バスジャック犯解決編ということなのだろうが、犯人と思っていたら実は単なる共犯者で、真犯人出てきたと思っていたらその人も共犯者だったと、犯人側の追加が1人ならず2人も出て来たり、犯人側が人生相談みたいなこと始めたりと、寄り道が多い。そのままの流れで、バスジャック犯がいつの間にか次の事件の狂言回し役になっている。ストーリーが連想でつながっていく感じ。ドラマとは言え、流石にそんなに色々なエピソードが繋がらないだろと思わざるを得ない。その意味で、ずっとレギュラーで出てくるだろうと思われたキャラが、1話退場となった第1話と対極の流れになっている。こういう「仕掛け」がミステリではないと言う点なのだろうか。
偽装されたバス
事件の最初に立ち返ると、バスジャック用バスを仕立てて、都合よくそのバスに関係者全員が乗ってくるというのは、ちょっと訳がわからない。1人くらい乗ってこなかったりするだろうし、逆に関係ない人も乗ってくる可能性もある。丁度想定した人だけ乗ってくるなんて、ミステリではないエンタメとしてもご都合主義的過ぎる。
煙草森さんの破綻した人格
埋めたら無くなります。見えなくなったらOKです。
え?なんというキャラ?え?え?
またやろうと思いました
え?ちょっと何言っているか分からないという言葉は、この煙草森さんのためにある言葉なんじゃないかと思うほど何言っているか分からない。結局、精神鑑定に回されることになるとは…トホホな展開。確かにこの流れはミステリとは言えない感じ。
これが連続殺人の真相か…最初の1件と、その後は、実行者は同じだが、別の事件だったのね。
たまたま乗ったバスでたまたま殺された
そんなわけはなくて、被害者は、ジュートという謎の人?との関わりの中で死んだということがほのめかされる。その流れの中で、これまで視聴者をミスリードしてきた我路君が、ストーリーの中でナチュラルにミスリードされる側に回っている。視聴者を騙す側が、いつの間にか視聴者と同じ側に立っているの良いのだが、何というか1つの事件に謎が多すぎ。
人は操られる
バスジャックとその後の妹話は、人は思い通りに誘導し操ることができるということが言いたい話なのかな。全編、誰かが誰かの意図に操られ、動かされているように見える。人はそんなに上手く操れるものなのだろうか。
ミステリと言う勿れ
このタイトルの意味は、通常のミステリでは掟破りなことをやるという意味なのかな?
風呂光の「犯人を捕まえたら事件は解決でもっとすっきりするものかと」というセリフがタイトルの意味のヒントを与えてくれている気がする。意外性の繰り返される展開は、ミステリの王道的展開からみると意外ではあるが、それ故に強引なものも含まれている。だから、確かにミステリと言ってはならないというのは分かるのだが、それゆえ3話まで観た段階で、しらけてしまう人も出そう。