿にしていたが、そうか?ラオウに新秘孔を報告するほどの能力はすごくないか?だってそれは、北斗神拳に伝わる全ての秘孔を知った上でできる作業なのだから。秘孔って突き方でも効果が異なるみたいだから、新秘孔探しはものすごい能力がいるぞ。そもそも千八百年も伝承されてきて、ある意味洗練され尽くした北斗神拳において、新秘孔を発見するなどとてつもない才能だ。アミバって本当に天才なのではないだろうか。そして、ここまで秘孔を把握しているなら、強くないわけがない。北斗神拳伝承者のケンシロウも知らない秘孔ならケンシロウも防御することはないと思われるので、運がよければ勝てたかも知れないのに…残念。ケンシロウと戦う前に激震孔を突くとどうなるか見せたのは、そういう意味で大失敗。北斗神拳伝承者に見せて驚かせたいという気持ちは分かる…特に人に天才と思われたいアミバの性格考えると。しかし、それでは暗殺拳の世界では負けてしまうのよ、たとえ相手より能力的に上回っていても。ということで、アミバは武芸の天才ではあると考えるが、駆け引きや感情の処理が下手すぎて損していると思われる。