家族旅行。今度はこれか…家族旅行となれば、行く先々でのトラブルがつきものだが、観山家では、行く前からトラブルが続発する。第5話では出発してしばらくした旅の始まりまで描かれる。しかし、事前の最大のトラブルである、寿限無の傷ついた心は、誰も癒そうとしない。遅れた反抗期を迎えても無視される寿限無。観山家怖すぎる。コメディで毒親の連鎖をキッチリ描くの怖すぎる。
自分の土俵に引き込もうとする寿一
プロレスのリングに連れ込んで、好きにしろというのは、確かに虫が良すぎる。そもそも能の芸養子となったことによる問題なので、プロレスのリングで好きにしろと寿限無に言っても仕方がないのである。プロレスのリングは、寿限無には、寿一が自由に生きてきたことの象徴であり、そこに上げられたこと自体が屈辱の再確認になる。
なぜリングに連れ込むのか?
結局、寿限無が自分の子であると40年も隠してきた寿三郎と同じである。自分の正義観、自分の価値観で動くのは人間なので仕方がない。しかし、その正義を貫くことに対して相手のことを考えない。自分が相手に対し悪いと思えば、相手の感情を考えず、自分の悪いと思う感情を昇華させたいというだけで行動している。そこに相手はいない。
寿限無より父寿三郎
いつの間にか、寿一は、出生の秘密に悩む弟寿限無の救済より、父寿三郎との思い出作りを優先的に考えるようになっている。寿限無の問題は解決していないのに。これは寿一のみならず、観山家の家族全員、それが当然であると考えているから、誰も寿限無のケアをしようという話をしない。
これは父寿三郎に束縛された観山家の話なのか?
とにかく宗家である寿三郎の気持ち優先で考えてしまうのは寿一だけではない。舞は、息子大州が能をやめるならば、大学に行き、公務員になり、親の老後を保障しろ、親の介護もあんたの人生だと言う。これは酷いことを言っている。舞もこの発言を悔いている。しかし悔いている相手は、寿三郎であって大州ではない。親の介護も人生と言うのは、寿三郎のせいで自分たちの人生が今ひとつと言っているようなものだと悔いているのだ。大州に対しては言及さえしない。大州の気持ちなど舞は見ていないのだ。これが観山家の問題。
過干渉の継承
寿三郎の親中心の考え方は、明らかに舞にも受け継がれている。観山家を老害と鬼婆の館と形容しているので、大州はこれを見抜いている。大州は、父O.S.Dに、何で舞と結婚したかを聞く。O.S.Dは、俺と母さんが結婚しなかったらお前が生まれていなかったんだぜと、視点を変えて答える。大州は、この答えにO.S.Dの凄さに気づいたようだ。O.S.Dは、自分に正面を向いて見てくれていると確信したようで、この辺りは穏やかな会話になっている。O.S.D、偉大だ。今回は、寿一と秀生親子については、親権の話が少し出てきただけであるが、観山家を継がせる話も絡んできて、ここにも寿三郎の束縛の影が及びそうである。