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【鎌倉殿の13人】(3)「挙兵は慎重に」というキャッチフレーズに従う頼朝


話は進む。以仁王も簡単に通過していく。

体が臭うとか足を洗えとか…

第3話の始めに妊娠中のりくが近づく時政に体が臭うから近寄るなと言い、実衣が外から帰ってきた兄宗時に足を洗えと言う。これ、同じ第3話後半で、法皇からの良い匂いのする密旨が時政の所に届くことと、宗時が文覚を救うために小川に飛び込み足を濡らすことに対応するのかな?法皇の密旨も文覚のしゃれこうべも偽物疑惑というか関係者たちは偽物だとわかっていての行動をしており、うさん臭い話に乗ったという点で共通している。その意味で、臭う、足を洗えという言葉は、対応している。

以仁王の令旨

「以仁王様の御令旨」とか言われても、頼朝の側にその気がなさそうなのが表情にまで出ている。単に斜め上を見上げているだけの大泉洋氏の表情が、以仁王の令旨を最初から受ける気はないことを明白に表しているの凄いというか面白い。大泉氏は単に見上げているだけなのに。一方の後白河法皇の場合は、頼朝の夢枕に出てくるほどであり、また状況の変化から、頼朝は挙兵を決意する。第3話のタイトルは「挙兵は慎重に」であるが、これまでの考えと言動が合わない頼朝にしては思ったことが表に出過ぎているような描写が続いている。それが挙兵のプレッシャーということなのか。

京からの2通の知らせ

一時に届くとは都はかなり混乱しておりますな。

と時政に言わせておいて、1通目から開けるの良い。これ、同時に届かなかったら頼朝と北条家はまた違った対応になったはずで、「都はかなり混乱」という言い訳がストーリー展開に上手く効いている。

一通目を見て頼朝が、

ここで清盛に死なれては困る

と言うのは、思わず出たセリフだろうが、「挙兵は慎重に」という第3話タイトルからは一番逸脱した、思わず本音が出たシーン。しかしこの失言を受けた、政子から、

挙兵しなくてようございましたね

と言われ、

つまらぬことを言うな、頼政卿は我が源氏再興のために身命を賭し、志半ばで世を去られたのだ

と言い、感情が出てしまったことを取り繕う。しかし、続いての読経シーンで、頼朝の頬は思わず緩んでいる。清盛が頼政に討たれなかったことに喜びを隠せない。政子は次のシーンで、

何だったのでしょう。まあ振り回されっぱなし。ひとかどの方に嫁ぐっていうのはこういうことなのね

と、妹実衣に語っている。京からの手紙を読む場にいた中で、この頼朝の取り繕った言動に違和感を覚えたのは、政子だけだったのかもしれない。

清盛の首を取るのは自分という考え

とりあえず以仁王の企ては失敗して頼朝は安堵したが、次は挙兵しなければという気になったのではないか。ただ、その次の踏ん切りがつかない。頼朝にはきっかけが必要だった。そこに、義時の民の数の数量データと密旨(偽物疑惑あり)が出てくる。いいテンポで物語は進んでいくが、頼朝は、清盛の首を取るのは自分だと考えて、他の者が取りそうになると焦るなら、早く決心しろと。確実になるまで待っていたら、そのタイミングは、他の誰かにとっても確実なタイミングの可能性があると考えないと。

偽の密旨と偽のしゃれこうべ

義時の調べた民の数のデータが決断の根拠であるのに、外形的には偽の密旨と偽のしゃれこうべという2つの偽物により、頼朝が挙兵する決断をしたと思えるような演出が良い。頼朝恐るべし。データによる勝算とは別に、人心を掌握する切っ掛けを欲していた頼朝には、偽物だろうが密旨としゃれこうべは、渡りに船だったのだろう。この頼朝のセルフプロデュース力、偽物と見破っての上なら真顔でやってる頼朝怖い。

政子が八重に手を振るシーン

政子は屈託ない笑顔に見えるが…何を考えているのだろう。手を振るのは、八重に向けてではなく、そばにいる頼朝に向けてのものに見える。頼朝の反応を試すためか、頼朝に何か言いたいのだろうか。政子は思ったことを口にするが、それだけでなく、行動においてもメッセージ性を持っており、周りの人間は翻弄されるのだろうなと納得できる、本来の主役である義時より存在感のあるキャラ。

源行家

なかなか憎めないキャラとして描かれている。山伏の格好で頼朝と面会したり、頼政自害シーンでも、ちゃんと「あちゃー」という感じの顔をしてから逃げたりと、良いキャラ。以仁王の乱でも生存フラグ立てており、今後もことあるごとに話に絡んできそうなので期待値が高い。

源時政

何というか、ナチュラルに策謀やってる感じ。法皇からの密書を偽物と看破したのに、しかも頼朝に本物かのように渡してしまう。ただし、時政が偽物と言ったことも別に根拠があるわけではなく、適当に言っただけにも見える。深く考えることなく、気分で自分や他者の運命を変える行為を行なっているのかもしれない。ただこれは、宗時もそうで、真面目なようで言っていることはコロコロ変わる。よく言えば、過去に囚われず、その時その時に正しいと考えたことを素直に行動に移ししているだけかもしれない。