Golden Time

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【となりのチカラ】第6話 のぞき依存症が主人公のドラマ確定


とにかく他人のプライベートの覗き見をやめることができず、自己の偏った正義感のまま土足で入っていくスタイルはどうしても共感できない。

向かいのカフェからお隣見てたらさ

…っと、サラッと言うチカラ怖い。ホント怖い。のぞきに罪悪感が全く無いと言うことだから。罪悪感どころか人の役に立つことをしているつもりで覗きをしているのホント怖い。

カーテンが閉まったままだ

カフェから覗き見した時に、木次家だけカーテンが閉まっているため中が伺えないと、それが良く無いことのように言っているのだが…そりゃそうだ、チカラにのぞかれていることに気づけば、そうするだろ、普通に。

チカラは本当にヤバいやつ

カフェでの木次学とのやりとり。チカラは木次に「お前、DVしてるだろ」と面と向かって言ってるようなもの。なんというかチカラの正義って何なのだろう。善悪グレーとか人の弱さとか、そんなものはなく、単純に見えている事象の善悪で直情的に動いているとしか思えない。手を上げはしないが言葉でずかずか入ってくる。

なんなんだ、このマンションは、どいつもこいつも

これは木次学の言う通りだと思う。1時間ごとにピンポンなんてされたら、精神的にやられる。しかも、ピンポンダッシュ作戦は、逹代の許可なくやってたみたいなのが酷い。それを学がチカラと逹代はグルだと勘違いして激怒しているが、完全にチカラが悪い。勘違いというより、普通考えたらチカラと逹代はグルだと思うのが自然。これに限らないがチカラが明らかにダメだ。学の怒りに火を注いだの間違いなくチカラ。で、それで逹代は恐怖を感じて娘の好美と心中を図ろうとまでする。チカラがそこまで追いやったことをチカラは自覚するべき。これまではラッキーが重なって何とかなったが、今回はかなり酷いことになっている。木次学がモンスター化したから良かったものの、どう考えてもチカラのやっていることも問題行為ばかり。

逹代が中越家にいるところを学に見つかる

チカラの作戦は、完全に裏目裏目に出ている。これは学の立場で見れば、逹代はチカラと完全にグルだと思われても仕方ない。

のぞき常習犯がDV犯に説教しようとしている構図のおかしさ

おかしすぎる。おかしすぎる。何でチカラが良い人間扱いされるのだろう。犯罪者なのだけれど。

灯の家出

単純に考えれば、仕事のストレス、家族のストレスで潰れそうになったから、家を出たということなのだが…そう単純なのだろうか。これまで、チカラの暴走に結果的にずっと付き合ってきた灯が、チカラから距離を置くということのドラマ的意味は何なのだろう。まだ第6話なので、チカラの隠された秘密が明かされるのであろう。そうでなければ、チカラはかなり偏った怖い人間というだけで終わる。これはドラマなのだから、まだあと3話あるなら色々あるはず。なければ最低のドラマになる。灯の家出で潮目が変わったと考えたい。

ナレーションの猫

猫がナレーションしていることに意味があるのかな。チカラがのぞきを平気でしていたり、軽率な行動をすることが多いのは、ひょっとして、チカラなどという人間は存在せず、チカラという名前の猫が、人間界を眺めて色々問題解決しようとしたというドラマなのかと思ったり…それはそれで色々破綻することあるのだが。しかし、チカラというカタカナの名前、大人の人間としては短絡的で軽率な行動、家の中ではほぼ何もしていないことから、チカラという人間が存在しないということは、ドラマの予想の選択肢として考えられなくもない。ただ、現実世界で人としての行動をとっているので、猫であるというのは無理がある。

チカラが求めているのは、隣人との絆ではなく、監視

暇さえあれば、カフェで隣人を一方的にのぞいていることから分かるように、チカラは隣人との絆を求めているというより、自らが頂点に立つ相互監視をすすめている。第6話で、連携して木次母子を守ろうとした隣人たちは、全てチカラの監視下にある者たちである。チカラの視線に気づき、カーテンを閉める行動に出た木次学は、その意味においては、まともであったのかもしれない。確かに十人の中では一番頭の良いと言える設定であるし。