万太郎は、何がまずかったのか根本のところを分かっていない。論文誌において何が悪かったか分かったと思っていそうだが、それでもすぐに図鑑の件で同じ過ちを繰り返す。
おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの…的な発想がどうしても抜けきらない。だから植物図鑑も、田邊教授が集めた大学の資産を使いながらも、"自分が"作ると言っちゃう。そんなだから、大学の資産なしでご自由にと追い込まれてしまう。万太郎、自分がフリーライダーであることに全く気づいてない。これが全てのトラブルの根源。
友人森有礼の力があればこそ
こういうのを田邊教授は持っていて、その恩恵に万太郎もあずかっていたのよね。そういうのを理解せずに、東京大学に出入りし、手伝っているから植物学研究室の資産は自分の好きに使い、論文は単著でも良いという発想の万太郎は弾かれたのだと。
そもそも、東京大学に出入りできていること自体が、あり得ないくらいのことなのは、上京当初に丈之助が言っていた。
"教授、植物が好きな者同士、お話しさせていただけませんろうか?"
田邊教授と自分は、対等な立場と考えている言い方に見える。もしくは、自分の方が上だという意識があるのかとさえ思える言い方。
だから田邊教授も、大学の外で自由に活動すれば?と言っているだけに見える。
こういうロジックを万太郎は理解できないようだ。
結局、"教授、植物が好きな者同士、お話しさせていただけませんろうか?"のヤバさが分からない万太郎は、その後の図鑑の話も含めて自ら田邊教授に絶縁宣言しにやってきたようなもの。
佐川で好き勝手した幼い当主の時の思考が今も続いていると思わせる展開、すごく良いわ。自分より立場が上の人間がいると言う感覚が万太郎にはまるでないのだよなぁ。
発見の経緯を誠実に伝え日本植物学雑誌も刷り直しました
この表現!つまり制作側も、修正前の論文は万太郎が自分のことしか考えず書いた論文だったというスタンスなのね。
万太郎自戒のタイミング…なんだけど
この人、根本的には気づけないよね。幼少期から自分のために誰かが何かをしてくれるのは当たり前だったから。
番頭の個人所有物である懐中時計を許可なく分解しちゃうエピソードがあったが、この時と万太郎の感覚が変わっていない。他人の大切にする物を、自分のほしいままに扱うことが人としてダメなことを理解させるのは無理ということ。田邊教授、十分頑張ったよ。
誰かの大切なものも自分のためなら平気で利用して当然、何が悪いの?という感覚。しかし、自分がやられると被害者意識が高まる感覚…やはり万太郎の"当主"感覚は、ヤバい。しかも万太郎が田邊教授にやられたことは、万太郎のやったことより遥かに軽いことだと思うけれど。
誰かに何かをしてもらったことはノーカウントで記憶の中からすぐ消える一方、自分が誰かに何かをしてあげることは極力しないし、お礼もしない…これが万太郎が今も持つ"当主"感覚。
植物学を共に歩むためにここにおる
万太郎、かなり高飛車なことを言っていること分かっているのかな。図鑑の話を出すことといい、やはり万太郎は、大学の標本、文献等を自由に使いながらも、"自分の実績"を上げることだけを考えているのだよな。(田邊教授が集めた)東京大学の資産を使わずに図鑑を作れば良いじゃないかという感じで突き放した田邊教授の言い分は、意地悪ではなく、万太郎の分かってなさをドラマ的に表現しているのだろう。
少なくとも言葉はともかく万太郎の行動には共に歩むという意識は見られないのよ。田邊教授や周りから言われて初めて気づく始末だから。
万太郎は、大学を組織のための箱ではなく、個人の書斎感覚で考えているように見える。この考えが完全な間違いとは言えないけれど、この時の植物学教室は、田邊教授が一から作り上げたばかりの組織の面が強いからねぇ。
田邊教授にしてみれば、庇を貸して母屋を乗っ取られる感覚になっているのではないかな。
大学は個人の書斎ではなくて組織の箱なのよね
万太郎、組織として動けないなら組織から出ていけと言われてるだけの話ですよね。
田邊教授以外の植物学教室の人たちが万太郎擁護に回ること
これは理解できる。なぜなら、田邊教授は、日本の植物学の道を切り拓いてきて、今もまだその途中なのだが、植物学教室に属する他の人たちは、田邊教授が拓いた道に乗っているだけの立場だから。この場に徳永助教授がいないことが悔やまれる。いれば徳永助教授は、田邊教授側に立って、万太郎が先駆者として田邊教授と対等な立場で走っていると言う考えが間違いで、田邊教授の拓いてくれた新しい道を歩いているだけだと嗜めただろうなぁ。