万太郎に好かれたのが最初ではあるが、高藤と会った時にはすでに寿恵子は万太郎が好きだった。万太郎も好きでいてくれると思うのだけれど、一度たりとも会いにきてくれない万太郎と、何度も顔を合わせる機会があり、繰り返し求愛してくる高藤と比べるのは仕方ない。そして、今ちっとも会いに来てくれない冷淡さは、結婚後も同様なことが起こりうるとの想像もできる。両思いだからということに縋るのも、程度があるよねぇ。
ただし、万太郎が自分より自分の植物学を取るということをマイナスとする場合、愛がないからと今の妻との離縁を簡単に考えている高藤も結構同じか、ひょっとしたらそれ以上のリスクはあるのだよなぁ。
一緒になりたいという気持ちはあれど、相手のことを余り考えていないのは、万太郎も高藤も同じ。考えさせる時間を与えている点で、現時点では高藤の方がマシという感じ。
破れない万太郎の植物画
そりゃあそうだよね、主人公とヒロインなのだから…いや、違う、高藤がかなり速いペースで攻めてきているから、それのバランスを取るにはこのシーンが必要だったということだろうな。
藤丸日本語分からなくなってくる
秀才のことはよく分からないが、そういうこともあるのかな。ゲシュタルト崩壊みたいなやつ?違う?
万太郎の集中力
万太郎の集中力が怖いと言う波多野。万太郎が怖いと言うより、万太郎を見て自分が何もできていないこと、できないままであろうことが怖いと。人間の器の話をうまく話しているのは、さすが東大の学生設定。しかも藤丸より優秀な設定である波多野に言わせたことに説得力もあるし。要は東大の学生でも万太郎の集中力には降参したという描写が大切。
シェイクスピアの翻訳…?
丈之助も自分の頭を使って生きることを始めているのか。
学会誌発刊が植物学教室の皆が乗り気のイベントになってる
除く田邊教授。田邊教授は単に自分に活用することだけを考えているからねぇ。
寿恵子が1人でダンスをする時に心の中にいるのは…
万太郎。その想像シーンで、白い鳥の羽根が舞っているの何で?何を象徴しているの?白だから良いイメージだとは思うが…。天使が祝福している意味を持つらしい。
クララ先生を感動させる万太郎のバラ
芸術作品ではないのに…いや、芸術作品ではないからこそ、感動を生んだのかな。
クララ先生のラストレッスン
愛のために生きろ
"心のままに"を日本語で言えるなら、"愛のために生きろ"も日本語で言えるだろ!これはダメだよぉ〜。感動のために無理がある。
愛のために生きろ
これ、クララ先生に言わせたから成り立つのであって、他の誰に言わせても説得力というか、寿恵子を決心させるような影響力を持たせることはできないだろうなぁ。視聴者を納得させる意味でも。
寿恵子の極端すぎる選択肢
寿恵子、選択肢が酷すぎる気はする。"普通"と呼べる結婚は今の2択では選べない。