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【MIU404】「俺は…お前達の物語にはならない」の意味


久住最後の言葉は、「俺は…お前達の物語にはならない」であった。これの意味について考えたい。

物語になるということ

「物語にはならない」を考えるにあたって、「物語になる」とはどういうことか考える。物語、竹取の物語から現代の小説まで、登場人物というものがある。人でなくてもよいが、物語を回すために、何か意思を持って動く存在が必要。そして、複数の登場人物がいる場合、それぞれを識別する名前が必要である。

久住の名前について

ここでMIU404最終回の敵、久住についてみると、久住とはもちろん仮名である。五味と称したり、トラッシュと言っている場面もある。つまり、実質的に本名を持たない名無しなのである。その場、その場で識別できる名前さえ持てば、統一された名前を持たないでよいという認識なのだ。これは、物語の視点で見ると困る。つまり、久住として行動しているときは、久住の物語で、五味としての行動は、五味の物語、同様にトラッシュの行動は、トラッシュの物語でしかない。三者を統合した上で、1つの人格として把握するためには、そのための名前をつけねばならない。久住は、その様な行動をしていないので、「俺は…お前達の物語にはならない」となるのだろう。

久住の自意識過剰

ただし、これ、物語とかそういうものを語っているのは、自分が大物だと認識しているからで、そもそも固有名詞で語るべき資格が久住にあるのかという問題がある。サイバーテロ事件から10日ほどの段階で既にメロンパン号は人の耳目を集めていない。事件は消費されている。久住自身が、自分の本名を隠す行為にこだわっても、時代は久住を識別することをこだわっていない。つまり、久住は単なる自意識過剰なだけである。事件は記憶されるかもしれないが、その人物は、むかし翁ありけり…で済むのである。久住の本名など、警察の事務的な要請以外で、誰も興味を持っていないのである。

 

 

これ、久住の自意識過剰で、あの電波テロでさえ10日で消費され、最後は問題になったはずのメロンパン号で自分が追い込まれたことを思い出すべし。今の時代、物語になる前の情報で消費され終わる。
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