ああ、これまでの諸々が無かったことになっている。かごめは話には上がるが回想という形でさえ姿を見せないし、3人の元夫それぞれに付き纏っていたクセのある女たちも一掃され映ってこない。前回の話から1年後という微妙な時間設定で、時は確実に流れていることが分かる。1年365日は人生においてそれなりに長い。
今回のサブタイトルが「第2章スタート!最後の恋のはじまりは突然に」となっている。最後の恋…最後なのか?これまで3回離婚しているのだから、4回目となる可能性を封じるようなタイトルは伸び代がない。というか、さらにその先の5回目の恋の始まりの可能性を封じてしまっているのは良くない。
かごめの消費
かごめが、1年前の会社の騒動時にタイミング合わせたかごめの死によりシロクマハウジングの混乱に拍車がかかったみたいな文脈と、漫画投稿で佳作に入っていたという話題で消費されている。時間が経ち日常に戻るとはこういうこと。ただ、とわ子自身は忘れているわけではなくて、気になる小鳥遊との会話おいて、かごめへの思いが不意にあふれる。この辺りは、ドラマ的演出ではなく、リアルに振っている感じがする。忙しい日常からは追いやられているが、まだ思い出だけという状態にはなっていない、ある意味過渡期。
家に押しかける2人、家に招き入れる1人
2番目の夫鹿太郎は門前払い、3番目の夫慎森は仕事の話のみで帰らされ、1番目の夫、八作はとわ子の方から招き入れ一緒に食事をする。この扱いの違い分かり易すぎるう。八作が二人の娘唄に入学祝いを未だ渡していない話は八作の方から出しているので、家に招き入れた理由はそこにはないだろう。元夫と一括りで言っても、感情と扱いが違うのは当然か。
話が終わったらあっさり帰らせる1人、なかなか帰らせない1人、問答無用の1人
帰るシーンは、もっと酷いというかメリハリついている。
3番目の夫
慎森:おやすみ
とわ子:おやすみ…野菜あるから持って帰る?
2番目の夫
訪ねてきた際に慎森が間に入っているから、鹿太郎は土産も渡すシーンも描かれず、とわ子は何も発せず慎森に帰らされる。間の悪いことにおそらくその日の昼にとわ子が食べていたクロワッサンを土産に持ってきている。慎森の往訪後に来るし、鹿太郎タイミングもダメだ。
1番目の夫
ご飯を一緒に食べている。2人の間に子供がいることも関係するかもしれない。
八作:元気?ごめんね
とわ子:ごめんね
八作:おやすみ
とわ子:おやすみ
とわ子による3人の扱いが違いすぎてもはや笑えるレベル。ただ鹿太郎も描かれていないだけで、本人談によれば訪れているようだが。
小鳥遊大史という名前
オダギリジョー氏が演じる小鳥遊大史が最後の恋の相手ということはサブタイトルからも分かる。3人の元夫、田中八作、佐藤鹿太郎、中村慎森との決定的な違い。それは、小鳥遊だけ苗字が珍しいこと。読めない人もいそう。田中、佐藤、中村に対する小鳥遊大史の読めない、珍しい苗字パワーは、他の3人と並べて書くと余計に目立つ。小鳥遊が最後の恋から最後の夫になる説得力はある。ただ、下の名前は、こちらも大史は読めないが、八作、鹿太郎、慎森と元夫たちもなかなか変わった名前なので甲乙つけがたい。
小鳥遊の言葉
長すぎるが、ポイントは次の部分に凝縮されている。
過去とか未来とか現在とかそういうのってどっかの誰かが勝手か決めたものだと思うんです。時間って別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか別のところにあるものだと思うんです
これは時間の一方向性について語っている。4次元のうちの他の3次元は前にも後ろにも進めるのに、時間だけがそうではない。ここで場所というのは他の3次元を言っている。つまり4次元を1体としてみたら、過去も未来も無いと。やはりわけわからん。しかし、これは数式を操る小鳥遊ならではの語りである。とわ子もレベルはともかく数学好きであるようだし通ずるものがあるのだろう。
小鳥遊の言葉とストーリーとの対応関係
前回の第7話でかごめと死別し、この第8話で唄の進学により離れて暮らすことに。共に別れたくて別れるわけでは無い。一方は死んだために関係性は、時間の次元で止まっている。もう一方は生きており同じ時間は流れたまま、距離的に離れている。この2つを出した上で、小鳥遊の「時間って別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか別のところにあるもの」という4次元理論を出しているところが説得力ある。