すれ違い離れていっているようで、ギリギリのところでまた戻ってきているような、万太郎と寿恵子の関係の描写。良いなぁ。無駄に時間を使っているとも言えるけれど。
石板印刷技術を教えてもらった後の職人の言葉
自分で石板印刷をしたいというのは、職人の仕事を奪うということだと。これは石板印刷に限らない。今現在も起きていること。
万太郎の植物画
印刷所の職人たちに見せながら、職人技について語る。仕事が無くなっても新しい場所で活かせるから職人の技は消えないという。ちょっと詭弁臭い無理がある理屈。
万太郎、工場内で認められる
工場主:これは実際を見て、本物を知っている者にしか描けねえ絵だな
絵師:ええ。本物を伝えるための手だてとしての絵だ
これで、工場主と絵師は、万太郎が何故自分で印刷したいと言っているのか理解できたのだろうなぁ。絵師に言葉ではなく絵で想いを伝えるという演出…凄い。
物おじしない寿恵子を褒める高藤
高藤の目をまっすぐ見ることができる…これだけで、寿恵子スゲェという時代なのかぁ。
相変わらず高藤が何を考えているのかよく分からないな。まあ、寿恵子のことが好きというのは分かるけど…いざ、横浜に住まわせたら直ぐに飽きたりしかねない気がする。
ネチネチ高藤
高藤絡みのエピソードが小出しなのが良い。高藤のキャラがネチネチしてる感じがするから。
白馬の馬車からノアザミに話しかける万太郎をのぞく寿恵子
早く白梅堂に行きたいと呟く万太郎。2人の物語は進んできたように見えるけど、一進一退なんだろうなぁ。
この場面、元々町の菓子屋の娘が馬車に乗り、一方、元々武家と同じ学びをする機会を得た大きな造り酒屋の息子が地を這ってノアザミを眺めているという意味でも対比になっている。
白馬の馬車で走り抜けること
これ、個人的感想で言うと、罰ゲームにしか思えないんだけど。まあ、高級スポーツカーに乗ってる感じなのかな。
万太郎と寿恵子、それぞれが新しいことにチャレンジして忙しい
万太郎が抱えているのは、新しいことの取り組みとしては、植物学教室の学会誌発刊、印刷所での技術習得があるし、人間関係的には、徳永助教授とうまく行っていないままということがある。
一方の寿恵子は、新しいことの取り組みとしては、舞踏会の練習があり、人間関係的には、高藤との関係をどうするかというものや、そもそも万太郎に対する恋煩いが大きな位置を占めていることが挙げられる。
万太郎も寿恵子も新しいことへのチャレンジと、それに伴う人間関係の難しさに、肉体と精神がやられないか心配なレベル。竹雄と寿恵子母の存在が重要になってくる。
同時進行が多すぎる
現時点の『らんまん』では、同時進行する重要エピソードか多すぎる。現実世界において、1人の人間に多くのことが重なって起きるのは普通であるが、これはドラマ。なかなか珍しいと思うけれど…