名を成そうというエピソードかもう一つ出てきた。しかしそれも田邊教授絡み。そんなピリピリした人物が追加される中、博物館の里中は穏やかなんだよなぁ。里中が良い人というより、単に蚊帳の外ということなんだろうなぁ。
寿恵子、布団のシーンが多い
上手くはぐらかしているのだが、これは子供が生まれるサインだな。
伊藤孝光
共に有名人の出会い。2人ともユニークだと。
ただ、孝光は、本人が何かを成したわけではないという負い目があるだろうなぁ。偉大な祖父を持つコンプレックス強そう。
ユニーク人材である万太郎も孝光も立ち寄りたくなる博物館の里中。かなりの人物だな。
泥棒教授
田邊教授の戸隠草ではない…不愉快なので帰ります
孝光、行動が単純。里中の言うユニークって…言い方が上手いけど、孝光の場合、単に直情型なだけだなぁ。
ただ、"泥棒教授"と呼ぶセンスは良い。昔のフランス映画を思わせる洒落たネーミング。
標本が足らないと言われて焦っていたのは伊藤家と争いがあるからなのか
なるほど。田邊教授にも制御できないのが"世界"ということか。
研究は日々進歩する
博物館の里中は、植物学が進むならそれで良いという考え。そんな里中に新種発表を認められる道はないかと相談。結論は、本を出せと。
それはそうだな。勝手だろうが何だろうが、発表しちゃえば既成事実ができるので、こっちのものということか。論文発表の場がまともにない時代なので、これが正しいのか。そもそも万太郎は、書籍を元に独学してきたわけであるから原点回帰的なことになる。伊藤孝光を出してきたのも、孝光の祖父伊藤圭介が本草学の大家で『泰西本草名疏』を翻訳しており、それを万太郎が夢中で読んだことも、"本を出せ"に繋がるのかな。
田邊がシダが好きな理由
花も咲かせないし種も作らない。だが花咲く植物よりも前に地球上に存在していた。太古の昔、胞子だけで増えるシダ植物は、陸の植物の覇者だった。シダは地上の植物の始祖にして、永遠なんだ。
な?分からないだろう?
これ、「な?分からないだろう?」と言った後に慈しむような表情をしていたように見えるから、田邊の妻を馬鹿にしているわけではないよなぁ。田邊は妻に対しても、自分のレベルで答えている。要は赤ちゃんだから赤ちゃん言葉を話すということはしないということ。ただ、田邊の妻はそうは受け取らなかっただろうなぁ。
で、これがどういう意味かというと…分からん。何かの暗喩なのだろうが、分からん。
ひょっとしたら…こういうこと?
シダは本草学で、花咲く植物は西洋の植物学を表しているのではないかな。西洋の植物学を推進している田邊教授のやっていることとは真逆に思えるけれど。
ほんわかエンディング
朝の寝室のドタバタ…平和だ。
命名という争い
何と時間と手間のかかる争いなのだろうという印象。
田邊と万太郎
田邊教授がいないと満足に植物学研究ができない万太郎。万太郎がいないと満足な植物採集ができない田邊教授。しかしどちらも承認欲求が強い。これからマウント取るためのパワープレイが始まるのかな。状況的に万太郎が不利に思えるけれど、万太郎には才能があるから、海外に行って"田邊教授を飛び越える"ことが可能でもある。綾からもらった金が鍵を握るのかな。ただ、海外に行っても同じようなことにならないとも思えないのだよね。