第10巻でほぼ明かされていたとはいえ、タイトルがストレートすぎる!この巻からひろみは真の苦しみに落ちるのである…と思いきや、この第10巻では、ひろみの周りの人間が次々に宗方コーチの死を知っていくが、この巻においてひろみはそれを知らないまま終わる。既に亡くなったコーチの死を、1巻丸々知らないままで終わるとは、何という演出。
物語は、宗方コーチの生前から始まる。
54ページで、牧が、
時にこのごろ宗方コーチいらっしゃらない日があるみたいね
と言い、ひろみが、
コーチのご都合でね
このごろ1日おきなの
今日はきてくださる日
と返している。これは、宗方コーチの体調が悪化しているということを示している。この宗方コーチが練習を休んでいることは、第8巻48ページで、宗方コーチ本人が、
おれはあすはやすむ
そのときやらせたらいい
と言っており、既に体調不良のフラグは立てている。
残酷な岡の無邪気さ
58ページ。ひろみと藤堂が、宗方コーチの病室に見舞いに行った際、岡と宗方コーチは何のためらいもなく抱き合っている。これを眺める藤堂は余程の胆力を試される。師弟愛と言い切れるか難しい場面。
蘭子の"おじいちゃん"?
お見舞いに行った際に、宗方コーチの容態が急変し、亡くなったことを目の前で見た蘭子。知らせなきゃと宗方コーチの実家に電話する。93ページで、宗方コーチの祖父が出た際、蘭子は、
おじいちゃん!!仁が…!!
と言っている。祖父も、
どうしたんだね蘭子!
と祖父も返している。しかし、この祖父は、宗方姓の祖父、つまり宗方コーチと異母兄妹である蘭子とは血縁がない。にも関わらず、「おじいちゃん」と呼んでいるのは、少し違和感ある。祖父の方も「蘭子さん」なら分かるが、呼び捨てなのは少し変。そもそも蘭子が人前で宗方コーチのことをお兄さんと呼んで良いかを聞いたのが、宗方コーチの入院後のことであり、遂に宗方コーチのことを「お兄さん」と呼べなかったにも関わらず、血の繋がらない祖父とそこまで打ち解けているとは思えない。これは一つの謎。
千葉ちゃん
145ページ。ホテルの自室で、自分しかいないのに、
さーて準備万端ととのえり!
これであすもバッチリなのだ♡(略)
岡さん♡これでまたあした君をうつします♡もう寝たかな…
なんて言っている千葉ちゃん。これ、カメラオタクなのは良いけれど、現代の基準で言えばストーカーじゃないかな。呼ばれてもいないのに、ニューヨークまで来てるからね、自費で。こいつ危険認定して良いよ。
この時代は、おたくという言葉もストーカーという言葉も無かった。おたくはこのマンガの数年後、悪い意味で始まり、その後、中立的な意味を持つようになる。悪い意味で始まった理由は、このチバちゃんみたいなヤツのせい。
尾崎のバランス力
お蝶夫人に恋しながら、タイミングを計りに計っている尾崎。彼は、岡ひろみを中心にした、宗方コーチ、藤堂、お蝶夫人の三角形のバランスを知っているので、宗方コーチが亡くなった今、藤堂とお蝶夫人が、ひろみと一緒に渦の中に巻き込まれてしまうことを心配し、おれがふみこたえなければと言っている。さすがのバランス力である。これは、第7巻16ページでお蝶夫人が、ひろみに言った、
もしふたりのあいだにはさまれてしまったら
ひとりでなやんできずつくまえに
あたくしのところへくるのよ
あたくしがいることをわすれないで…!
と似た感覚である。お蝶夫人の言う"ふたり"は、宗方コーチと藤堂のことで、結局、このアドバイスは、宗方コーチの死により実行されないまま終わった。というより、このお蝶夫人の発言後、宗方コーチが自らの人生の手仕舞いを始めていったため、杞憂に終わったというのが正しいか。しかし、お蝶夫人は、自分が宗方コーチの代わりに当事者になるとは思ってはいなかっただろう。