Golden Time

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【秒速5センチメートル】変わらぬ場所、変わる人


「第一話 桜花抄」と「第三話 秒速5センチメートル」では、小学生の明里と貴樹の通学路の坂・踏切、両毛線から見える岩船山、明里が貴樹を見送った岩舟駅プラットホームと、いくつかの同じ場所の描写が描かれている。変わらない場所を対比として描くことで、変わる人の心を描いている。このことにつき考える。

通学路の坂・踏切

第一話では、小学生の明里と貴樹は2人並んで歩いている。途中から明里が先に走り、明里が踏切を渡ったところで遮断機が降りる。明里が「来年も一緒に桜見れるといいね」と言ったところで、2人は通過する電車に分断される。通過後は描かれていないが、貴樹が踏切を渡り、この後また2人は一緒に同じ方向へ歩くのだろう。
第三話では、大人になった貴樹が、小学生時代と同じ道のりでひとり歩いている。踏切に来た際に向こうから現れた女性とすれ違い、お互いが踏切の反対側に渡りきったところで遮断機は降り、電車が通過する。通過後、女性は立ち去っていた。
第一話と第三話の間には何年もの年月が流れているが、坂も踏切も変わらない。春が来ると桜の花びらが舞うことも変わらない。しかし、明里と貴樹は変わってしまった。

歩く方向

成人後のこのシーン。貴樹は小学生時代と同じ道のりで歩いている。遮断機が降りた際に、貴樹は小学生時代とは反対側に渡って電車の通過を待っている。逆に成人後の明里と思われる女性は、小学生に渡った向こう側からこっち側に戻る感じで踏切を渡っている。つまり、電車の通過時は、明里と貴樹は小学生時代とは逆の側に立っているのである。小学生時代に描かれなかった、遮断機が上がった後のシチュエーションが、第三話では描かれているが、残念ながら成人後の2人は、共に歩くことはなかった。しかし、状況的には、小学生時代に先に踏切を渡った明里が貴樹の方に戻って来ている形になっている。しかしそこで貴樹は明里を捕まえることはできず、先に進むしかないという形で話が終わる。貴樹視点であれば、その先に明里はいないということで、貴樹の明里への思いが吹っ切れたという解釈もできるが、その場合、明里はどこに行ったのだろうということにはなる。明里は小学生時代に来た道を戻っている形になるのであるから。それとも、遮断機が上がるともうそこに成人後の明里と思われる女性はいなかったのであるから、戻ったわけでもなく、別な道を進んだという解釈も成り立つ。しかし、いずれにせよ、明里と貴樹がそこにいようがいまいが踏切は降り、電車が通過するということは、繰り返されて来た。その繰り返しの中の2回が切り取られ、「秒速5センチメートル」の重要場面となっているのである。

岩船山

明里の実家の最寄駅、岩舟駅から宇都宮線乗り換え駅の小山駅を結ぶ両毛線から見える岩船山。第一話では貴樹が明里に会うために乗る列車から見える。第三話では明里が貴樹ではない男性に会うために乗った列車から見えている。貴樹と明里の状況は変わっているが、岩船山は変わらない(なお、岩船山自体は2011年の東日本大地震により一部崩壊しており、形は変わってしまっている)。変わらない象徴として岩船山を捉えることができるが、特に何かを象徴しているというわけでもなさそうである。強いて挙げれば、都会と田舎を分ける象徴という程度のものであろう。

岩舟駅プラットホーム

第一話では、明里が貴樹を励まし見送るホームとして描かれ、第三話では、明里の両親が明里を見送るホームとして描かれる。どちらも雪が降った後の早朝である。また、どちらも見送られる側は、これから、第一話は貴樹の転校、第三話は明里の結婚という人生における大きなイベントが待っている。第一話はどちらかというと見送られる側に未練があり、第三話は見送る側に未練がある感じで描かれている。いずれにしてもこの早朝の岩舟駅のプラットホームは、年月を経ても変わらないが、明里の心は変わっている。

同じ場所を描くこと

三話構成の「秒速5センチメートル」において、第一話と第三話では、月日が流れているが、同じ場所を描写したシーンがいくつかある。これは第二話と第三話には無い。ここに第一話と第三話の関連を見つけることができ、その必然性を考察する余地が生まれる。そして第二話は第一話と第三話の間の時の流れの象徴として機能していることがわかる。故に会えて第二話のみ場所も関東どころか本州ですらなく、時期も、第一話と第三話が冬のイメージで描かれているが、第二話は夏がメインに描かれている。