Golden Time

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【ゲキカラドウ】第1話 東京支社の面々の不合理さ


辛いものグルメを題材にしたドラマなのは分かったが、設定というかストーリーの流れが非合理的で馴染むのに時間がかかりそう。

激辛料理を食べることと営業は関係ない

会社組織として、激辛料理で結束を保つような世界観のようだが、全く合理性を感じない。飲料のセールスに、激辛料理を食べることは何の関係見ない。からいとつらいがともに「辛い」と書くことも、「辛」に一画足したら「幸」になることも、文字上のことであり、だこら辛いものを食べようとはならない。

宗教的な何か

何かの目的のために、それとは関係ない形式的な1つのことにこだわって、反復して取り組むというのは、宗教的である。東京支社の面々は、仕事の目標達成のために、激辛料理を食べるということの不合理性に気づかない。気づかないどころか、皆でその行為をすることに連帯感を持っている。特にその輪の中に入っていない猿川を見下し、仲間外れにすることで、自分たちの一体を確認していると思える。これ、最悪の組織である。猿川は、そんな中で激辛料理を食べる修行をしていくのだろうから、ドラマ全体のコンセプトからして不自然なドラマになるはず。

関西と関東を強調すること

なんかこれも不要な設定だと思う。関東住みの人間からすれば、どちらかと言うとこういうこだわりというか、不思議さは、関西にあるようなイメージがするのだが…要は、自分中心で、自分と違う者は、自分と違うカテゴリの者と勝手に思っているだけのような。そういうギャップを面白いと感じる人がいるのであれば、この、関西から出てきた人が関東で感じたこと…みたいなのはやっても良いけど…今更な感じがする。

地獄ラーメン50丁目

たまたま入ったラーメン屋のメニューで、常連の強者っぽい人たちが10丁目としている激辛ラーメンの辛さを50丁目で注文し、辛い表情を見せながらも、麺を啜って食べてしまった。激辛耐性が特についていたとも思えない主人公がなぜそんなことができたのか。生まれつきの天才ということなのか?しかし、辛味は味覚ではなく、痛覚であり、辛さに耐えられるのは慣れと言われるから、そんなこともなさそう。何で50丁目という、激辛ラーメンを完食できたのだろうか。

設定

仕事を頑張りながら、激辛を極めて行こうという。せっかく面白い設定なのに、東京支社の面々が怖すぎて馴染めない。たまたま激辛好きな人が集まって勧められたとか、そういうマイルドな設定ではダメだったのだろうか。